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人付き合いが苦手です。

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私は人と人との繋がりは大事だと思いますが、他人に全く興味がないようです。なので付き合いが苦手です。

また、人を見下すような会話を許せません。笑いになるまでは許せますが、頻繁にそのような会話を持ちだす人が嫌いです。

自分を明らかに高評価し、自分に都合の良い人だけを大事にする人の心が理解できません。

ましてや経営者の場合、上司の場合、尊敬の思いもなくなります。私はその人に出会うたび、心をとざしてしまいます。

どんな言葉も響かず、優しさもウザく思い、素直に話しも聞けません。

世の中には色んな方がいますし、私自身も欠けている部分が多くあると思います。会社に入り慣れてくると自我出てきます。私も他人も出てくると思います。その時、このように疲れてくることが多く、私に直接関わる人、一人でも、そんな方がいると職場を変えたくなる私は、社会不適合者なのでしょうか。

私は不器用な人間なので、色んな方とうまく付き合いの出来る方が心の底から羨ましく、そして尊敬します。頑張って変われるものなのでしょうか。宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

マイ正義の押し付けをやめる

他人の良い悪いが生まれるのは自分の中に自分流の正義があるからです。
それを相手にも適用していませんか。
それがために、自分の制定した憲法通りの人間以外が許せなくなるのです。
人間慧海には色々な考え方、いろいろなタイプの人がいます。
あなたが見てきたその人のその一面も「一側面」なだけです。
相手の100のうち悪いところ1をみるより残り99の中の勉強になるところだけを参考にすると、自然に相手に感謝ができるようになるでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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