中高時代の友人をすべて失った
中学で生徒教師養護教諭にいじめられ鬱病発症。精神科処方薬に付け込まれていました。付属高校は退学
医師の酷い言葉に転医し紹介されたカウンセラーが発達障害に気が付き苦しみが上手く表現できなかったから親も理解できなかったこと、不定愁訴を起こしやすいこと、赤ちゃんのなき声に耐えられないのは感覚過敏だからということ、明瞭になっていく毎日
中高ではひどい仕打ちでした。病気理由に除籍されそうになったことも保健室には入室禁止と言われたこと…酷かったと話すと「学校の悪口言う人嫌い」と言う同級生
2人だけ連絡取る人がいました。一人は大学休学したいと去年から相談してくれました。今年に入り私の勧め通り診断書を書いてもらい提出したそうです。診断書は同級生の医師の娘のつてで書いてもらったとか。それ以降、私も他の友人も連絡が取れなくなった。友人が医師を紹介した人にやり取りしてたが内容意味不明だった。私とやり取りしてほしいと話したら「連絡先教えたくない」とか
皆卒業前の1月に推薦合格を決めた同級生と2人であった時、話の内容が辛く目の前で連絡先を消しました。転医すらする気力も起きないくらい医師から暴言を受けていた私は先の医師の娘が父を超えるためだけに医師になるというのを推薦で合格決めた人が賞賛し賛同を求められました。人の役に立つ気持ちなく親を超えるために医師になることが信じられず医師からボロボロにされていた私はショックでした
卒業前3月初め頃連絡を取っていた友人が卒業式前後にメールできなくなる人増えました。推薦合格した人の周りから順に。医師の娘もその一人。私がやったことだけが酷いと伝わり片方からの沙汰のみで私に何故?とも聞かずに私を嫌ったと理解しました。当時机にむかえない状態。親を超えるための道具として医師になる話、刺さりました。片方のみからの話で沙汰するところや発達障害でもない彼女たちだからこそ「何故」と思えなかったから私の気持ちを考えることができずそうした、発達障害だからこそ先天的に相手の気持ちがわからない、常に何故その表情・声色・言動したのか私は考えるけれどできないんだ。発見が遅れたのは知能が高いから、不幸になる高い知能よりも普通に生まれたかった。皆勘違いして私だけ悪者。病床の私にすべき話をしたり親を超えるために医師になることは言うべきではない。尻拭いは私。生まれたくなかった
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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失った事で得られたことを大切にしよう
人間何も持たん方がいいものです。
私も友達とうまくいかなかったり、仲の良いのがいたりしますが、それでも彼らは完全に自分と同じではないので、そこそこいい距離で付き合っています。
まずは、大変でしたねぇ。
可哀想にねえ。ナデナデしてあげたいですが、埼玉からTOKYOは像の鼻、キリンの首ぐらい離れていますし(もっとだ)、届かんのですよ。
変な質問しますが、時計っていつも持っていますか?
わたしゃケータイくらいしか持っていないのですが、持っている時でも「持っていない時」があります。自分の持ち物なのに、それの存在すら忘れている。
たとえばあなたのお部屋の中にある洋服ダンスの中のものも、あなたのモノなんですけど、それを忘れていたでしょう。
それがいいのです。
モノにもたれたり、縛られたりしないから。
そういうのを無所得の所得といいます。
私は、だからものも友達もこういう電化製品も持っていながらも、それをわすれているときがあります。
それがモノや人との一番良い関わりなんですよ。
医師になろうが、親だろうが、自分だ自分だ、したものなんざぁ、いったん、手放しちまうことですな。('◇')ポインチョ
そーすっと、この身は誰ともかかわっていない本来の自分に帰ってきます。
関わりがありながらも、そんなしがらみも所有されていない。
超、大平凡のド平凡になります。
ほら、もう、失われたものなんて、元々無いでしょう?
あなたが自分のものだと思っていながら、自分から手放せてポインチョできていたからですよ。
そういう涼しい生き方があります。
わたしゃ最近太り気味ですが、肉に持たれていない、みたいな。
自分にこだわりすぎたり、自分の持ち物が多いと、少しの変動で損した得した、勝った負けた、騒がしくねえっすか、そういう生き方。
もっと涼しい生き方、軽やかな生き方があるんだっちゃよ。
もっと学んでみようと思ったらネットと脳内の情報世界の沼地から抜け出して、こっちゃコイコイ、出てこんけん。
どんぐりコロコロどんぐり子。
お池にハマってさあ大変。和尚が出てきてこんにちは。
お嬢ちゃん一緒に、学びましょう。
ドージョ、うちでも近所でも、お寺にお越しやす。
ごめんなさい
きっと、おつらい中でここに投稿して下さったのだろうと思います。
しかし、仰りたいことがよく分かりません。まず句点「、」が少ない。会話や思ったことの内容はカギカッコをつけると伝わりやすいです。
たぶんケータイかスマホで書いていると思いますが、ご一考下さい。
私が理解した(解釈した)ことは、
○中学校の時に、鬱病が発症した。周り(医者含む)から酷い扱いを受けた。高校は退学した。
○その中で、友達が2人いた。
○1人は大学を休学したいとの事で、診断書のアドバイスをしたが、その後連絡を絶たれた。
○1月に、推薦入学を決めた友達と会ったが、その場で「医師の娘」が「親を越えるために医者になる」と聞かされ、その価値観が信じられずショックだった。
○卒業後、その「1月に会った友達」の周りから、連絡が取れなくなる人が増えた。私を嫌いになったからだろう。
○周りの友達は発達障害ではないので、私のことを理解できずに、そうしたのだろうと思う。
○私は発達障害があるので、周りの人の表情など見るけれど、気持ちがよく分からない。
○しかし知能は高いので、発見されずらかった。
○私のことを(病気ふくめて)理解して、その上でつきあって欲しい。
私は、あなたの言いたいことを汲み取れたでしょうか?
