嫌いな人間の活躍が許せない
嫌いな人の活躍、言動、存在、それを取り巻く人々全てが許せず心がおかしくなりそうです。
その人と私は昔同じサークルにいて最初は仲が良かったのですが、遅刻や間違いなどをしても謝らなかったり、サークルの仲間や先輩の悪口を平気で言ったり、自分が目立てる時だけ一生懸命だったり、挙句大事な場面で大遅刻をしたのに謝らず何故か不貞腐れる等の経緯から私は徐々に距離を置きました。
そいつと私には、私が所属するサークルでの共通の友達がおり、上述した出来事やそいつと私が仲が良く無い事を知ってなおどちらとも関係を続けてくれてます。
有難いと思う反面、どうして君はそいつの事を許せるの?許せない私って心が狭い?とも考えてしまいます。
そして半年前、そいつとその友達数名でサークルを開く事を知りました。
彼らの間に私には無い共通の趣味がある事にも嫉妬しましたが、そのサークルでの活動に、私のサークルからスタッフの手伝いを寄越せと言ってきた事に非常に憤慨しました。「昔あれ程悪口を言った人達の力を都合の良い時だけ借りようとして、どれだけ面の皮が厚いんだ」と。
相関図がわかりづらく申し訳ないですが、私の悩みは「嫌いな人の事を気にせずに心穏やかに過ごすにはどうしたら良いか」です。
私は今まで嫌いな人と関わらないため距離を置いてきました。しかし向こうから私の視界に入って来た時、私はどうすれば良いか分かりませんでした。誰にも分かるくらい冷たい態度を取った事もあり、もっと上手くやり過ごせればと反省する反面、嫌いなものは嫌いだという気持ちがあります。
「そいつはこんなに嫌な奴なのに一人前に活躍したり幸せになるなんて許せない、みんなそいつの本性を知って嫌いになれば良いのに、孤独で不幸な人生を送ればいいんだ。」ひどい人間だとお思いでしょうが、これが私の今の、その人に対する正直な感情だと思います。
こんな事を思ってしまう私も本当につまらない人間だと嫌になります。
その人も今では変わったのかもしれません。だから友人達のように許せたらいいのに、でも過去の出来事に囚われて考えを変えられません。
どんなに趣味に没頭しても友達と遊んでも、ふとした瞬間にそいつの名前がでたり思い出してしまうと憎しみが湧いて止められないんです。
どうしたらこんな考えから解放されるのでしょうか?どうか助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他人を通して、わが身を見ることは、大事なこと。
仏教では、生きていく中で、様々な苦しみがあります。あなたのその苦しみは、怨憎会苦(おんぞうえく)怨み憎んでいる者にも会わないといけない苦しみです。これは、誰しもある苦しみです。もちろん私にも。
自分の好きな人達だけの世界で生きられたら、どんなにラクで楽しいでしょうか。しかし、現実の世は、嫌なやつとも顔を合わせて、付き合わないといけない。みんなが、みんなのことを考えて接していけば、嫌な気分にならなくていいのにねぇ。でも、自分勝手に振舞ったり、こちらが正しいのに 理不尽な思いをしなきゃならないときもあります。人間って勝手だよね。自分のことばかりね〜。でも、これと同じようなことを、自分も誰かにしているかも知れない。
他人を通して、わが身を見ることは、大事なことですね。そう思えるようになったら、私は気をつけよう、と学べるのです。また、相手も、こんな勝手な振る舞いでは、いつか社会に出たときに、大切な人を失ったり、人から信用されなくなります。
誰にでも、嫉妬や嫌悪を抱くときはありますよね。そんなときは、優しい心でなんて言いません(そんな菩薩みたいな人いませんもの)。ただ、わが身を振り返りましょう。嫌な自分になる前に、人が人をどうこうなんて出来ない、誰かをコントロールするより(したい気持ちより)人は人、私は私なんだと、言い聞かせましょうね。気持ちも静まりますよ。
学生時代だけの付き合いですもの。本当に苦痛なら、その人から離れたらよいのですから。
あしたのために「両手ぶらり✋ノー持ち物✋でノークラッシュ」
正直な気持ちをありがとうございます。
みんな嫌いな人に対してはそう思ってしまうものなのです。それで結構ですよ。思いのたけをぶちまけた方がスッキリするもんです。
とりあえずその人よく知りませんが一緒に言ってあげましょか。
「💀くだばりやがれっ。そのそいつのあなたを苦しませるいやな性格めっ!」
ですが、恨みつらみははここまで。きっちり仏のキャッチャーミット(ZETT製)で受け止めましたから、もう他では言わんこと。
それを公の場でいったりツイッター、SNSで言ったら🐄モー大変。つるし上げになって、悪者扱いされてしまいます。よって毒を吐くのはここのサイトもしくは旦那氏ねサイトくらいにしておきましょう。(笑)
ムカつく人間に対してはこちらが9割穴だらけのこんにゃくになることです。
何か当たってきてもかわしてしまう。ナイススルーこんにゃくです。
あなたにはまだ「ぶつかるもの」があるのです。そのぶつかるお荷物を見てみましょう。
埼玉県にお住まいの百円ショップ大好き凡Tさん(仮名)は地元に百円ショップができたので物珍しいものを沢山買いあさりました。
両手にビニール袋をぶら下げて自宅の細い廊下を通ろうとしたときに持ち物が邪魔で壁にごんごんぶつけてしまった。ドアもあけられない。このときに凡Tさんは小さな悟り「北斗神拳㊙秘密奥義両手ぶらり」を得てホトケになったそうです。
「ぶつかるということは、こちらにぶつかるものがあるからぶつかるんじゃないか。」
凡Tさんは、持っていた荷物を手放してドアを開けました。
奥さんから「またいろいろ買いこんで」と怒られたそうですが「北斗新拳㊙奥義両手ぶらり」を会得していたためにワイフの口から発せられるマシンガン小言をマトリックスのように全てかわしたそうです。(受け止めんかい)
あなたは、その人の言葉、存在、いやなところを全部、ガチで受け止めてしまっているのです。
スルーしたり、かわすことも大事なのです。
キーワードは「わたくししない」こと。
自分流のものを何も持たないこと。
持ち物があるから不自由になる。
そう。何かを握っていると新しものはつかめないんだよね✨(キメ顔)
その彼に対する執着を一度手放して、もう一度お坊さんたちの声に耳を傾けてみることだよ。
次回会うときはもうどうでもよくなっているはずです。
わたくししない。
両手ぶらりで。ナイススルー。