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学校にいけない

回答数回答 3
有り難し有り難し 18

学校の担任と合いません。
酷く怒られたり、

女子といれにまではいってきて
怒鳴られ

服を引っ張られタンクトップのひもが切れたほどです。
凄く疲れて、学校へ行くのが嫌でたまりません。

行かなければ困るし、
理不尽に授業を受けさせなかったり、サッカーの試合に出たいといっても
外させられたり、
人数オーバーというわけでもありません

私は本当に疲れて病気になり、
それでも、やるせなくて時折怒りさえ覚えます。
警察に何度相談しようと思ったことでしょう、

怒鳴ったり、私のものがなくなったとき、
何もしてくれません、私は知りません
みたいな感じです。

教室に私のものが勝手に出ていたとき私が、それを、私のものだと気がつかなかったら、これは、がっこうのものにするといって、
あとできずいて取りに行ったら、
酷く怒られました。30分以上もです。

その他、遅刻をして、確認ができなかったからと、そのじゅぎょうを欠席扱いにするといったり、

いろんなことが凄くストレスなんです。
どうしたらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

この文章からすると・・・。

 この文章からすると相当追い込まれております。もう辞めなさい。学校はここだけではありません。今ではたくさんの選択肢があります。親御さんと相談して転校なりを考えて1日でも早くその学校から抜け出して下さい。また、相談したことがありましたら、いつでもhasunohaに相談してきてください。

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目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

子供の窮地を助けられるのは親しかいない

年齢から、親御さんなのでしょうか?
そうでなかったら、まず、このご回答をまず、親御さんに見せてください。
以前、学校に行けなくなった方からのご相談があり、坐禅会にお越し下さったら、即日いけるようになられた方がいました。
随分、前の回答なので、埋もれてしまっていますので、それも探してみてください。(現在捜索中)
その方は、勿論ご本人様も学校に行けるようになりたいと思っておられましたから、いけるようになりました。親が学校に行かせたいのか、子供は行きたくない状態であるのに、それでも親が行かせたいのか。まず、問題点の一つ目はそこです。そこはきちんと話し合いましょう。

それと、あなた(親御さん)は何故、何もしないのでしょう。
私が親なら、学校に乗り込んで、そんな理不尽な先生は学校でも問題にさせるべきでしょう。
学校だって問題のある教師は排除したいのです。ところが実際に現場から声が上がらなければ、そうはできません。
お子さんの言動が、自分の保身のための言動なのかどうかを確かめるためにも、即行動ではないでしょうか?
教師もこの親は何も言ってこないようだから、いくらやっても大丈夫だろう位に思っている教師もいます。みなのみせしめ生徒的な扱いにさせられる前に窮地から救ってあげてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

別の先生に相談はできない?

プロフィールの年齢が40代になってますが、間違いでしょうか?
何の学校かわかりませんが、担任以外の先生に相談することはできないのでしょうか?
また、中学や高校なら、市町村や都道府県の教育委員会に電話で相談(匿名でもよいので)してみてはどうでしょうか。
保護者の方がいらっしゃるのであれば、保護者に相談もしてください。

そもそも、怒られる理由は何でしょうか?
遅刻もよくするのでしょうか?
「またお前か」と思われないよう、同じ失敗を繰り返さないようにしたほうがよいですね。
で、過去の怒られたことは気にせずに、毎日が新しい一日と思って、初心を思い出してみてください。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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