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死なせてしまった猫への償いをしたい

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初めて質問をさせていただきます。よろしくお願いします。
先月のことです。
図書館までの道中で、猫が車道にいるのを見つけました。
首輪もつけておらず、その地域は野良猫が多い場所なのでおそらく地域猫が生んだ子供でした。
その猫は生後一ヶ月ほどのかなり小さい猫でした。どうやらすでに一回車に轢かれたらしく、後ろ足が動かないようで前足だけで必死に移動していました。
今にも車が来て、もう一回轢かれてしまいそうだったので、私はとっさにその猫を抱き上げて、歩道まで連れて行きました。
そしてその後、動物病院なり保健所なり連絡すれば良かったのですが、どうすればいいかわからず、歩道に一匹置き去りにしていってしまいました。
「きっと他の誰かが何かしてくれるだろう」という他人任せな感情で私は立ち去りました。
15分ほどで用事を済ませ、図書館を出ました。帰る時は別のルートからも帰れるのにも関わらず、猫のことがどうしても気にかかり、その道へ戻りました。
その場所まで行くと、女性三人が道端で固まっているのを見て、「まさか」と思い、心臓が握られたような感覚を覚えました。
その女性たちは道端で横たわる小さな猫を見ていました。
あの猫でした。猫は息を引き取っていました。
女性の一人によると、「10分前ぐらいまで猫は生きていたけど、今動かなくなった」と言っていました。
女性たちは猫の死因についていろんな憶測を立てていましたが、私は黙っていました。
私がもし猫を見捨てずに、どこかに連絡して助けていたら、この猫は今も元気にみーみー鳴いていたのかもしれないのです。
私が猫を殺したようなものでした。一ヶ月経ったにも関わらず、最後に見た猫の顔が、今もずっと脳裏から離れず、苦しいです。
どうしたら死んでしまったあの猫への償いになるのでしょうか。
また今のこの苦しみは一生背負わなければならないものなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

命の終わりに「気づき」をいただく

あなこんださんは心の優しいお人ですね。そして大変ショックな出来事でしたね。

私でもおそらく同じように考え、同じように行動したと思います。あなこんださんはその時その場でできる限りのことをした。猫ちゃんは本当にあなこんださんが殺したと言えるのでしょうか。
では仮に動物病院に運んだとしてそれでも助からなかったとしたら、「私は病院まで運んだのだから責任はない、悪いのは病院の先生だ!」と先生を責めるでしょうか?そんなことはないでしょう?それぞれがそれぞれの縁でできることをした、あとは命の終わりのタイミングがどこであったか…それがたまたまあなこんださんのところであったということではいでしょうか?

今回の出来事を苦しみとして一生背負うのかどうかはわかりません。私個人のことを言えば、子どものころに外で遊んでいて虫を死なせてしまったことがありますが(子どもながらの残酷な遊びです)、そんなことは10数年キレイさっぱり忘れていました。しかしこうして仏教に縁をいただいた今は時折「なんてひどい事をしたもんだろうか」と脳裏に浮かびます。
それでもまた普通に蚊を手でつぶしたりします。私というのはそんな存在です。

そういう自らの罪悪性が仏法によって知らされることを懺悔(さんげ)と言います。懺悔は自己反省とは違います。「私は残酷な人間だ…これからは気をつけよう」なんていう頭だけの理解とごまかしによる自己弁護ではありません。反省してもしきれないだけの罪悪性をこの私が抱えて生きているという身の事実を仏法の教えからつきつけられるのです。

今回の件は非常に悲しい出来事でありました。しかし私たちは何を悲しみ、何なら悲しくないのか…その基準はどこにあるのか?我が身の都合、我が身の執着ではないのか?私は本当に悲しむべきことを悲しんでいるのか?
今回の件が猫ではなく虫だったら…。いやいや毎日の食事でいただく命の問題はでは悲しくないのか?

そういう「気づき」をいただき、だからこそそこから私がどう生きるか?そういう歩みをいただくのが仏法です。

猫ちゃんには共にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

回答をありがとうございました。
回答を読んで、心が軽くなったように感じます。
「気づき」という言葉にハッとしたと同時に、納得いたしました。
今まで、幸いなことに死にたちあうという機会があまりなく、「命」について気づきを得るという機会があまりなく、その為今回の出来事はかなりショックだったんだと思います。
あの子猫が与えてくれた「気づき」から、改めて命について、自分の生き方について、見つめ直していきたいと思います。
そして子猫が死後の世界で元気に過ごせるよう、心から念仏を申したいと思います。
今回は本当にありがとうございました。
お坊さんに相談してよかったです。

「動物・ペットについて」問答一覧

オスの山羊の譲渡について。

1歳のオス山羊と2歳のメス山羊を飼っています。先週、仔山羊が2頭生まれました。私一人で4頭の世話はできないので、2頭は譲渡を考えています。 1歳のオス山羊の性格が悪く、自己中心的で、メス山羊や仔山羊の寝床を取ったり、餌を独り占めしたり、メスを追いかけ回したり、私を襲ってきたりします。 だんだんひどくなってきました。 このオス山羊を、山羊牧場に譲渡したいと思っていますが、その仕打ちは冷たいだろうか?と、悩みます。浄土真宗の高僧和讃に、立ち向かう相手は自分なのだから、避けたり、切ったり、逃げたりしてはいけないと、あるからです。 オス山羊だけ別の場所、別の小屋を作って、最後まで飼うべきでしょうか?今はその気力に乏しいです。 出張去勢手術を去年の6月に獣医さんに頼んだのに、「天候を見て行きます」と返事はされるのですが、来てくれません。 こういうのも、私の心の反映なのでしょうか? 私の心が変わったら、オス山羊の性格は、よくなるのでしょうか?エサは、木の葉や道の草や大麦や配合飼料、野菜、干し草、麩など、とりどりに1日5回あげ、毎日散歩を30分くらいしています。 よく世話をしているほうだとは、思います。 オス山羊を譲渡しても、私は許されるでしょうか?

