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死なせてしまった猫への償いをしたい

回答数回答 1
有り難し有り難し 23

初めて質問をさせていただきます。よろしくお願いします。
先月のことです。
図書館までの道中で、猫が車道にいるのを見つけました。
首輪もつけておらず、その地域は野良猫が多い場所なのでおそらく地域猫が生んだ子供でした。
その猫は生後一ヶ月ほどのかなり小さい猫でした。どうやらすでに一回車に轢かれたらしく、後ろ足が動かないようで前足だけで必死に移動していました。
今にも車が来て、もう一回轢かれてしまいそうだったので、私はとっさにその猫を抱き上げて、歩道まで連れて行きました。
そしてその後、動物病院なり保健所なり連絡すれば良かったのですが、どうすればいいかわからず、歩道に一匹置き去りにしていってしまいました。
「きっと他の誰かが何かしてくれるだろう」という他人任せな感情で私は立ち去りました。
15分ほどで用事を済ませ、図書館を出ました。帰る時は別のルートからも帰れるのにも関わらず、猫のことがどうしても気にかかり、その道へ戻りました。
その場所まで行くと、女性三人が道端で固まっているのを見て、「まさか」と思い、心臓が握られたような感覚を覚えました。
その女性たちは道端で横たわる小さな猫を見ていました。
あの猫でした。猫は息を引き取っていました。
女性の一人によると、「10分前ぐらいまで猫は生きていたけど、今動かなくなった」と言っていました。
女性たちは猫の死因についていろんな憶測を立てていましたが、私は黙っていました。
私がもし猫を見捨てずに、どこかに連絡して助けていたら、この猫は今も元気にみーみー鳴いていたのかもしれないのです。
私が猫を殺したようなものでした。一ヶ月経ったにも関わらず、最後に見た猫の顔が、今もずっと脳裏から離れず、苦しいです。
どうしたら死んでしまったあの猫への償いになるのでしょうか。
また今のこの苦しみは一生背負わなければならないものなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

命の終わりに「気づき」をいただく

あなこんださんは心の優しいお人ですね。そして大変ショックな出来事でしたね。

私でもおそらく同じように考え、同じように行動したと思います。あなこんださんはその時その場でできる限りのことをした。猫ちゃんは本当にあなこんださんが殺したと言えるのでしょうか。
では仮に動物病院に運んだとしてそれでも助からなかったとしたら、「私は病院まで運んだのだから責任はない、悪いのは病院の先生だ!」と先生を責めるでしょうか?そんなことはないでしょう?それぞれがそれぞれの縁でできることをした、あとは命の終わりのタイミングがどこであったか…それがたまたまあなこんださんのところであったということではいでしょうか?

今回の出来事を苦しみとして一生背負うのかどうかはわかりません。私個人のことを言えば、子どものころに外で遊んでいて虫を死なせてしまったことがありますが(子どもながらの残酷な遊びです)、そんなことは10数年キレイさっぱり忘れていました。しかしこうして仏教に縁をいただいた今は時折「なんてひどい事をしたもんだろうか」と脳裏に浮かびます。
それでもまた普通に蚊を手でつぶしたりします。私というのはそんな存在です。

そういう自らの罪悪性が仏法によって知らされることを懺悔(さんげ)と言います。懺悔は自己反省とは違います。「私は残酷な人間だ…これからは気をつけよう」なんていう頭だけの理解とごまかしによる自己弁護ではありません。反省してもしきれないだけの罪悪性をこの私が抱えて生きているという身の事実を仏法の教えからつきつけられるのです。

今回の件は非常に悲しい出来事でありました。しかし私たちは何を悲しみ、何なら悲しくないのか…その基準はどこにあるのか?我が身の都合、我が身の執着ではないのか?私は本当に悲しむべきことを悲しんでいるのか?
今回の件が猫ではなく虫だったら…。いやいや毎日の食事でいただく命の問題はでは悲しくないのか?

そういう「気づき」をいただき、だからこそそこから私がどう生きるか?そういう歩みをいただくのが仏法です。

猫ちゃんには共にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

回答をありがとうございました。
回答を読んで、心が軽くなったように感じます。
「気づき」という言葉にハッとしたと同時に、納得いたしました。
今まで、幸いなことに死にたちあうという機会があまりなく、「命」について気づきを得るという機会があまりなく、その為今回の出来事はかなりショックだったんだと思います。
あの子猫が与えてくれた「気づき」から、改めて命について、自分の生き方について、見つめ直していきたいと思います。
そして子猫が死後の世界で元気に過ごせるよう、心から念仏を申したいと思います。
今回は本当にありがとうございました。
お坊さんに相談してよかったです。

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