許してくれないです
私にも非があります
相手にも非があります
友達は関係をよく知っています
私は謝っても許してはもらえませんでした
私の友達は何も悪いことをしていないし相手がそこまであなたを傷つけることはあなたはしていないといってくれました
非があると思い謝り続けても許してはくれないです
相手を傷つけるようなことはなにもしていないのに相手は許してはくれません
相手は終わったことだから忘れろと言ったのですが終わらせてはくれないです
相手が自分から約束しても結局その場しのぎで嘘の約束をします
影でこそこそと関係のない人まで巻き込んで私を否定してどんどん相手は関係のない人にまで私が悪いと言い
相手は私が傷つき笑わなくなり元気がないのが嫌と言いながら傷つけてきます
人の負の感情 心が見えて辛いです
必死になって頑張っても許してはくれないです
そこまで必死になる私を見て友達はお前が悪いことをしていないのに必死になってやっているのに相手がさらにお前を傷つけるのは相手がおかしいだって終わったことといっているなら尚更
おまえは優しすぎるこれ以上お前の苦しんでいる姿を見たくないから離れろ言われました
あまりにも悲しくて死のうと思ったこともありました
相手の周りの人間は関係ないのにどんどん私に対して冷たくなっていくのが言われなくてもわかります
相手の心が見えたり相手の言葉の奥の心が見えたときに相手が裏に行ってこそこそやっているときは頭が真っ白になりなりました
嘘ついているのもわかりました
人間て本当に冷たいなと感じる毎日です
都合よく使われているのもわかっています
好きなことをしろと言ってくれたのにそれをやったら今度は裏でそれを否定してきました
本音をぶつければ私に背を向き
私は友達の言うとおりこのままだと相手の前から消えそうです
私は人として当たり前のことをしたのです
相手の心を感じ取って悲しむのに限界です
優しすぎる心なんてなくした方がいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
許されようと思うのは自分の押しつけ 現実と理想は別
相手がどうしたこうしたという条件付けが邪魔になっています。
自分がした悪いと思ったことに対して純粋に相手がどうであれ詫びるべきを詫びる。
「一度謝ったからイイじゃねぇか」
「オマエだって非があるだろ」というのは詫びではないのです。
自分は自分のしでかしたことに純粋に詫びる。
そして、自身の精神の向上を持つ。
仏教では懺悔、菩提心という言葉があります。
勉強してみてください。
あなたが救われない、晴れやかにならない、気に入らないのはそこに根強い「自分」がいるんじゃないでしょうか。
詫びるべきを本心から詫びる。
その後、それでも相手が何も無ければそれは相手に問題があるのです。
あなたが変えることはできませんから、変えようとすれば苦しい。
つぼみはつぼみのまま。
つぼみが真実。
花や実を期待しなくてよいのです。
それが今の真実なのです。
カブトで言うと成虫でなくてもそれが大事な時期なのですよ。
あなたの人生誰のもの?
「どんな音にも驚かないライオンのように
網に捕らえられることのない風のように
水で濡れることのない蓮のように
犀の角の如く、ただ独り歩め」
(経集)
あなたの人生は「相手」のもの?
「友達」のもの?
あなたの人生はあなたのものでしょ。
どうにもならないものはどうにもならないんだ。
どうにもならないことを、どうにかしようと執着するから苦しいんだ。
おろおろと右往左往していても、結局は何も解決しないじゃないか。
「もう知らない!」と全部放りだしてしまえばいいんじゃない?
あとは流れに任せてしまいなさい。
人の言葉に左右されずに、自分の人生をしっかり生きなさい。
質問者からのお礼
ありがとうございました
私は弱いのかなと思います
自分自身を大切にしないといけない時期な気がします