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夫の愛情が子にばかりいっているように感じて不満

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

交際6年の後、結婚して5年の現在、第一子である6ヶ月の娘がいます。

夫は子をとてもかわいがっており、仕事が忙しい身で家事も育児もよく協力してくれます。
ただ私への愛情表現が産後めっきりなくなりました。

妊娠して以来セックスレスですが性的な欲求不満というよりかは、愛されているという実感がもてないことが不満です。
たとえば出張で長く家を空ける際、メールの内容が子のことばかりで私への心配や労い、感謝などの言葉が皆無だったりとか。言葉の言い回しとして、私への思いやりが感じられないことが多いなど。産前はあったものが産後になくなった、ということです。

子をかわいがる夫を見て、あぁ前は私のことこんなふうに甘やかしてくれたのになぁと涙が出てしまいました。
日々の疲れが限界に達していたため、もっとかまってほしいと伝えたところ
面倒くさいな、こどもじゃないんだから。俺だって疲れているんだ。と言われ
結局ハグして頭を撫でてはくれましたがしぶしぶ感がつらかったです。

大好きだから不安になるの、と伝えたら
俺はお前も子も大好きとかではなく大事なのだ、とのこと
恋人から家族への変化といったところでしょうか
私はまだ、夫を恋人と思っているのでしょうか?

子を疎ましく思う気持ちは全くなく子の存在は癒しで宝です。しかし夫にも癒してほしいと願うのは我儘でしょうか
愛されようと頑張って空回りするのもつらいし、よき母に徹するしかないかなと思いますが寂しいものは寂しいです
今のところ不倫したいとまでは思いませんが、こうして不倫が発生するのかなとは思ってしまいます。

この気持ちをどう消化すればよいのか、助言をいただきたく、どうぞよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その気持ちを話してこそフーフ

構ってほしい、気を向けて欲しいことを直接旦那さんに伝えてみてください。
そこが満たされれば魔道に向かいません。
くれぐれも早まって昼顔に騙されて正当化されませぬよう。
お子さんのためにもあなたのご両親のためにもフリンはなされませんように。
仏教では菩提心を大切にします。
夫婦関係でも互いに補い合う、助け合う、支え合う、愛し合う、向上し合うことがないと夫婦は争いが絶えず他人になってしまいます。
結婚式とはそもそも宗教儀式でもあるのです。
どんな事があっても、、、と誓い合ったはずです。
結論は本当に単純にコミュニケーション不足なだけです。
甘えたい気持ち、寂しい気持ちを恥ずかしがらずに言い合えることが良い夫婦関係になるはずです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下 覚元さま
お早い回答ありがとうございます。
お言葉で恐縮なのですが、夫に直接伝えた上での相談でして、質問内にすこし書きましたが、夫からの歩み寄りがあまり望めない状況にあります。それがつらいのです。不倫などはもちろんする気は微塵もありません。このような場合にどうすればよいか、というところを教えていただけないでしょうか。

おっしゃっていることはよくわかります。わたしが常々考えていることですから。夫に読ませたいくらいです。わたしが夫にこういうことを言うと「お前は自分の気持ちばかり優先する、もうすこし我慢したり大人になれ」と返されるのです。
我慢しています。思いやっているつもりです。それでも我慢しきれないから、歩み寄ってほしいんだよと言うのですが、夫の中の私に対する感情的な面倒臭い女という悪い印象ばかりが増幅していっているような気がします。

第三者の意見がほしくて、夫婦カウンセリングを受けようと提案したこともあります。しかし必要ない、受けるならお前1人で行けと、ねばってもダメでした。
こういった不満不安を伝えるたび、逆ギレされてしまいつらいです。モラハラを疑ったこともありますが、私が間違っているのかもとも思うのです。

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