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旦那が自殺したいそうです。

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有り難し有り難し 33

旦那が自殺したいそうです。今夜も、死ぬと騒いでました。風味障害で医者に通っても治らないからだそうです。カウンセリングや治療などしていますが、一向に良くならないので、自殺したいそうです。
病院で癌のチェックはしました。舌癌とか脳腫瘍ではありません。
私も、話を聞いたり、心配したり、あれこれ自殺防止を考えるのも疲れてきました。
なぜ死にたいか話をじっくり聞くのが、一番いいことかと思って続けてきましたが、無理みたいです。毎日のように、死にたいという旦那が分かりません。
もう仕方ないのかなと、諦めと、自殺なんて此の人には無理だろうという気持ちがごちゃごちゃしています。
もっと重い病気で苦痛を戦っている人が世の中には沢山いるのに、味ぐらいで死ぬのかと。本人にとっては、人生で重大な問題だそうです。
残された家族とかどうなるのかと聞いたら、「再婚すればいい」そうです。自己中もほどほどにしろと言いたかったですが、悪循環になりそうなんで、「もうババアだから、再婚相手なんて見つからないよ」と返しました。
味のことに取り憑かれて、旦那はおかしくなっているし、そんなに苦痛なら、もしかして死んでしまうのかなと心配です。そんなことで命をと私は思うのですが、旦那にとって味はお金や家族や命より大切みたいです。馬鹿みたいですが、本人にとっては深刻らしいです。私にはまったく理解できません。精神科にみてもらおうと言っても、死にたいぐらいなら救急車呼んで入院しようといっても、やめろといいます。
こんなことで自殺か、勿体無いと思うんですが、これがこの人の寿命なのかなと思うようになってきました。
耳鼻科でも治るかもしれないし、どうなるか分からないと言われて。近々大きな病院でも診てもらうことになってます。
旦那は「たぶんもう治らない」と言っていて、自殺すると騒いでます。
正直、私にはどうすることもできず、自殺してしまったら、寿命だったと割り切ろうと思っています。
色々言っても無理、話聞いても無理、料理を工夫しても無理、何しても無理。私も、疲れてきたし、「味」が生死をかけることなのかとどうでもよくなってきました。
自殺を止めるのは無理ですか? 寿命だったと納得するしかないのでしょうか?  もしもの事態を想定して心の準備を進めています。旦那が先に逝っても、私は這いつくばってでも、お迎えが来るまで必死に生きます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

辛く悲しい気持ちを受け止めてあげて下さい。

若菜様。
大変お辛い状況の中、よく頑張ってこられましたね。
寄り添って寄り添って、でも「のれんに腕押し」
どれだけ励ましても、自分の世界に閉じこもったまま。

今までご主人のたくさんの訴えを、我慢しながら聞いてこられました。
それは若菜さんのお考え通り、とても有益な手段です。
でも否定ばかりしてこられていては、限界があります。
もう、どちらが苦しいのか分からなくなってしまいますね。

私が思うに.....
ご主人は、「こうすればいいよ」などのアドバイスは求めておられないのではないでしょうか。
自分はうつでこんなに頑張っているんだという事を訴えたいのです。
「あなたはすごいひとだね」と言ってもらいたいのです。

極論ご主人は、味覚の事などは後回しでもいいのかなと私は感じました。
それよりも、苦痛を訴える事で、周囲に自分の惨めさを表現しておられます。
普通の感覚でいけば、「治療しよう」となりますが、うつ病のご主人は苦しい気持ちを受け止めて欲しいだけなので、それでは「理解してくれない」と閉じこもってしまう事になります。

「うんうん辛いね」「苦しいのに頑張ってるね」「あなただけが何でこんな目に合うんだろうね」「食事の味がしなければ食べれるだけでいいよ」などと心の苦痛を受け止めてあげてはいかがでしょうか?
ご主人はその言葉で救われます。

今のご主人は、病気が治ったらダメなのです。
そうなれば、もう「しんどい」などと言えなくなってしまうからです。
もしかすると、ご主人は別の所で、悲しみ苦しみを背負われているのではないでしょうか?

