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理不尽

回答数回答 1
有り難し有り難し 14

相手が『自分にも子どもにも非は全くない!あなたの子どもは悪い子だしあなたもおかしい!あなたの子育ては間違ってる!私は正しく育ててる!』など、理不尽に責められたときどうしたらいいですか?

悲しくて苦しくて我が子まで言われて我が子に申し訳ない気持ちです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

戦わせない

自分の意見を否定されたとか思わんことです。
自分の意見と戦わせないこと。
それは、あくまでも、その人の視点からの助言であってあんたの人生、人格の全否定ではなく、純粋に子供愛なのです。世の中には自分は子供にとって「自分の家の家庭的にはOK」な教育であっても、それをし続けてきた結果、今の社会が出来上がりました。
百人の子育て論をヒイキなく聞く耳を持とう、と思ってみてください。
結果的にトータルで良い子育てができるでしょう。
その人の意見だけ重宝しないこと。
その人の意見にもペケはある。
その人の意見にも確かに学ぶべき所もある。
その人の意見にも役立つ事はある。
その人の意見にも自分の耳には痛くても子供にとっては救われる内容を持った意見がある。
…、といった具合で、まず自分自身が菩提心を持つのです。
菩提sントは仏教的な向上心であり、自分の成長という小さいレベルの成長ではなく、自然界の生命レベルの存在としてより高い存在になろうと志すことです。
隣の国がケンカしてたら、助けてあげるくらいの姿勢です。
そういう「自分の所だけ守ろう」という心を離れることも仏教なのです。
子育て本なんてお金払わなきゃ手に入りません。
お金払って子育て教室に行く人すらいるのですよ。
ただでアドバイスして頂けたという視点で授かってみましょう。
だまって、そのままをその通りに聞くことです。
「正しく聞く」をテーマに修行だと思ってボールだけキャッチすることです。
打ち返さなくてもいいのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
確かに学ぶことをでき成長につながる気持ちも感じています。なぜか子育てに集中できるようにもなりました。
ありがとうございます。アドバイス大切にします。

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