すごく嫌いな人がいます
すごく嫌いな友人がいて、今でもその人の事を思い出してイライラしてしまいます。
詳しく書くのは躊躇われるのですが、その友人とは大学一年生からの付き合いでした。
その人は私より裕福であるのに打たれ弱く、周囲に甘えていました。
例えば、浪人しているのに留年する、遅刻を何度も繰り返すなどです。
自分と似た性格であった友人の嫌な部分が目について、イライラしていたのですが、縁を切ったいまでも思い出してイライラしてしまいます。
私は嫌な気持ちを表情に出すなと母に言われて育ったので、友人の苛立ちを顔に出すところや、プライドの高いところが嫌だなあと思っていたのですが、我慢していました。
友人は辛い目にあってきたような感じがありましたが、私も友人からハブかれるや、人に頼れなかったなどの経験があり、鬱のようになった時期もありました。辛かったけど、我慢してきました。
私には友人があまりいなかったので、ダメダメな友人が周りに助けられて生きていたのが羨ましかったんだと思います。
その友人はある時私の事を嫌いになったようでした。
私は大学に入ってから友達とうまくできるか不安でみんなと仲良くしようと頑張って努力してきました。
その友人の事も理解しようと頑張っていたのですが、決定的に嫌われているのだなと理解した時に、なんでこの人は頑張ってないのに友達がいて、裕福なんだろうと思いました。
相手が先に私の事を嫌ったと言う事もあり、あっもう嫌だと思ってしまい、自分が気を使ってしまう、合わないと思う友人達と縁を切ってしまいました。
今でもその人の事を思い出してたまにイライラしてしまいます。
忘れたいです。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
嫌な人ほど気になってしまいますね。
無関心になれれば楽なのでしょうけど、
嫌な思いをされただけに、
どうしても心に残ってしまうのです。
私にもそのような嫌いな人がいて、
毎日何かの拍子で思い出してしまいます。
でも、
その人と同じ土俵に乗っては
自分も同じ穴のムジナだと思うようにして、
無関心を装うようにしました。
そのお陰か、
今ではそれほど腹も立たなくなりました。
くもくもさんは嫉妬心もあるようですが、
因果応報、
その友人に友達がいるのはそれなりの原因(努力)があるはずです。
くもくもさんに友達がいないのもそれなりの原因があるはずです。
辛いでしょうが、
そこも見つめるしかないと思います。
貴方の人生を妨げる被害者意識
”自分のことを嫌いな人”と”自分のことを好きな人”
どっちが大切ですか?
私は後者です。
有限の時間、有効に使いたいと思いますので、”自分のことを好きな人”に貢献したいと思います。
私は、”自分のことを嫌いな人”なんかに付き合ってる暇がありません。
この相談を読んだ時点で、貴方に厳しいながら言わなければならないことがあります。
受け入れられなくても、憶えておいてください。
これを受け入れなきゃ、貴方はずっと成長できません。
『なんでこの人は頑張ってないのに友達がいて、裕福なんだろう』
なんと傲慢で、自分勝手で、独りよがりな評価でしょうか。
私は頑張っていて、評価されて無くて、もっと報われるべき!
あいつは頑張って無くて、友達がいて、もらいすぎ!
こう読めてしまいますよ。
思っていなくても、自分の中でつながっていない思いを冷静に見つめ直すと外からはつながって見えていた。というのはよくある話です。
頑張ってる、なんて言葉は他人が評価して言うことであって、自分で自分に使ってはいけません。
頑張ってない、なんて相手の心の中を覗けもしないのに言っていい言葉ではありません。
残酷な話をします。
世の中、頑張らなくても友だちができる人なんていくらでもいます。
そんな人達から『貴方は友達とお話しただけでしょ、それほど頑張ってないじゃない』なんて言われたらどれほど傷つきますか?
その友人には、遅刻しないことが、留年しないことが、頑張っても頑張っても出来ないことだったのかもしれません。
『俺は頑張ってないから』と自虐風に言ったとしても、その程度の虚勢すら張らない人のほうが珍しいですし、当てになりません。
他人に『頑張っていない』などという言葉、絶対に使わないでください。
貴方自身の心を突き刺す言葉です。
質問者からのお礼
お礼を差し上げるのが遅くなってしまい、申し訳ありません。
そして、ご回答ありがとうございます。
解決はしていないのですが、忘れるくらいには落ち着いてまいりました。
うまく文章にすることはできないのですが、回答くださったお二方には感謝しております。
人との関わり方について、自分の中で考えていきたいと思います。
末筆ながらご多幸をお祈りいたします。
ありがとうございました。