ありきたりな話ですが、やはり心療内科を受診しなければなりません。
まずは、ご主人の気持ちを受け止め、信頼を得る事で徐々にその話を持ち掛けて下さい。

一人でも理解者がいるという事で、ご主人の行き過ぎる行動の抑止力になるのではないか、少なくとも私はそう思います。

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おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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味ではなく、味方が欲しいんだと思います。

初めまして。本多清寛と申します。

人間が悩む時、必ず複数の条件が絡んでいます。旦那様の苦悩も、風味障害が引き金になり始まったものでしょう。発症する前は苦悩は無かったかもしれませんが、苦悩に繋がる仕草や考え方をお持ちだったのではないでしょうか。その他にも原因があるはずです。これは「縁起」という仏教の考え方です。

複数の原因を探るときに必要なことは、落ち着くことです。原因を探る人も、探られる人も同時に落ち着いていることが理想的です。原因を探る人(ここでは若菜さん)は、穏やかな自分をイメージしながら、向きあうことが重要です。そして、自分を半分に分け、穏やかな自分と相手の感情に合わせる自分を作って原因を探ります。

例えば、今回の相談で「味ぐらいで死ぬのか」という言葉があります。旦那様の苦しみは旦那様のものです。だからこそ、若菜さんは評価を下さないようにすべきです。風味で苦しむことと貧困で苦しむことは比較出来ません。どちらも苦しいという点は同じです。苦しさはイメージの世界のことなので、イメージが変わらない限り苦しさは取り除けません。だからこそ、自分を半分に分け、味くらいで死ななくていい自分と、味にとらわれて死にたくなる自分を作る必要があります。

若菜さんの人生で何があったかは分かりませんが、苦しみから抜け出せたのは寄り添ってくれる誰かがいたからではないでしょうか?そして、その経験があるからこそ若菜さんが持つ「味がなくなっても自殺しなくていい」というイメージが作られています。それは有り難いものではありますが、世界には人間の数だけイメージがあります。味が分からなくても死ななくていいと信じているのと同じくらい、味がなくなって死にたくなる感情を理解しようとしてみて下さい。

ともあれ、これらは若菜さんが落ち着いて穏やかであることが必須条件です。自分が疲れて倒れそうになっていれば、共倒れになることの方が多いです。どうか、無理せずに、お互いのため、家族で在り続けるために生き続けて下さい。

余り力になれず申し訳ありません。若菜さんは強い方だと思いますが、それは裏返すと弱さにもなります。あまり固執せず、緩やかな流れになっていかれますよう、ご祈念申し上げます。

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おきもち

本多清寛
本多清寛と申します。 答えではなく、応えを出して行きたいと思っております...
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大切な生命です

拝読させて頂きました。ご主人様の病の為ご主人様が精神的なバランスを崩して感情的になっておられるのですね。あなたも大変辛い思いをなさっておられることかとお察し申し上げます。

ご主人様には先ず冷静になり、セカンドオピニオンも検診を受けて診断を受け、適正に治療を受けて頂きたいと存じます。

ご主人様の生命はご両親から頂き多くの方々が育ててくださったものです。決して粗末にしてはいけません。ご病気の苦しみは本人しかわかりませんが、それでもご主人様だけが苦しんでいるわけではありません。
大切な生命です。与えられた生命を決して逃げずにしっかりとお向き合いなさりその天命を全うなさって頂きたいと存じます。それがご主人様の為ですそれがご主人様の役割です。ご家族や回りの方々お世話になっている方々の為です。ご主人様が決して後悔のしない人生を送って頂きます様心よりお祈り申しあげます。

