hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

親不孝な自分は許されますか

回答数回答 2
有り難し有り難し 33

前回いただいた有り難いお言葉を参考にして心を立て直していました。

しかし再び、心苦しく自分を責めてしまっています。
現在は過去の過ちにより数々の親不孝をしてしまっている事に思考が囚われてしまっています。
僧侶の方々のアドバイスで自分自身への後悔はもうしても仕方ないと思えるようになったのですが、今度は親不孝について悔やんでしまいます。
現在の自分は親への感謝をするたび苦しみます。
親の顔に泥を塗るような事ばかりしてきてしまい、現在の自分から見ると考えられないような事ばかりで余計に辛くなります。
自責の念に苛まれ、強い罪悪感に苦しんでしまいます。
私の過ちを知ったならどんな風に思うのだろう?親子の関係も違う形になっているんじゃないか?と‥親への罪悪感や親不孝すぎた事への後悔や申し訳なさで苦しんでいます。
なぜ、そのような過ちをしてしまったか?それすらわからない程、あのときの自分は無知で浅はかで愚かだったと思います。
親不孝をしてしまった過去についてどのように罪を償っていけば良いのか?このような親孝行の苦しみはどう乗り越えたら良いのか‥
僧侶の方の智恵をいただきたいです。
よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

親孝行や償いを❝しなければ❞という義務はやめた方がいい

前回かなさんから凡下の称号を頂いたヘイヘイ凡々の凡下です。(結構気に入っている)
あなたの場合に関しては、まだ親孝行だの償いだのを義務にすることはやめた方がいいでしょう。
そこに縛られ過ぎて、常に親の顔色をうかがいながら生活をしていく羽目になると思います。
第一、アラフォーの私でさえさしたる親孝行もしておりませんのに、随分とまぁ早い親孝行であるとも感じます。親が好きなら自然に好意となって働きかける。それが本当の孝行というものです。
凡下になぞらえてお話させていただきますと、人は本当に凡人になれるとよいのです。
親の期待する理想的な自分の像を描いてしまっておられませんか?
平凡、平凡、大平凡を生きる。
ああ、自分は凡人なんだなぁと思います。
そうすると一切のものから恵まれているんだなぁという事を感じられるようになるのです。
そこの自覚があればあなたは親と義務で接することが無くなるでしょう。
自分のド平凡を自覚することで、ああ、ありがたいという、親子関係になります。
そうして行為されるのが自然な親孝行でしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

親に謝る前に自分の過ちは・・・

 親に謝る前に自分が今までしてきて、他人に迷惑を掛けたことを本人に謝りましたか?そりゃね。親は過ちを犯す子よりもしない子の方が良いですが、過ちをしたことをしっかり反省し、迷惑を掛けた人に謝る方が本当の意味で親を思っての行動と思います。
 「親孝行」ということ言葉自体は儒教の教えからきております。お釈迦様の出家の行動は儒教の教えからするとタブーだと考えずおれません。それなのに僧侶が親孝行を解くのはいささか、美徳を引っ張ってきたと思わざる負えません。どちらかというとこの方がしっくりきます。「生きとし生けるものを大切にすることは父母を思うことと同じである。」(『正法眼蔵随聞記』)出来れば、貴女にはすべての事をこれから大切に行って頂きたいです。

{{count}}
有り難し
おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

質問者からのお礼

大鐵さん
有り難いアドバイスいただき、ありがとうございます。
「生きとし生けるものを大切にすることは父母を思うことと同じである」というお言葉に納得しました。
過去の過ちや失敗は自分自身の選択ミスの連続だったりします。対人関係での事は連絡方法が全く見つからない状態です。
なので自分の過ちを含め、他人に迷惑かけてしまったと思う事柄は心から懺悔していました。
今回、大変有り難いお言葉をいただいた事で改めて大切な事に気付かさせていただきました。
これからはもっと全てのことを大切に行っていくように気をつけます。
本当にありがとうございました。

丹下さん
前回は凡下さんと書いてしまい大変ご迷惑かけてしまいました。申し訳なかったです。
自分のことを凡人と思うという部分に気持ちが楽になりました。
立派に生きれなくて過ちや失敗ばかりで悔いていましたが、自分は他人より凡人なんだって思ってみたら‥慰められました。
またひとつ大切な事を教えていただきました。
本当にありがとうございます。
これから自然な親孝行ができるように、自分の自然な感謝の気持ちを両親に伝えていけたらと思います。
有り難いアドバイスいただき、ありがとうございました。

2人の僧侶の方々に今回も大切な気づきや智恵をいただきました。
私は未熟なので今回も質問してしまいましたが、たくさん励ましていただきました。

2人の僧侶の方々、ありがとうございました。また救われました。
本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