生きる意味と信心、今の私にできること
初めて質問させていただきます。よろしくお願いいたします。
昨年夏から、長男である主人が仏壇のお世話を引き継ぐことになり、自己流ながら、hasunohaの記事を参考に、手を合わせています。
主人の実家が事業の困難から実家を売却した流れで、我が家に来ました。
また、同時期、大学4回生の長女が睡眠障害が悪化、かろうじて卒業できましたが、就職は叶わず治療中です。娘2人とも自閉スペクトラムの障害があり、二次障害が悪化したのです。
特に次女は、不登校を乗り越えて通信制高校を卒業し、志望の大学を楽しんでいた矢先に、腎臓の難病の入院を引き金に、鬱が再発。私に、なぜ産んだのか?と激しく問い、抱きしめて、パパと出会い産んだことは幸せと伝えても「そっちは幸せでも私は辛いことしかなかった」と。今まで困難にも自暴自棄にならず、乗り越えて来た次女も、ついに限界で拒食症で死の淵でした。
そんな時にhasunohaと出会い、同じように困難をかかえる方へのご回答に救われ、お仏壇と話すようになりました。今は朝晩話しかけて、命日に般若心経を唱えたり、お墓まいりも時々行きます。
幸い今日も娘たちは生きていてくれています。それだけで幸せです。
私と主人の実家は共に融通念仏宗で、住居を3回引っ越すも、なぜか同じ融通念仏のお寺の傍。娘らはそのお寺の幼稚園に通い、主人はずっと融通念仏ゆかりの華厳宗のお寺の学校に勤務。こんな仏縁に感謝し家族幸せになりたいです。
現在は50回忌も済んでるので、お寺とのお付き合いはなく、法話会のようなものもなく、境内の地蔵様に手を合わせに行くぐらい。実家のほうの菩提寺は後継者が無くてお寺じたい無くなり、命日には本山から交代でお参りに来られてます。本山にはお参りする習慣がなくて、何となく敷居が高いです。信心の仕方について、また生きる意味について、相談できるお寺が欲しいです。また他宗の座禅会に縁あって誘われましたが、行って大丈夫でしょうか?
また、娘達は高校大学とキリスト教系で、次女は学校の礼拝と聖書の講義が好きで、大学の教会に行きたいそうです。お仏壇には自発的に食前食後お礼を言って御先祖さまの存在を感じるそうです。教会も休学中の大学に通うきっかけや心の支えになれば。でもお仏壇と教会通いは両立して大丈夫でしょうか?生きる意味、私たちなりの信心の仕方について教えていただけたら幸いです。
すぐ、悲劇のヒロインになってしまう。自分をかわいそうな人に貶めてしまい、命と、私の為すべき人生の課題をいただいているのに、逃げてしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きる支え
拝読させて頂きました。ご家族の皆様と共に一生懸命に生きていらっしゃることを読ませて頂きました。生きる事に真摯にお向き合いなさっておられる皆様のお姿本当に頭がさがる思いです。
そしてあなたのお気持ちを心からお察し申し上げます。
ご縁のある宗派のお寺様もあるでしょうしご先祖様が今までご信仰なさってこられたので可能であれば一度今ご縁のある宗派の宗務庁や本山にお問い合わせなさって頂いてご縁を頂戴なさっても宜しいのではないかとも思います。
そしてお子様が大学で教会に通ってみたいということならばそれも良いのではないでしょうか。
またご先祖様のご供養の為に手を合わせて頂くことも良いと思います。
信仰は生きる支えになってくれます。
誰かが必ず救ってくださいます。それは神様でもあり仏様でもありご先祖様でもあります。
私達は多くの方々の支えやお見守りの中で生きています。
ですからどうか多くの支えや励ましや見守りを皆さんが受けて真心のこもった信仰の心を養って頂きたいと存じます。
あなたもお子様達も多くの励まし支えの中でこれからの未来をしっかりと健やかに成長なさり生き抜いて頂きます様にと心より神仏にご祈念申し上げます。
質問者からのお礼
Azuma様
すぐにご回答くださり、本当にありがとうございました。お礼が遅くなりすみません。
切羽詰まっていましたので、すぐに向き合ってくださる方がいたことに、まず救われ、また、神仏、宗派に限らず救いを求めればひらかれていくことにを、お聞きして、張り詰めた気持ちが和らぎました。
また、次女が教会に行くことも肯定していだだいて、本当にほっとしました。
困難が起こることから目を背けず、あきらめずに助けを求める強い心を持ち。目の前の家族が、今日も生きていてくれること、私もまた新しい朝を迎えたことを、朝夕感謝し、命ある限り、ただそれを積み重ねて生きていくということなのかな?と思いました。
私としては子供に最善と考えに考えてとった行動も、子供にとっては重荷であったり押し付けであったり。罪深さにどうしようもなく自分を責めるばかりでした。私が自分を責めても、いいことなど何もないとわかりながら、すべなく過ごしておりました。
そんな私であっても、すべてを受け止めてくださる仏さまという存在があること、支えになります。パワーをくださる神さまの存在、身をもって教えに生きることを示したキリスト様、皆が導いてくださるのですね。
私のハンドルネーム、ことのは は言葉に命が宿る言霊への想いをこめてつけました。言葉が届いたこと、心にひびく木霊のように、私に返してくださったことに、あらためて言葉の力を信じます。
本当にありがとうございました。