嫌でも行くというのができません…
こんにちは
一週間ほどバイトに行けていません。
今までは嫌でもなんとか踏ん張っていたのですが、この一週間いけませんでした。
私は中学高校と通えず今は通信の高校に通っています。
原因はイジメなどではなく一度行きづらくなりそこからズルズルと行けなくなりました。
きっとこの数年、行けなくて当たり前、行けたら頑張ったと周りからも私自身も思うようになってしまったため、踏ん張る力がなくなってしまったのだと思います。
バイトは、店長からは頑張れと言われていて私の状態を理解してくれているのですが、そう長くは迷惑をかけられません。
いつクビと言われてもおかしくないと思います。
次のバイトは日曜日で毎回頑張ろうと思っているのですが、いつも行けません。
お金のため、楽しみのため、病んでしまわないため。
そう考えても行けません…
今日もいけませんでした。
行けなかった時の、
今日も行けなかった…またその分お給料減っちゃった
と落ち込みますが、
踏ん張ることができません…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生の主人公はあなた、誰も代われない
こんばんは
以前から色々ご質問いただいてますが最近は特にお悩みの様ですね。
私たちは回答者として優しい言葉をかけたり、厳しく怒ったり、喝を入れたり、視点を変えるよう促したり…色んな言葉をかけますが、結局変わるか変わらないかは質問者さん本人の問題です。
言ってしまえば変わっても変わらなくても私たちは困りません。困るのは本人なのです。そういう意味では私たちは無責任です。人生・いのちという誰にも代わってもらえない責任は本人しか負えません。
ですからはるかさんが踏ん張れても、踏ん張れなくても私はどうしようもありません。しかし、はるかさんが「こうしたい」と思う方に進んで欲しいと願っています。
踏ん張れなくても生きる方法はあります。本当に働けなくてもこの国には社会保障制度があります。
あとは、はるかさんがこれから先どう生きたいのか?という問題です。
誰も代われません。代わってくれません。
できなくてもいいのです。失敗してもいいのです。迷惑をかけてもいいのです。
それでも
「こうしたい」「こうなりたい」
という願いは見失わないでください。そしてできることであれば願いを歩みにつなげてみましょう。
一人で歩けない道も仲間がいればなんとかなります。頭を下げて色んな人に助けてもらいましょう。
バイトの日に迎えに来てくださいと土下座してお願いすることだってできるのです。
はるかさんははるかさんのままでいい。
だからこそ、自分がどうしたいのか、という願いを持ちましょう!