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生まれ変わり

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有り難し有り難し 58

ご無沙汰ですまつなかです

生まれ変わりというのは
前世の人自身が生まれ変わるのではなく
過去世や前世の記憶や経験が

受け継ぐと言う形になっているのですよね

ならば、前世の人はいまあの世へいるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

考えたってわからんことはある

まず、今自分がやっている事を冷静に客観視してみましょう。
あなたが今、あの世、あの世、アノヨ、あの世、と言っている「あの世」なるものは、この現実世界にあるのか?
ない。
ではどこにあるのか?
分らない。
では、誰なら分かるのか?
誰もわからない。
では、誰かいたとする。
「あのよあるよ♡」
では、その人は、何を根拠に、あると言っているのか?
本に書いてあったのか?
では、その本を書いた人は、何を根拠にあの世があると言っているのか。
その人は、あの世を肉眼で、みたことがあるのか?
何か他の理由があって、あの世というものを、想定、設定、創造、作り上げたに過ぎないのではないのか?
よくよく、もう一度冷静に物事を眺めてみましょう。
あなたの言う、あの世とは、あなたが頭の中で想像した、自分の頭の中だけのファンタジーワールドが展開されたものではないでしょうか?
何を根拠に、あの世がそれほど壮大な世界になっていってしまったのでしょうか?
あの世、アノヨ、あの世、アノヨ、あの世、と言っている間に、この世がどんどんすり減っていることをそろそろ自覚した方がいいと思います。
これが私からのやさしさです。
ですが、あなたのその想像力は、小説やゲーム、アニメの世界で人々を楽しませる素晴らしいチカラになる。
ぜひ、活用して、多くの人たちを楽しませてあげてください。
でも、この際ハッキリ言っておきます。
そんなものどこにある?
自分があの世、アノヨ、あの世と考え事の世界に旅立ってしまっていることを自覚して、この世、この世、この世、この目の前の事実、真実を相手にするビジョンに切り替えるのだー。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

前世の人はもういない

前世の人自身が生まれ変わるのです。

前世の人が消えて、現在の人になっているから、前世の人はもうどこにもいません。

たとえば、私達は亡くなったご先祖に対して供養していますが、
それも、亡くなったご先祖から生まれ変わった、現にどこかで生きている生き物に対して供養しているのです。
亡くなったときのままのご先祖は、もういなくて、その生まれ変わりがどこかにいるのです。
そのご先祖は、今は、鳥になっているかもしれない、魚になっているかもしれない。
その場合は、実際には、どこかにいる鳥や魚のために供養しているのです。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

ありがとうございます

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