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幸せな中で、自分は何者なのかと漠然と考えてしまいます。

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有り難し有り難し 37

おかしな話ですが、幸せな分自分が何故生きてゆくのかわからなくなりました。

実親はアルコール依存症が原因で離婚し、もう10年以上会っていません。会いたいとも思いません。
私の方の事情を受け止め、結婚した夫と子供がいます。
幸せです。

過去に色々あったけど、今は幸せ。本当に実感しています。
壊れた家庭に育った分、今築いている家庭が一番大事です。

でも、ふと思うのです。 もし夫と子供がいなくても、私自身は生きて行く訳で、私自身はどんな生き方をする人間なのかな、と。
妻であり母である自分の一部を取り除いたら、棉ほこりやこびり付いて乾燥したヘドロのような、つまらない過去の記憶しかない、つまらない人間のような気がします。

自分の個性を失っているような、自分自身の輪郭がぼやけているような漠然とした疑問が付いて回っています。

夫と子供の為に生きているからいいじゃないか、というのは模範解答のような気もしますが、私自身を捉えなおしたいという気持ちがあります。自分は何者なのかと漠然と考えてしまいます。

これは煩悩なのでしょうか。幸せにうもれで没個性になっているような感じです。何かお言葉をいただけたらありがたいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

はい、煩悩です。

何故生きてゆくのかわからなくてよいのです。
実は、生きることにはたいした意味などないのです。
仏教思想家のひろさちやさんの言葉だったと思いますが、「生まれたついでに生きているだけ」でよいのです。
生きることはすばらしい、自分はすばらしい、というのは煩悩なのです。
悩み苦しみの原因です。
しかし、世間一般では、生きることはすばらしい、命は尊い、なんて言われるのです。
別に、命なんてたいして尊くはないのです。
ただ、仏教は悩み苦しみを減らす教えなので、死にたくない人を殺したら、その殺された人や家族等が悩み苦しみますので、殺さないだけです。
生きることの価値や、自分の存在意義など、初めからないのです。
ないものを創ろうとすると悩み苦しみます。
でも、あなたに死なれては困る家族がいます。家族の悩み苦しみをむやみに増やさないために、生きられるうちは生きてあげてください。

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言葉遊びです

 金八先生が言いそうなことですが…「人間は、人の間にいるから人間なのです」。仏教的に言えば、つまり「縁の中にのみ、人間はいる」ということでしょう。周りとの縁の中に、その存在は成り立っています。貴女の妄想するように、もし今のご家族と離れて…離れただけだったら、まさしく輪郭のぼやけた、もやもやした「ひと」がいるだけでしょう。…、まぁ、言葉遊びに過ぎませんが。
 世に言う「個性」というのは、非常にいい加減なものだと思います。それを言葉で言い切れる訳がない。「あなたの個性はどんなものですか?」と問われて、絶対に他人と被らないものはあるでしょうか。それはDNAだけであって、「俺のDNAとあなたのDNAは違う(私の身体とアナタの身体は違う)」と言ったところで、何の解決にもなりません。「個性とは?」、それはどこまで行っても言葉遊び。
 チャップリンではありませんが、今、社会は「何でも代替可能」という価値観がはびこって来ているように感じます。仕事というのは、まさにそうですね。それを薄々感じて、このような問いがでてきたのかな?と推察します。その世の中にあって「私とは何者か」というのは、パーソナルな文脈にしかありません。つまり貴方の来歴・過去の結果としての今です。「つまらない過去」があるからこそ、今の状態を価値づけていられるのでしょう?
 「家族を見ていて、お父さんと子どもが朝の挨拶をしている。それを見て、幸せを感じる」ことがあるならば、それ自体が(敢えて言わせていただければ)あなたの個性だと思います。そう感じる下地として、あなたの過去があるはずです。まあ、感じない日もあるでしょうけれど、「感じない日もある」のを含めてあなたの個性です。それで良いんじゃないでしょうか。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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無評価 ノーコメント ノージャッジ

最近の朝のワイドショー番組を見て私は腹を立てています。
色んな人のコメント、ツイート、が定期的に出ています。
まぁ、おそらくその大半はやらせコメントであると思います。
でてくる前に、審査もあるでしょうから、選ばれた言葉でもあります。
で、何を申し上げたいのかと言いますと…、
あなたはまさにそれを心の中でやっているという事なのです。
過ぎた出来事、見える景色、日々に対して、
多い時で、数秒感覚で、ツイート、コメント、TVの下の欄の視聴者さまからのコメント的な、思いをしょっちゅうやっているのではないでしょうか?
これを「コメント煩悩」といいます。
それが、毒性を帯びたネガティブガスとなって、あなた自身を一番苦しめているのです。
それに気づけば、それをやめようと思います。
それを止める為には、出てきた時に、ああ、これがあの坊主の言っていたコメント煩悩か、と引っ込みをつける。ブレーキをかける。ファイルを展開させ無くすればよいのです。
自分が耳元で大声を上げれば自分の大声で耳が痛くなる。
自分の思いが黒ければ、その黒いガスで自分が汚される。
その思いの発生の震源はどこでしょうか?
他人の事を考えているようでも、ガスが出て曇っているのはあなたの心の中なのです。
この仕組みを知って、もう少しデリケートに扱ってあげるべきではないでしょうか。
他人の事をかんがえているようでも、その事で苦しませれている場所が、あなた自身の心なのです。
だから、コメント煩悩を控えるべきなのです。
オチで、もう一度言います。
だから、私はあの朝のワイドショーでTVの下に出てくるテロップなんざぁ、人を煩悩に導くから大嫌いで、大嫌いで、アー、頭にくる。←評価・ジャッジ・コメント
※こういうことが、苦しみの種になっているのではないでしょうか?ということです。

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おきもち

質問者からのお礼

ゆるい衝撃をうけました。そうですよね、すばらしい、これこそが煩悩ですね。
ただ生きてゆこうとおもいます。ありがとうございました。

佐藤様 お返事ありがとうございます。
気が付いたのですが、どうやら私は孤独なとき、自分のみで意思決定をして生活していた事に自分の個性を見出していたのかもしれません。いま、孤独になることがない分、それがみいだせなくなったのかなと思っています。 これも言葉遊びです(^^) ありがとうございました。

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