素直になれない最低なわたし
タイトルのとおりです。
昨日、職場のリーダーからも言われました。
「楽しそうに仕事をしていたから取り上げた」
こんな職場を逃れたい。もちろん就活中です。でも自信がなくなってたのも事実。
家族からも逃れたい。
hasunohaに書いたり。お坊さん方がアドバイスしてくれても私自身が聞く耳を持っていないんだと思います、どこかで。
アドバイスをいただく→ひと考えする→実行
までの余裕がないのかもしれませんが。
辛い、苦しいの中でみつけた真っ黒な自分に一番、戸惑っている気がします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その自覚があられるのは素晴らしいです
ぴょんこ様
はじめまして、お悩み拝見させて頂きました。
釋 慧心と申します。
いやあ、大変素晴らしいと感銘させて頂いております。
実は、私も同じでございます。
人は学べば学ぶほど、知識を蓄えれば蓄えるほどに、その過程に於いて、周りの誰かより、父より祖父より、母より祖母より、先生より、恩師より、私の方が偉いんだ。
というような、とんでもない錯角に陥りがちかも知れません。
それは、もう少し広い範囲でも当てはめられると思います。
先進国の日本の私達は、教育水準が高いから(何を基準に高いや低いやと言うのかそもそもよく分かりませんが)、
発展途上国と勝手に呼ぶような国の方々よりも、優れているんだ。
又、現在は、科学技術や医療など、様々な分野の発展や進歩が目覚ましいので、昔の人よりも現代の我々の生活の方が豊かで優れているんだ。
私達は、無意識のうちにそのような価値基準を持ってしまっているように思います。
それで何が悪いんだ、というのが、私達の住む現代社会だと思います。
そんな中では、仏様のお心や年長者の御言葉、親の助言も軽んじられ、まさに聞く耳を持たない。
今は何でもスマホでちょいちょいと解決ですよ。
みたいな風潮がありますね。
まさに素直になれないのが私達の姿であり、
それこそが、私達の罪の根元とも言えると思います。
「私がえらい」がどんなお心も私に届かない、心のフタになってしまっています。
それを完全に取り去るのは難しいでしょう。
しかし、完全に取り去れなくとも、少しずつなら出来るかも知れません。
その始まりは、まず気づかされ、自覚することでしょう。
ある先生が、こんなお話しを下さいました。
服がほころんでいることに、気づかなければ、そのほころびを隠したり、恥ずかしいなと思うことも無いけれど、
ほころびを気づかされて、自覚すると、恥ずかしいな、少しでも手で覆ったりして隠そうかな、という心が生まれます。
その少しでも、という心掛けが大切ではないかとおすすめ下さいました。
傲慢さや、自惚れ、素直になれない自尊心、又そこから生まれる他者を蔑む、という罪の心、つまり、心のほころびを、あっ、と気づかされたら、自覚して、少しでも慎もうという心掛け、仏様や親、恩師や年長の方のお心、御言葉をお敬いしようという心掛けが大切です。
お互いに少しずつ。
焦らずに
ぴょんこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
アドバイスが実際に行動となるまで、時間が掛かって当然であるかと存じます。
むしろ、むやみにすぐ実行するのは、ある意味では怖いものです(笑)
実行は、しっかりと自分の中で納得して、それからですよ。焦らずに。。
真っ黒な自分・・まあ、本当に真っ黒かどうかは、自分の思い込みや偏見もあるかもしれません。簡単には決めつけずに、心の状態が善くなるように、hasunohaでの回答も参考に、善い因縁(原因や条件)を調えて参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
だからね、プリントアウトよ。
お久しぶりです。元気にしてる?
「楽しそうに仕事してるから取り上げた」…本当であれば、ダメな上司ですな。でもね、その瞬間、貴女にとって仕事が楽しかったのなら、自信をなくす必要は全くないよ。もう、その仕事は終わってしまったのだろうけれど。
さて「受け取れない自分がいる」「私自身が聞く耳を持っていない」って、…よくぞ気づいた!と感心しきりです。そういう時ってある。そういう状態って、ある。かく言う私だって、人からアドバイスを頂戴するときは、我ながら素直に聞いてないなーと感じること、ありますもの。だからある意味大丈夫、我々も「聞ける状態かは分からんなぁ」と思いながら書いています(私だけじゃないと思う)。
でも、ここhasunohaの利点の一つ、「今までの問答がいつまでも読める」のですから、過去の、或いは他人の問答を読み直すと「おっ」という事が出てくるかもしれません。「答えてもらった時は気づかなかったけど、改めて読んでみたらストンと来た」は充分あることですよ。いつか書いたかもしれないけれど、この問答集は貴女への処方箋と思って、或いは貴女の物語と思って、「これ良いじゃん」という所にマーカーでもしてみたらいかがですか?
そうそう、自分でも「読み返す」って答えてくれてる。「読書百遍」ということわざがあるけれど、貴女が回答を丸暗記する頃には、きっとかなり仏教を使えるようになっていると思いますよ。
追記
そうかぁ、プリントできない。それは確かにスマホの弱点ですね。物として形が残らないんだ。「じゃ、どうする?」と自問できること、とってもいいと思いますよ。諦めないでいいことは、なるべく諦めない。そうすることで逆に、「これは本当にどうにも諦めなきゃいけない」が見えてくるのですよ。
質問者からのお礼
川口 英俊 様
こんばんは。
ただいま仕事から帰りました。
川口さんの御言葉に少しホッとしました。
「アドバイスから行動まで時間が掛かるのは当然。焦らずに。」この御言葉が特に。
今までの問いやご回答を読み返し、皆さんの問いやご回答にも触れ、何かを感じとれるようになりたいと思います。
ご回答、心から感謝しております。
本当に有難うございました。
釋 慧心 様
こんばんは。
ただいま仕事から帰りました。
hasunohaのお坊さん方に出会うまでは、自分を正当化する事で「自分」を守ってきたように思います。
今は自分さえ否定していますが、少しだけ肯定するなら、どうしようもない自分を認めることが少しだけ素直なのかもしれません。
この度は、お忙しい中ご回答をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に有難うございます。
佐藤 良文 様
おはようございます。
お久しぶりです。身体は元気です(あえて身体は…です)。
自宅のネット環境がないのでプリントできず、スマホでよく読んでいます。hasunohaの扉をノックした当初の私は「だってプリントできないもん。仕方ないじゃん。」でした。
今は「ここ、なんかピンとくる⁉︎」というところはノートに書き写したりしています。自分で書くと以外と頭や心に残る気がします。
「できない、だったらどうする? どうしたい?」を自分の中で問答というか対策を練る様になりました。
腹が立ったり落ち込んだ時、「そういえば!」って読み返したり。
佐藤さんがおっしゃる様に、御言葉を頂いたとき腑に落ちなかった事が、今になってストンと自分の中に入ってくことが、はい、あります。
たぶん、苦しい、辛いと思うのは相変わらずだけど中身が少しずつ変わってきたように思います。
hasunohaのお坊さん方に出会って物事を見る立ち位置が少し変わったのかもしれません。
佐藤さん、お忙し中、お返事をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。
有難うございます。
寒暖の差が激しいです。
お身体に気をつけてくださいね。