先生の死が受け入れられません
本日報せを受けたのですが、職場で取り仕切りをされている先生が急逝されました。
地元の恩師づてでご縁をいただいた、自分にとって日本での最初の仕事で、想い入れも一入です。
50年以上無二の親友であった恩師や先生のご主人に比べたら自分は半年ほどの短いお付き合いではあったものの、はがきのやり取りなども頻繁にして非常に密なお時間をいただいてました。
先週仕事でお会いした時はいつも通りにお元気で、別れ際に「ではまた来週、よろしくお願いします。」と本当に普段通りにごあいさつして帰ってきたのですが、それが最後になってしまいました。
もっと何かできたのではないか、と後悔の念でいっぱいになってしまいます。
団体は解散せずにそのまま続けられるそうなのですが、あまりに突然でこれからどうやって気持ちの整理をつけたらいいかまったくわかりません。
先生のいない職場に行くことがとても辛いです。
近しい人の死を受け入れるにはどうすればいいですか。よろしくお願いいたします。
良くも悪くも変化を恐れます 情深い方で、比較的よく泣きます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「弔ふ」とは、訪ふ(とむらふ )ということです。
そうですか。。。辛いですね。
愛する人との別れほど、苦しいものはありません。愛別離苦という苦しみです。
どんなに親しい人とも、いつか この世の縁が尽きるときがきます。一期一会、この瞬間は最期かも知れないのです。残された者も、その寂しさ苦しさを抱えながら生きていかなければ ならない。生きるのだって 苦 なんですよねぇ。
仏教では、仏様に願われた命は、縁に出遇えた命は、救われていきます。そして、私たちを仏法に遇わせて下さいます。
大切な人の死を、悲しむだけでなく、尊い仏法の教えに 導いてくださったと、手を合わせて、訪ねていきませんか。
「弔ふ」とは、訪ふ(とむらふ )ということです。あなたが、手を合わせる その先に、亡き方が ちゃんといて下さっていますよ。
私も こちらから、手を合わせますね。合掌。
質問者からのお礼
中田様、回答ありがとうございます。
数日経ち気持ちの整理もできるかな、と思いますが、本日先方に伺わなければいけないので多少気が重いです…。もちろんお世話になりましたしごあいさつしなければいけないのですが、祭壇を見ればいよいよ変えようのない現実を受け入れなければいけません。
あんなにお元気だった先生が突然いなくなって、何気なく過ごしているようで誰一人として明日は約束されていないのだな、と思い知りました。
中田様のお言葉、心にしみました。私自身仏教のことに詳しくないので勉強不足なのですが時々読み返させていただきます。本当にありがとうございました。