自罰的な意識、嘆きのコントロール
最近ほんの少しですが仏教について学び始めました。目が開かれるような発見もあるのですが、しっくりこない所もあります。
仏教では、怒りに怒りを持って返さないとか怒りのコントロールに重きを置いているように思えますが、私自身はあまり怒らない方です。むしろ誰かの怒りを買うと自分が悪いという気持ちでいっぱいになってしまい、カッとなってやり返すどころではありません。なんて私はダメな奴なんだ、やっぱり私なんて死んだ方がいいんだ…と落ち込んでしまいます。
こういう所をなんとかしたくて仏様のお知恵をお借りしたいのですが、仏教的には嘆きや自責の念に対してはどのように対処するのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教は心のコントロールが目的です。
つぐみさん、こんにちは。
つぐみさんのいう通りです。怒りのコントロールですが、怒りだけではありません。喜怒哀楽すべての心のコントロールを目指すのです。怒りは地獄道の心ですが、自虐心は餓鬼道の心です。自分の心を貪って貶めているわけです。仏教では六道界にわけて地獄(怒り)餓鬼(貪り)畜生(愚か)修羅(争い)人間(不安定)天上(快楽)で分類して、この六つの心に捉われることなく、心にある仏心を育てるのです。
つぐみさんの心におこる自虐心は、生命の尊さ実感できないのです。、そしてそれは自分への自信がないところから始まります。だから自信をつける生き方をしなければなりません。それは勉強でもあるし仕事能力でもあります。それ以上に趣味やスポーツなどで自分の生き方が充実するかどうかになります。
是非、まずは趣味の充実から初めてみてはどうですか?つぐみさんは趣味はありますか?私は今、30年止めていたラクガキイラストを始めて信仰と共に人生の喜びとして楽しんでいます。
元気でいきましょう!仏教でわからないことがあればいつでもハスノハ、メールで質問してくださいね。合掌
質問者からのお礼
お礼がとても遅れてしまって本当にすみません。
足りない頭で何度も何度も考えたのですが、なんとなく染川様の仰ってる事が分かったような気がします。
また分からない事があったら質問させていただきます!ありがとうございました。