恋愛をしたことがないのはおかしいでしょうか
40年以上生きていますが、いわゆる、恋愛という意味で人を好きになったことがありません。異性も同性も、例えば2次元などもです。
仲の良い友達はおりました。家族も大好きです。
でも、こと恋愛となると、どう考えても、そういう意味で好きだった人も好きな人もいないんです。自分はおかしいのかな?とちょっと思います。
このままで良いのでしょうか?もういい年ですし、これから、恋愛的に好きになる人が現れることがあるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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色んな生き方があります
おかしくないです。恋愛しないとおかしいんだったら出家というシステムが成り立ちません。そりゃ困ります(笑)仏教というものは本来、恋愛はただの苦の原因だと考えます。例えば発句経というお経の一句。
>愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
>それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。
(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』第210、211偈)
お釈迦さまがそれでおかしくない、それで良いのだとおっしゃっているのだからそれで良いのです。
ただしこれは人付き合いをするなという意味ではありません。続く第217〜220の句で「恋愛感情ではなく、善く調えられた誠実さをもって人に接しなさい」と説かれていることを付記しておきます。
さて、ここからは仏教ではなく個人的な考えを書かせていただきますが、それでも結婚はした方が良いと思います。結婚しないと幸せになれないと言う気は微塵もありません。
ただ、結婚しなくても生きていける!という論は社会保障を当てにしたものですね。老後や病気になった時の。これは『日本政府がいつまでも元気である前提』でしか語られていないのですよ。この論調は危ういです。ただでさえ戦争や災害のリスクが高まっているわけですから。
日本政府が転覆せずとも大きく疲弊しただけでセーフティネットの余力は小さくなります。そして国際的な支援は、老後や病気を保障するほど網羅的で手厚く、継続的なものでしょうか?
いつの時代もどこの国でも、最後の最後に頼れるのは家族です。だから結婚しないと幸せになれないわけではないけど、結婚した方がより無難だと思うんです。出家でさえ実は俗世と縁を切る行為ではなく、実家や社会の援助で食わせて頂くシステムなんですよ。
そうした時に、愛の到達点ではなく、生きるために結婚しても良いと思うんです。むしろ人類史的にはその方が主流です。
私の母方の祖父母はお見合い結婚でした。祖母が結婚を決めた時の気持ちは「まぁ、こんなトコかな」だったそうです。それでも祖父の十三回忌で祖母は目元にハンカチを当てました。共に生きる覚悟を決め、人生を共にした結果として、本当に、心の底から愛し合えたのです。そんな生き方もあるのですよ。
質問者からのお礼
大慈さま、回答ありがとうございます。きっぱりおかしくないと言っていただけて、ホッとしました。
結婚は、私も家族が欲しいとは思っていて、したいなあとは思っているのですが、恋愛感情なしで結婚もどうなのかなあと考えていました。
一緒になってから生まれる感情もあるのですね。はじめはともあれ、信頼関係をだんだんと築ければいいのかなと思いました。ありがとうございます。