浄土真宗における生まれ変わりについて回答受付中
浄土真宗の門徒です(大谷派)。菩提寺のご住職が法要で「人は死んでから7日毎に生を受ける」「早ければ二七日、遅くとも四十九日には次の生を受ける」「そして浄土にお進みになる」と仰っていました。(きちんと理解できていないので厳密には違うかもしれませんが…)
少しかじった程度の自分の記憶では人は亡くなったらその場で成仏する(浄土にお生まれになる)、浄土真宗において霊魂の概念はない(なのでお盆には帰ってこずお盆はお救いくださる阿弥陀様に感謝をする日)、なので生まれ変わりもないと思っていましたが、聞いた感じだと自分の認識が違うようです。浄土真宗においての生まれ変わり、もしくは死後はどう考えられているのでしょうか。ご教授いただきたくよろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 2件
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浄土真宗の生まれ変わりは、阿弥陀仏の本願力による往生即成仏
やまいしさんが、浄土真宗の門徒さんでいらっしゃるとのこと、そして、これまで聞いてきたことと菩提寺のご住職のお話に違いを感じ、ご自身の理解に不安を覚えておられるのですね。抱いた問いをうやむやにせず、こうしてハスノハに尋ねてくださったことにお礼を申し上げます。
菩提寺のご住職が「人は死んでから7日毎に生を受ける」「四十九日には次の生を受け、浄土に進む」とおっしゃったとのこと。確かに、仏教には様々な宗旨があり、それぞれに死後の世界や供養のあり方について、少しずつ異なる捉え方があります。ご住職のお話は、もしかしたら、そうした他の宗旨(=浄土真宗以外)の教えや、古くからの日本の慣習などを踏まえてお話しされたのかもしれませんね。
浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、阿弥陀如来という仏さまの、限りなく大きく、そして分け隔てのないお慈悲の心(本願)を、私たちに教えてくださいました。その教えの核心は「どのような人間であっても、心から阿弥陀さまを信じお念仏(南無阿弥陀仏)を称えるならば、いのち終えたその時に一切の迷いや苦しみを超えて、直ちに阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ、仏となることができる(往生即成仏)」というものです。
ですから、浄土真宗では、亡くなった方が7日ごとにどこかへ生まれ変わったり、四十九日間さまよったりするという考え方は、基本的にはいたしません。お盆にご先祖さまが「帰ってくる」というよりは、阿弥陀仏の本願力によって成仏されたご先祖さまの導きに感謝する大切な期間と捉えます。
もちろん、これは他の宗旨の教えやそれぞれの地域で大切にされてきた風習を、否定するものではありません。ただ、親鸞聖人が私たちに示してくださった浄土真宗の「み教え」の基本は、「阿弥陀さまを信じれば(聞即信)、誰もが必ずお浄土へ往ける」という、分け隔てのないそして大いなる安心感に包まれた道なのです。
もしかしたら、ご住職のお話には、何か別の深い意図があったのかもしれませんし、あるいは、言葉の行き違いがあったのかもしれませんね。もし、どうしても気になるようでしたら、改めてご住職に、やまいしさんが疑問に感じられた点を、素直にお尋ねになってみるのも良いかもしれません。
このお応えが、やまいしさんの心のモヤモヤを少しでも晴らす一助となれば幸いです。
生まれ変わりは説かないですね。
7日ごとの勤行も死者のための法事でなく遺された人のための意味合いが強いと考えています。
死んだらすぐ成仏なのか、浄土に至る道を歩いてるかは、学派によって解釈違いますね。
大谷派さんであれば、竹中智秀先生の講義録にいろいろ書かれていたと思います。
真宗では、という説き方でなく江戸に流行った十王経の影響を受けたとかどうとかお話されていたように思います