医師になって良いのでしょうか
大学の医学部四年生です。
ですので3年後には医師として働いている予定です。
大学で医学の勉強をしていると知らないことばかりで面白いです。
しかし時折、治療のためつまり、医師として患者さんの状態を改善するために医学を学んでいるのか、学問のためまたは自分の好奇心のために学んでいるのかわからなくなる時があります。
こんな私が医師として臨床現場に出て医療行為を行って良いのでしょうか。
このまま医師になって良いのか不安です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
医者になりたいのか、人を救いたいのか? 誓願を持とう。
私がお医者さんにかかって感じ悪いナァと思った医師
・診察中にずっと足組しながら診察
・ずーっとパソコン入力を相手にしてこちらの言葉しか聞いていない。
・上から目線
・事務的
・芝居がかっている
・要は分からないので❝様子みましょっか!❞という無責任さ
分からないなら分からないというべき。
こういうたぐいの医者は、おそらく流れで医者になったのでしょうか、愛がない、やる気もない、人のためにという気持も感じられない、誓願もない、使命感もない。
患者の立場から言えば、この病気を治してほしい、救ってほしいと思っている訳です。
診察という症状の善し悪しや人命を左右する 現場は、救いの場であって、医師にとっては学びの場ではあっても学問の場、好奇心の場であってはならないと思います。
僧侶の世界でももっと有能な有力者がそのポストに就けばもっと良くなることがあっても、みな利権や自分の名誉のためにその役職に就く、ということがあります。
よって自分に問うべきこととして
「人を救いたいのか、学問をしたいのか。」
ぶっちゃけ、ここにこの質問をされてくること自体で、人を救いたいという気持ちが薄いのだと思います。
あなたの立場ならば、黙っていてもそのまま医療の現場に就いてしまう、ということが問題です。私は個人的に誓願を持っていただきたいと思います。
修行中に出会った坊さんでも、誓願の無い坊さんは❝坊さんという仕事に就こう❞としていた人間であって、いま考えてみれば、彼らは、いきさつ上、流れの上でたまたま僧の世界に流れ着いただけの人であって「坊さん」ではなかったと思える人は沢山いました。
医療業界にも同じことは言えるはずでしょう。
わたしだって僧侶としてはまだまだ半人前です。
大学卒業後、現場に出て、いきなり完成はありません。
その為にも、現場に出る前に、志、誓願を強く持っていただきたいと思います。
研究を中心になさってもよいのでは
よく分からないお尋ねです。医師になるためには最低限の臨床経験は必要でしょうが、経験を積んだ後は基礎研究を専門をなさったらよいのではないですか。
もしかしたら、開業医さんの娘さんで、父上または母上のあとを継いで臨床畑に進むことが決まっているので悩んでおられるということなのでしょうか。
好奇心がいずれ患者さんのためになる。
「患者さんのため」と「自分のため」は同じ線上にありませんか?
自分の好奇心にしたがって学んだ学問が活かされる場が、臨床現場なのではないですか?
何年も医師を続けていると、きっと
「あの時、好奇心で学んだことが活きた!」と思うような場面に
めぐり合うと思います。
仏教も、お釈迦さまの「死とは」「生とは」「苦しみとは」などへの
好奇心からスタートしています。
学びと実践は別のものではなく、つなげていくものです。
もしも、自分の学びが、直接患者さんの救済につながらなくても、
自分がその学びにより成長することで、
きっと他の誰かに影響を与えます。
それが仏教の「縁」というものです。
何のために
という問いを立てられたのですね。それは結構な事だと思います。世の中、「取り敢えず」でしか進めない時もありますが、万事それでは根無し草。「何のために」の答えを持っていると、迷った時に戻る原点になりますよ。そして、人と接する時も「この人は何のために、何を求めて私に会っているのか?」を想像するといいですよ。
どうするか^_^は、もちろんご自分で決断するよりないでしょう。
ただ、このhasunohaにいる坊さんがたは、相当はっきりと、臨床的です。そういう人たちに質問をしている、ということはご自覚ください。
私としては、自分の趣味とか満足のために留めないで欲しいな、とは思いますよ。かの『ブラックジャック
』お読みになっては如何ですか?
能力に応じた仕事をすれば、社会があなたを育ててくれる
たしかに、医師は人の命に係わる仕事ですから責任を感じてしまうのはわかります。
しかし、よくよく考えてみると、どんな仕事でも他人の人生に影響を与えるので責任重大なのです。
ですから、あなたはあなたの能力に応じた仕事に就いて、あなた自身が健康に働いて食べていくことを考えればよいのです。
どんな職場に就職しても、その職場なりに果たすべき責任を果たせる能力があれば、必ず人の役に立ちます。
ですから、あなた自身に高尚な志がなくてもよいのです。
志は、仕事が、社会が育ててくれます。
能力に応じた仕事に就職して、社会に身を任せればよいのです。
あなたに、今さら「やっぱりプロゴルファーを目指します」と言われたらいい迷惑です。
おとなしく医師になってもらったほうが社会の役に立ちます。