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いろいろ質問いいですか

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

僕は幼稚園、小学2年生まで不登校でした。
理由は、人がめちゃくちゃ暴力をふるう存在と思っていて、死ぬほど怖かったからです。今でも人と会うと、必ず暴力の陰に怯えます。
親の怒りや主張には、死ぬ気で抵抗しました。
それでも行き始めた理由は、親が殴る蹴るといったことを繰り返し、ごはんも作らず、外に追い出されそうになったからです。
親の判断は間違っているんですか?
僕も子供を作ったとき、同じことをすればいいんですか?
正直、幼い時から母親を殺したいと願わない日々はなかった。小さいときに離婚して消えた父親の無関心さも今思うと許せない。
学校なんていくんじゃなかった。
なんでいう通りにしたがって、忍耐することを選んでしまったのだろうと思うんです。
とてつもない後悔です。
しかし、こうしてでも学校に行かせた親は立派なんですか?
人は本来、何にも束縛されずに自由に生きる力を持っているのだと思います。
それをあの手この手で社会の枠組みのようなものに無理やりあてはめようとする。
それを親の愛だというのは嘘だと思います。
親は自分の世間体、他人より優位にたつこと、それぐらいしか考えてないんじゃないですか。
「育ててやってる親になんてことを」
親自身がそういうことをいうのもはっきり言って最低だと思います。
ここでの質問を見てると、子育てに悩む親は子供が不登校だ、働かない、勉強しない、こういう振る舞いをする、とか悩んでます。
こういうのを見るとそれは全部お前らの勝手な理想像だろと感じます。
親は子を自由にしてもいいんですか?
食わしてるからなんでも従えというのが真理なんですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

反面教師とする

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

おっしゃる通りに、何も全てを一律に世間の物差しに合わせることはありません。

例えば、感謝できない母や父を持っている者にとっては、まさに苦痛・トラウマとなる母の日、父の日など、拙生は無くすべきだと考えています。

親にも、悪い親もいれば、良い親もいる、また、当然に悪い子もいれば、良い子もいる、その中で、色々と適宜により良い人生、幸せへと向けて対応していかなければならない、というところでございます。

ただ、ある程度は、社会的倫理、道徳、法律・ルールを守らなければ、社会で生きていくことに困難さが生じてしまうのも確かであります。

教育・しつけも、そのあたりのバランスが求められるものとなり、できる限り親の勝手、独善、自己満足、モラハラとなるような極端さは排斥して参りたいものでございます。

是非、親御さんを反面教師として、貴方様は、良い親となって頂けましたら有り難いことであると存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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子供は親の所有物ではない。親も子の所有物ではない。

子供は親の所有物ではありません。
親の思う通りにいかないことも仕方ないのです。
また逆に、親も子供の所有物ではありません。
あなたから見て理想の母ではなかった、しかし、思い通りの母じゃなかったら母に怒るということなら、結局あなたが考えていることはお母さんと同じレベルなんです。
子供も母も別々の個性がある人間だから、うまく噛み合わないことがあるのは当然です。
あなたが学校に無理やり行かせようとした母に怒っているなら、母が学校に行かないあなたに怒ったのと同じレベルなのです。

ただ、親は子供の将来の幸せを考えた場合、何らかの教育を受けさせる責任があるし、何らかの教育を受けないと子供は社会で生きていけません。
学校へ行かせようとすることは、親としては普通です。
そこで、学校に行かない子供だった場合に、激しく怒ったり攻撃するのは悪いこと(悩み苦しみの原因)なのですが、
冷静に(怒らず慈しみで)、子供に教育を受けさせるように努めるのは、親の義務でしょう。
学校に行かなくても学習できる方法を探すのもよいですが、当時のお母さんはその方法がわからなかったのでしょうね。
仏教は、自分(あなた)と他人(お母さん)の悩み苦しみをなくすための教えです。
ですから、今、あなたは、自分とお母さんがこれから幸せになることを考えてください。
過去を後悔したって、嫌な気分になるだけで、現在の幸せにはなりませんし。
お母さんはあなたの所有物ではありません。
あなたにはお母さんを殺す権利も必要性もないのです。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩や、自分の物ではないものを自分の物だと錯覚・執着する煩悩は、悩み苦しみの原因になります。
殺したいという欲、母への怒り、
短絡的な方法しか考えようとしない怠け、自分を他人と比べてしまうプライド、
自分の物ではない他人である母に理想像を期待する執着心(こだわり、プライド)、
例えばそのような煩悩達が心に浮かんだ場合、
心の中で、
「欲・怒り・怠け・プライドは煩悩」と念じ、
また、口で「南無阿弥陀仏」ととなえて、母があんな母でも、自分の人生がどんな人生でも、阿弥陀仏は救ってくださる、
と思ってください。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

好きでこーなったんじゃないです。そのレベルの低い人間でも救ってくれるっていう阿弥陀仏に会ってみたいですね。

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