質問者からのお礼
お返事大変遅くなりまして、申し訳ありません。また、読みにくいというご指摘、ありがとうございます。大錯乱しながら書いたことと、文字数が多すぎて、うまく伝わらない文章になってしまいました。本当に申し訳ありません。
佐藤様
少し、というか、かなり違った解釈をさせてしまいました。お詫びとともにお伝えしたかったことを、少し訂正させていただければ幸いです。
中学のこと、おっしゃる通りです。発達障害の二次障害としてうつ病を発症してしまいました。
ひどい扱いを兎に角受け続けました。そしてそれは、発達障害であることが原因でした。
発達障害であったことで、今の最初の投稿のように、苦しくなると相手に私の言いたいことと、真逆あるいは違うことが伝わってしまうのです。(本当に苦しくなった時ほど、こうなります。言葉足らずだったり、思考回路を説明しようとすると、細かすぎて相手を大混乱させてしまいます。)
大学休学した友人は、今、誰が連絡しても返答がないそうです。私だけと切れたのではないようです。(もう一人、友人だった人も連絡取れず、とのことでした)
18歳の1月のこと、おっしゃる通りです。なぜ、そのことを書いたかといいますと、私の同級生ほとんどが私と連絡を絶った理由だと思っているからです。時系列的な根拠をもとに話しております。
発達障害である私の所属した中高は発達障害ではない人しかいないといっても過言ではないと思います。入試問題の出題が根拠です。
これ以下の解釈が訂正があります。
発達障害者は相手の気持ちを読み取るのが苦手です。でも、私は周りの気持ちを察することができます。検査結果に「後天的な学習によって周りの気持ちを理解することができるようになっている」と報告があります。
知能が高いほど学習できます。現在は学習によって周りに溶け込めてしまえるくらいであったために発見が大変遅れた、との検査結果です。
病気も含めて、理解してほしいという気持ちはさらさらないです。理解してくれなくても問題ない。なぜならば、発達障害者の中で生きれば、今までのつらさを味わずにすみます。東大など上位の大学に進学する・理系に進学する、この2つを満たせば発達障害者の割合がかなり多いので楽に生きられると先生から言われました。別にほかの人に理解は求めません。してくれなくて問題ない。理解して、私を導いてくれる医療関係者に出会えたこと、両親が先生から話を聞き、しっかりと私のことを理解し始めてくれたこと、そして予備校関係者も理解があること、幼馴染など複数人の友人が、私の特性を知った上でのやり取りをしてくれるという、大変ありがたい環境にいるからです。ほかの人は理解しなくても全然問題ない。求めるつもりもないです。
実はこの投稿を辛さのあまり錯乱しながらした後、
その問題の人からメールがまたありました。
「私はあなたを理解したい」と書かれれば、発達障害者は特性上、誰もが真に受けます。
真に受けた私がバカでした。
説明を求められてしたことすべてが誤った解釈をされ、「あなたは甘えだ」と言われ続けました。
もともと、このやり取りになったのも、考えが違う2人がぶつかってしまったからです。
そして、彼女は「発達障害を理解したい」という、でもその割には「あなたは皆から嫌われている」だからその嫌われた理由を教えてあげるよ、みたいな感じでした。
その嫌われた理由も実はすべて解明済みです。発達障害者とそれ以外の人の間で起こる摩擦が引き起こしたことです。だからそれを釈明した。そうしたらまた、私に対して理解していないことを意味するひどいことを言った。それだけです。
私は本当に理解しようと思っていない周りから理解してもらうつもりはないです。少ないかもしれないけれど、本当に貴重な素晴らしいサポーターが周りにいます。彼らがいれば、ほかはいりません。なのに、いまだに真に受けてしまって、また傷ついた。そこに対して、とても疲れてしまいました。
丹下様
あぁ…おっしゃりたいこと、すごくわかります。
その、なんというか、
「持っている感覚」に縛られることを、やめることが良い、
とのことですよね?
「持っている感覚」=「友達だと思っていた人」(友達、というものを持っている)
友達、に縛られるから、傷つく、だからやめてしまえばよい。
誰一人みな、同じ人間いない。価値観が違う合わない友人だったのだから、今回の場合、自分が持つべきものではなかったから手放してしまえばよい、とのことだと思います。
それは例え、親であったとしても、医者であったとしても、カウンセラーであったとしても、…みなそうである。ということだと理解しました。
そうすれば、「皆それぞれ違うのだから」「その相手と合わなかったら」「(どんな関係であったとしても)その関係の所有をやめてしまえばよい」
本当に、おっしゃる通りだと思います。「合わない人」にしがみつくのやめればいい。
「合う人」とだけ、仲良くしていけばよい。そんな友達百人、なんていりませんし。
だからこそ、今の私にとって、「合う」ようになった、親、医療関係者、今かかわりを持っている予備校関係者、数名の友人、とだけ今はいればいい。
この先は、自分の水の合うところに進学・就職?(専門職に絶対にいきます)していけば、またその「水の合う」人が増えて、その中で、やっていけばよいのですよね。。。
なんか、とてもホッとしました。ありがとうございました。
肝に銘じます。