お不動様のお気持ち。「きよらか」「らくな方向」ってなに?
いつもお世話になっております。
今通っているお不動さんではパワーみなぎる護摩の後、優しい
語り口でお坊さんがお話をしてくださいます。
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「皆様の願い事が『きよらか』な願いとなったとき、
お不動様は陰の形のごとくそっと皆様に寄り添って、身の回り
の世話をするがごとく皆様を守ってくださいます…」
「お不動様は私たちが間違った方向、『らくな方向』に
進もうとしたとき、こら!!と叱ってくださいます」
お坊さん、そしてお不動様のおっしゃる「きよらか」
「間違った楽な方向」とはどんな状態を指すのでしょうか。
あえて自分を痛めつけ、苦しめろ、という事ですか?
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そして、自分の後ろめたいことに過敏に反応し、すぐに
べそをかいたりイライラしてしまう私を、お不動様は
どんな眼差しで見ておられるのでしょうか。
お教え願えればと存じます。よろしくお願いいたします。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
答えはそのお坊さんにしかわかりません
そのお坊さんがどのようなことを意図してお話されたかは、正直わかりませんが、願い事はご自分の利益となるような、欲望に任せた願い事ではあまり良いとは思えません。みんなの幸せを願えるような様子を、私なら「清らか」と捉えるでしょう。「楽な方向」というのも、ご自分のこだわり、自我のことのように感じました。ジブンを最優先して、面倒くさいから掃除をしないとか、風呂に入らないとか、仕事に行かないとか、そうした方向にいってしまわずに、当たり前に行動できる、こだわりのない、軽やかな様子になることを想像します。
「不垢不浄」
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
基本的には、清らかも汚いも、楽も苦も、「不垢不浄」、「不苦不楽」となりますし、般若心経における「不生不滅」や「不増不減」も、同じような事態を示します。
しかし、いきなりそんなことを言っても、なんのこっちゃとなってしまうでしょう。
それらは、世間的な迷い苦しみとなる物差しを捨てなさいということを最終的には示すものとなりますが、そこへと至るために、方便として、「これは清らかである、これは清らかでない、あるいは、これは清らかでありかつ清らかでない、更には、これは、清らかでもなければ、清らかでないというものでもない」として、迷い苦しみを超えていけるように、様々に使い分けて説き示めされていくものとなります。
まだまだ方便の教えも、字義どおりの意味としてしか捉えられなくても仕方がありませんが、上記のことを少しだけどこか頭の片隅に置いて頂きながら、更に仏教修習に努めて頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
【邦元 先生】
ご回答ありがとうございます。
みんなの幸せを願う…なかなか難しいです。ジブンを最優先…。。
一応それだけは気を付けるようにはしています。そのお陰か、
あなたは「細かいところにも気が利くよね」と言って貰えます。
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【川口英俊 先生】
ご回答ありがとうございます。般若心経、ですか?
「不垢不浄」…例を挙げると、好きも嫌いも人それぞれ。
私はチョコレートが好きだけど、あの子は苦手…
そんなことがあるように、人の価値観もそれぞれ。
決めつけと思い込みはよくないよ…という事ですかね?
勉強します。