浄土真宗門徒の坐禅について回答受付中
救いを求めて、今年の1月から浄土真宗の勉強を続けて来ました。毎日、お勤めをしたり、お聴聞をしたり、お寺に通ったりしてきました。毎日お念仏を頂いてきました。半年がたった今、少しずつ「有難い」と思う時間が増えております。しかし、なかなか自分に集中することができないのが悩みです。正式な診断を受けた訳ではありませんが、恋愛依存症のような傾向があって、苦しくなることが度々あります。(今度、精神科を受診する予定です。)他人のことではなく、もっと自分の人生に集中したいし、全身で救いを感じたいというのが本音です。
そこで、姿勢を正して、呼吸を整えるのはどうかと考えました。自分の姿勢を整え、吐く息、吸う息に集中すれば、おのずと自分に集中できるようになるのではないかと思ったからです。また、姿勢や呼吸を整えると身体と心に良いとも聴きました。
ただ、ひとつ懸念があります。私は浄土真宗の門徒です。今のところ、禅宗に改宗する気はありません。浄土真宗の門徒が坐禅をしても大丈夫でしょうか。浄土真宗の御教えの中にはないことをするので、少し不安があります。…ご教授頂けますと幸いです。よろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 3件
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他の修行も善行為
私は浄土宗僧侶ですが、大変興味深いご質問だと感じました。
座禅は六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の後半3つに該当する修行でしょうね。
阿弥陀仏は六波羅蜜を実践できない者や、実践しても悟れない者でも必ず救うと誓われていますね。
ですから、往生極楽に六波羅蜜は必要ではないと信じること(本願を信じること)が浄土教の肝です。
ですが、六波羅蜜を実践してはいけないとは言えません。
もしそうなら、布施(見返りを求めず他人に施す)や忍辱(怒らずに慈悲を意識する)もやってはダメだと言うことになりますからね。
ということで、私は、本願への疑いにならない限りにおいて、座禅をしても良いと考えます。
あくまで個人的意見ですのでご了承ください。
仏道は生き方ですから、焦らずに参りましょうね。南無阿弥陀仏
集中できるのであれば、やってみてもいいんじゃないですかね。
ですが修行である坐禅を自己流でするよりも、身近なヨガポーズを取り入れても良いんじゃないかしら。
身体もほぐれてリラックスできますし、姿勢改善にもなり気持ちがいいですよ。毎日続けると、ストレス軽減や集中力向上に繋がっていきます。
私は静かな夜、寝る前の僅かな時間、YouTube動画で取り組んでいます。毎日のルーティンにしていて、心身も整いますよ。お勧めです。
仏道は生き方ですから、焦らずに参りましょうね。
南無阿弥陀仏
念念従心起 念念不離心。
はじめまして。 浩文(こうぶん)と申します。
かの宮沢賢治の父親は浄土真宗の門徒ですが、主宰する勉強会では禅僧を講師として招くなど活動もされ、そして自身も参禅者であったようです。
幼き賢治もその影響からか
盛岡の禅寺に参禅していた記録が残っています。
それぞれの教えの矛盾を懸念するよりも、
むしろご自分が何に疑問を持ち、どんな教えに感化されるかはやってみないとわかりませんから、奨励したい気持ちです。
また、改宗する気はない、私は真宗の門徒だ、という決意も大変立派だと思います。
なおのこと参禅も真剣に取り組まれることでしょうから、その功徳に私もあやかりたいものです。
南無阿弥陀仏 合掌