又あなたも大変疲れ果てていらっしゃるご様子かと思います。ご主人様のことも大切ですがあなたの生命も大切です。どうかしっかりと心も身体も休めてください。できるだけ休めて回復なさり癒してくださいね。ほんの少しでもサウナや岩盤浴やアロママッサージ等を受けて休めてリフレッシュなさりしっかりと睡眠をとってください。
心も身体も疲れ果てていますと何も対応できません。
あなたもこれからも皆さんと生きていかれます。
どうかご自分もいたわりながらご家族の方と共に助け合いながら日々をお過ごしくださいね。

ご主人様の病が回復されあなたの疲れも癒されて皆さんが仲良くお健やかにご成長なさって頂き日々心から明るく豊かに生きていかれます様心よりお祈り申し上げます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

お坊さんの皆様へ

まだ旦那は生きてます。来週から、本格的な治療が始まります。
味の方は、よくなったり悪くなったりで、まだ休職中です。
私も仕事などで疲れて帰ってきて、旦那がグチグチ言っているのを聞くのは辛いですが、1日1時間ぐらいならと割り切って聞くことにしました。

自死されたら、後の片付けが(葬式、心の持ち方など)大変だなと、辛く考えてました。まだ生きれる選択があるのに、もったいないと。姑にも申し訳がたたない。

姑が逝って半年かけて諸手続き片付けが終わったのに、またかと思ったら、とてもじゃないけど無理だなと。

もうダメかもと思いました。

いつかまた去年みたいに普通の生活が戻ってくることを期待して、私は生きていきます。

有難うございました。

「身近・大切な人が自死・自殺」問答一覧

自死した両親への思いについて

初めて相談いたします。 自死で亡くなった両親のことについてです。 私の両親は3年前に自死で亡くなりました。 両親は米農家を営んでおり、3きょうだいの末の弟があとを継ぐ予定で一緒に住んでいました。 2021年6月9日、弟からlineで「2日前に出かけた両親と全く連絡がつかない。どこに行ったかもわからない。」と連絡があり、警察に探して頂いたところ、町外れの山中で2人共亡くなっていました。6月7日の朝出かけたあと、昼頃に自死したのではないかとのことでした。 後の警察の事情聴取では、父が地域やJAの役員活動が大変だと話していたこと、母の両親が貯蓄を使い込みお金の援助を求めてきていたこと、ちょうどコロナ禍で私も妹もなかなか帰省できず、友人に会うことも難しく寂しがっていたことなどがわかりましたが、日記や遺書もなく決定的な理由はわからずじまいです。 亡くなる2日前に母と電話したときにもいつもと変わらない様子だったように思えました。 急な別れだったため3年たった今でもなかなか心の整理がつかず、ふとした時に両親が何について自死するほど悩んでいたのか、私に何かできることはなかったのか、と考えてしまいます。 また1年前に私に子供(両親にとっての孫)ができたのですが、他のお母さん達が大変なときに実家を頼れることがとても羨ましく思えます。 やっぱり子育てについてもっと気軽に相談したかったし、助言や手助けしてほしかった。 私の子供が私の両親に会いに行くことはできないんだと、育児に少し疲れたときに涙が出てしまいました。 なんともいえないこの気持ちにも、いつか折り合いをつけられるのでしょうか? ひとりの大人として、親として、がんばっていくしかないとわかってはいますが、もっと両親に頼りたかったと思うのは甘えでしょうか? 長文、乱文を失礼しました。

