救えた命を見逃して、自分が解らなくなりました
いつか必ず死ねる。そう思うと気が楽です。
いつかは一体何時なのか?平均寿命なんて生きてしまったら、そう考えるとぞっとします。
自分の死ぬ時期も死に方も選べません。
でも私の手の中にあった愛犬の命は、私の過失がなければ、失われることのない命だったはずです。何の考えも及ばない私は、ただの馬鹿なのか、疫病神なのか、自分の行動が理解できません。(同じ部屋にいた愛犬を熱中症にしてしまい、死なせてしまいました。)
私には命を救う力などありません。
なのに、奪う事だけは出来てしまうなんて、そんな力要らなかったのに。
周りを幸せにする力もありません。
こんな自分のこの先が不安で、怖くて仕方ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その子はいつもあなたに
拝読させて頂きました。
大切なものを失ってしまった悲しみや己のしたことへの後悔で今生きることが本当にお辛いことでしょう。
あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
その子が熱中症によって亡くなってしまったことは本当に悲しく悔しいことですよね。少しでも長くご一緒にいてほしかったでしょうし、その子もあなたと毎日の生活を送りたかったことでしょう。
それでもそのようなめぐり合せによってその子は生命を全うされたのです。
それはめぐり合わせたことです。定めであったのです。
今その子はもう仏様の元に生まれて心安らかになっております。
これから仏様の下で成仏なされてあなたを見守り続けてくださるのです。
悲しみや後悔の念は尽きないでしょうが、そのお気持ちをそのままその子のご供養のお気持ちとしてこらからも捧げてください。
悲しく苦しい時にはその子を思い真心こめてその子に手を合わせて心安らかにとお念仏おとなえなさってくださいね。
南無阿弥陀仏
いついかなるときでもあなたのその思いはその子に通じ、その子は仏様にお見守り頂くこととなるのです。
そしてこれからも永遠にその子はあなたとご縁がつなっがています。
いつの日にかあなたが生命を全うされる時にはその子に再会なさいます。そして再び喜び分かち合うことでしょう。
それまであなたは心を清めて素直なお気持ちで日々健やかに生きてくださいね。その子はいつもあなたに微笑んでくれていますからね。
質問者からのお礼
一向寺 Kousyo Kuuyo Azuma 様
前回に引き続き、お言葉をいただけて大変うれしく思います。
私の周りに、この事を相談出来る人が誰一人おらず、いつも一人で悩みもがいています。
前回より、愛犬が仏様の元にいると教えいただき、私のような過ちを犯さない仏様の元なら安心だと自分に言い聞かせてきました。
それでも最期にあんな苦しい思いをさせたことに、ただただ申し訳なく胸が苦しくなります。
昨日も今もあの子がいた状況下で過ごしています。少しでもあの子の苦しみを感じるように。
こんな暑い思いをさせたんだと、自分に罰を与えています。こんな事しても罪は償えないこともわかります。
正直もう仕方ないと割り切って楽になりたい自分がいます。もう一方で、愛犬を死なせて心身共に苦しめと
自分を許さない自分もいます。
前回、今回と頂いたお言葉を何度も読み返し、心を落ち着かせたいと思います。
頂いたお言葉を本当に心から理解し、受け止められるとき、私は救われ、愛犬にも笑顔を見せれる気がします。
心が弱い私はまだまだ泣いて喚いてもがくと思います。あんな最期を迎えさせてしまいましたが、愛犬を大切に愛情をかけてきた日々が、全て嘘にならない様に強くありたいと思います。
読んでいただき、ご回答いただき本当にありがとうございます。思いに寄り添って下さる方がいることは、とても心強くありがたいです。