自分のこれからについて答えが出ずに数年経ちます。
今更ながらと思われるかと思い誰も言えずにおりました。
若い頃に家を出ることとなってからは常に逃げ回る生活で、疲れ果てました。あれやこれやとやっては見ても長く続かず、手が後ろに回らない程度の悪事は沢山せっせとこなすくせに自分のためになることは何一つやらずにここまで来てしまい
とうとう詰みの時間が来たように思います。
変わろうは口ばかり動こうは思うばかり、自分がひとりいるだけで何が変わるでもなく、かといってならば細々生きても構わないだろうとここに来てまで考えてしまいます。
前を向きリスタートしたいと思う毎日をやめるか心を入れ替えることは、私には可能でしょうか。こうして他人様に委ねている時点で無理なのだろうと思う反面、どうにかというすがる思いがあります。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当に変わろうと思うなら今までの自分の習慣を捨てる
やっていることが、行動ではなく思考なのではないでしょうか。
変わるための行動をしているのではなく、
「変わらなきゃ」「ああ、どうしよう」「でもなぁ」「どうせきっと」ということをしているのではないでしょうか。
それは思考をしているのという行為であって、何も一歩を踏み出していないことをしているのです。
厳しく言えば、変わりたいという考えをやっているのです。
思考でものを眺める習慣をやめましょう。
思考でものを眺めると何をするにも思考が横やり、ツッコミを入れてきます。
思考を交えずに行動するには坐禅が一番です。
坐禅とはノンシンキングマインドです。
全く考えないということではなく、競争で走るときには走るに徹する。
負けたらどうしよう、転んだらどうしようというのは思考です。
何をするにも思考が邪魔をしているのではないでしょうか。
もし、そうだと思うのなら坐禅の必要性があると思います。
坐禅は自分の想念に向き合い、想念ではない世界に目覚めることです。
だれか限られた人だけの行ではありません。
自分の思いで苦しんでしまうのは誰でもそうです。
だからこそ、自分の想念も自己管理で自分で飼いならさなければいけません。
自分の思いに使われくなること。
それが坐禅の功徳です。
黙って座ることではなく、自分の想念の発生自体を見つめ、想念に影響されない心のありようを見出してみてください。
これからのことに答えが出ている人は一人もいません
未来の答えなんて一つもないです。一分一秒先に何が起こるかすら誰も分からずに生きています。
やりたいことがないとダメなんてこともないです。
間違えないことは今ここにいるということ。そこで何をするか、悪いと思うことはしない方がいいですね。
掃除をしてみてはどうですか?
部屋を綺麗にするいらない物を捨てる。これだけでも気持ちが変わります。やる気が出ます。お客様をおもてなししてもいいように、いつも綺麗に物は少なくです。
毎日の掃除洗濯、片付け、新しい1日の始まりです。過去は二度ときません。一秒前すら戻ってきません。くすぶっていた過去とは今、この瞬間におさらばしています。
体を動かすこと。心、気持ち、考えは置いといて体を動かしてみましょう。
思い立ったが吉日
拝読させて頂きました。
あなたがそう思っていらっしゃるのならば、思い立ったが吉日です。
あなたの今までしてきたことや思いを心から振り返って反省して、神仏やご先祖様に懺悔なさり、これからは正しい心と行いをすることを志してください。
人はどんな方でも大なり小なり罪を犯します。
それを素直に反省して謝罪してください。そこから新しい未来が必ず開けて参ります。
これからの余生をどうか心清く健やかに人の為に自分の為に善い道を歩んでいってくださいね!
また宜しければお寺参りなさって仏様にお向き合いなさってくださいね!
あなたを仏様はいつでもお迎えなさってくださいますからね。