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どこまで援助するべきなのでしょうか。

度々、失礼します。 亡き妻の前夫の子が二人、実の子二人がいます。 長男について悩んでます。 長男は昔から調子に乗りやすいタイプでした。何度も何度も、調子に乗るなと、言い聞かせて来ましたが、反省してもすぐ元に戻ってしまいます。 妻が生前言ってきた「我が家は下もいるから大学まで行った分、少しずつ返金してね」と。就職後、お金が入ると、ろくに貯金もせずに飲み会に参加してました。税金も滞納したり…。 そんな長男も彼女ができ、やがて結婚しました。子供も二人できて、少し大人になったかなと安心してました。それが貯金もなく、大学費用の返金も口だけで滞る日々。 コロナ禍で結婚式は延期してましたが、ちやほやされたいタイプなので、結婚式をしたいと言い出しました。結婚時、結納金を出す約束はしてたので、準備はしていました。 そんな状態でしたが、こどもができれば、新車には乗りたい、家族旅行には行きたい、広いアパートには住みたい、結婚式はやりたい…。貯金は僅か。御祝儀と両家の援助頼み。日程も会場スタッフの言いなりで、家族の予定も聞かず予約してました。5月に控えた結婚式を前に今度は、120万貸してほしいと。自分でローンなどは組まず、都合良い解釈で親から借りようと考えたようです。 大学費用は滞っているにも関わらず、費用120万貸してほしいとなどと、呆れています。ここは心を鬼にするべきか、120万を貸した方が良いのか…。どうしたらいいかわかりません。乱文で申し訳ありません。助言お願いします。

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部長として友人として、どう反応すべき?

先月先輩が引退してから高校ダンス部の部長を務めています。 私たちは部員不足に日々悩まされており、自分の学年などは私が入部した時学年1人(私だけ)の様相でした。頼み込んで仲の良い友達数人に途中入部してもらって、彼女たちも部活を気に入ってくれている状態で今に至ります。 深刻な人数不足解消のため、もともと私たちの学年で新歓の呼び込みを頑張ろうねと言う話は、前々からしていました。 ここからが本題です。最近、発表に惹かれたと言ってくれた同級生の子たちを、同期の子たちがすごい勢いで呼び込んでいるのです。 SNSで未経験でも大丈夫!最高学年から途中入部でも平気だよ!というふうに入部を呼びかけていて… ほぼ入部を心に決めた子もいると聞きました。 彼女たちが本気で部活の現状を憂いてくれているのはわかるし、皆がうちに興味を持ってくれること自体はとても嬉しくありがたいことなのですが、最高学年(しかも未経験で振り付けも技術も一から教えなければならない)が何人も部活に入ってくることになります。自分達の練習と後輩の指導に加えてさらに仕事が増えるのは明白です。 それに、最高学年の段階で入ってきてくれたとて、今年には引退なので、未来の部活のため、後輩のためにはならないのです。 同期たちが指導を担ってくれるならまだしも、彼女たちは兼部で、もともと出席率が低めです。しかも同学年の中で振り付けを完璧に覚えているのは私ともう1人の子だけなのです。(その子は勧誘活動していません)私たちに負担が集中することは目に見えています。仲の良い訳ではない同学年の新入部員。指導は手に余ると感じてしまいます…。 同輩たちを無責任だと思ってしまう心の狭さに自己嫌悪しかないです。私は沈んでいく船の修理を拒む老害なのでしょうか。 引き継ぎ以降どんどん積み上がっていく部長の仕事にただでさえいっぱいいっぱいなのに、新しい頭痛の種に耐えきれません。 勧誘をやめてなどと言って私が新しい子達を拒絶しているのがバレて、軽蔑されるのが怖いです。だって同輩たちが部のためを思って善意で勧誘活動をしているのは見ればわかるのです。 この気持ちが排他的で自己中で食わず嫌いで、とにかく最低なことはわかっています。でも心がついてこないのです。自分を納得させる方法か、同輩への伝え方のご助言いただきたいです。