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動物を車で轢いてしまったことについて

夜、仕事帰りに山道の通勤路を車で走っていた時のことです。 飛び出して来た動物を轢いてしまいました。 狭い道と対向車のライトで全く見えなかったのですが、一瞬だけ視界に映った動きからすると、もしかしたら猫かもしれません… 10年以上通っている片道1時間かかるこの通勤路で、夜遅くに動物を轢いてしまったのはこれで三度目ですが、久しぶりに轢いてしまいものすごく落ち込んでいます。 動物は一度対向車にバンッ!と当たった音がして、その直後私の車に轢かれた気がするのですが、もしも猫だった場合、私がすぐに動物病院に連れて行けば助かっていたかもしれない…いや、でもあんな真っ暗闇で飛ばす車が多い道を、猫を探していたら自分が危ないし、あれでは絶対に助かっていないだろう…と、いろんな後悔や言い訳が渦巻きます。 今日の昼までは日向ぼっこしたり居眠りしていただろう動物、もしかしたら赤ちゃんが待っているのかもしれないし、もしかしたらお母さんが待っているかもしれない…後悔しても仕方ないことをずっと考えてしまいます。 こじつけかもしれませんが、職場で、本気で縁を切りたくて縁切りのご祈祷もしていただいたくらいに大嫌いな人から、今日お菓子をもらいました。 こんなことは滅多にありません。 大嫌いな人からもらった食べ物を持っていたから、マイナスの気を持ち込んでこんなことになったのではないか、などスピリチュアル的な事まで考えてしまいます。 そういうことはあり得るのでしょうか。 動物の命を奪ってしまったこと、助けなかったこと、この後悔とどう向き合えば良いでしょうか…。

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願いや想いは祈りを通じて叶いますか?

ご覧いただきありがとうございます。 ある病気(癌)の野良猫のことで相談させて下さい。 私の実家は車で20分ほど離れた山あいにあるのですが もともと何年か前から実家近くにオスとメス猫の野良猫がいました。 1週間ほど前にオス猫が日向ぼっこしていたのですが目の下が真っ赤な大きなケロイド状態みたいになっていて心配になり写真に撮って動物病院に聞いたら癌だと言われました。 地域猫団体に相談して捕獲して治したいことを悩んでいると伝えましたが基本は捕獲器は借せるが基本は一人でやってほしいとのことでした。 なんとか捕獲器は借りてここ1週間頑張ってはみたものの野生に近いせいか思い通りにはいきません。 野良猫の表情は驚くほど高潔な感じで苦しいはずなのに堂々と私を遠くから眺めて近づこうとしません。 実家の老親は認知症もあり一緒に手伝うどころか捕獲器をしまいたがってしまいます。 救いたいと強く思っていましたがエネルギーが続かなくなってきました。諦めようかと思います。 しかしもどかしい気持ちでいっぱいです。 お坊さま 教えてください 祈りは通じますか? せめてその野良猫ちゃんの苦しみが少しでも軽くなるよう祈りたいです。 現実的ではないことは分かっていますが私にはもう祈ることしかできないです。 あの子があまり苦しまずに生を全うできるよう祈り方をお教えください。

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新しいハムスターのお迎えについて

こんばんは。 去年までハムスター3匹と暮らしており、みんな立て続けに寿命で亡くなってしまいました。 はじめてお迎えした子が亡くなって1年経ったこともあり、やっと少し落ち着いたため新しい子をお迎えするか悩んでいます。 ただ、私はあの子たちとずっと暮らしたいと思っていたので、新しい子をお迎えすることで前の子たちの代わりみたいにしてしまうのがすごく嫌で迷ってしまいます…。(代わりだとは思っていないのですが、なんだかそういう気持ちになります。) また、元々あった3つのゲージも、床材の掃除はしましたがいまだに片付けることが出来ず、元あった位置に置いてあり、そのゲージを消毒して新しい子に使うのもなんだか嫌で…。 新しい子を迎えることで前の子たちの記憶が薄れてしまうのではないかとも思って怖くなります。 お迎えしたら絶対に今までの子達と同じように可愛がる自信はあるのですが、まだ自分の中で受け入れられきれていないのか、"寂しいからお迎えする"とかこんな気持ちのまま新しい子をお迎えしてもいいものか…と色々考えてしまい、なかなか踏み出せません。 いつも元々いたハムスターたちに「君たちが世界で1番好きだ」と伝えてました。 新しい子をお迎えすることで、この気持ちが嘘になってしまうのではないかとも思ってしまいます。 やはり、きちんと気持ちに整理がついてからお迎えを検討した方がよろしいでしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