有り難し有り難し 19
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彼の自殺と苦悩

先日、こちらで彼が、わたしと何か言えない事情で別れようとしている、という件についてご相談しました。 その彼から、 わたしとは無関係の、わたしに言えない、彼の抱える問題のために別れよう。他の人と幸せになって。自分問題には巻き込めない。という言い方で別れを告げられました。泣きながらでした。 今住んでいるアパートからはいなくなる、とも言っていました。行き先は言えないと。最近部屋の掃除をしていたので、引っ越し準備だと理解しました。 私のことは大好きだから、俺の問題に巻き込めない、と苦しみながら頑なに言うので。なぜ、どうして、と何度も食い下がるのはやめました。お互いそれなりの年齢なので、背負うものもある、こういうのも人生なのだ、と、思いました。 でも、別れを受け入れるかわりに、 別れるならお互いの気持ちが落ち着いたら友達になろう。 どんなにつらい事があっても生きよう、お互い何かあれば声をかけあい、孤独にはならないようにしよう、 とわたしは言い、彼は頷いてくれました。 その日は別れることに納得したつもりで帰りました。 それでも、翌日に未練が湧いてきました。あまりに未練がましく言うのはいけないが、もう一度だけ食い下がってみよう、と。電話をかけたら、電話が繋がらなくなっていました。 そして、そのあと、彼が自死したことがわかりました。 なぜなぜなぜ、と。片付けしていたのは死ぬためだったのか、と。やむを得ない事情って何?!と。絶対別れないと言えば良かったのか、と。わたしに幸せになれ、と言ってもこんな最後では無理だ、とか。 過去の彼の発言一つ一つを思い出し、脳内が暴走します。 ぐちゃぐちゃと脳内が混乱して、受け止めれないし、彼の旅だったところへ、同じ場所、同じ方法で追えば会えるのだろうか、後を追いたい、とか。 しっかりしろ、と自分に言い聞かすのだけど、疑問、喪失感、自責の念、やり場のない怒り、色んなものが渦巻いて。苦しくて苦しくて、苦しくて苦しくて。 辛いです。辛くてたまりません… 助けてください。。。どうすれば良いのでしょうか。

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私の誕生日前に義弟が自殺してしまった

はじめまして。よろしくお願いいたします。 先日、私の誕生日の4日前に、主人の弟が自殺で亡くなりました。 私はいわゆる機能不全の家庭で育っていて、自分の家族とは絶縁しております。私の誕生日は10歳でなくなりました。母親と同じ誕生日で、母親がそれを嫌がった為です。 そんな境遇を知っている主人は、出会ってからずっと私の誕生日を大事にしてきてくれました。今回のことがあって、この先私の誕生日が主人にとって辛いものになるのではないか、という不安があります。 義弟の葬儀は家族葬で、お義母様のご意向で他の兄弟の配偶者達も参列せずに行われました。ですが、これからの法事には長男の嫁である私は参加しないわけにもいかないと思います。するとどうしても誕生日前後に法事がはいることになるかと思います。 私は祝われないことは慣れていますので問題ありません。ですが主人は昔から私が自分の誕生日を何とも思っていないことを悲しんで、特別な日だよ、君が生まれた大切な日だよ、と毎年少しでも私を喜ばせようとしてくれていました。 なのでこれから毎年、主人が弟を思い出し悲しむ気持ちと、私への申し訳なさの板挟みになるのではないか、と不安に思っています。 そして、そう不安に思うのに、自分の誕生日になど何の意味もないと思ってきたはずなのに、ここにきて少し寂しいと思ってしまっている自分がいます。 2人で笑い合って楽しい1日を毎年過ごさせてもらっているうちに、いつのまにか楽しみになっていたのだな、と気付かされました。 祝ってほしいとかではなく、あの楽しい日がなくなってしまう、ということに心がついていかない、というような感覚です。 言葉を選ばずに言いますと、期待しなければ傷付かずに済む、と凍らせた心を、何年もかけて温めてもらい、やっと楽しみに思えるようになったのに、また心を殺さなくてはならないのか、というような…。 義弟が亡くなったことは心から悲しく思いますし、恨むであるとかそんな気持ちは微塵もありません。 主人に大切にしてもらっているうちに私は相当な甘ったれになったようです。もう一度心を殺せる自信が今の私にはありません…。 でもこんな私を愛して大切にしてくれる主人の気持ちに寄り添い、私になど気を遣わせず、この先ずっと共に義弟を偲んでいきたいのです。 私の性根を叩き直すようなお言葉をいただけませんでしょうか。お願いいたします。

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