謝って欲しかった。
もう終わった昔の話なのですが、思いが昇華できず忘れられないことがあります。
離婚はお前のせいと言われました。
お前が悪いから続かなかったと言われました。
2回結婚し2回離婚しましたが、どちらからも同じように言われました。
私は仕事をし、家事全般をし、時には旦那の仕事を手伝い、やれるだけのことはやったつもりです。
だけど怠け者と言われました。
最初の旦那には男性不妊、借金、転職癖に悩まされ、次の旦那には度重なる浮気に疲れ果てました。
至れり尽くせりには出来なかったですが、悪いことはしていないつもりです。
強いて言うなら、彼らの悪癖を受け入れる事が出来なかったことでしょうか。
私を責める言葉はたくさん言われましたが、ついに一言も、俺も悪かったと言うような言葉は聞けませんでした。
終わった事です。こだわってては前に進めません。分かっていますが、悔しくて悲しいのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間性のない人間を相手にしても暖簾に腕押し
世の中には本当い非道な人がいるのです。
鬼畜に等しい人間も実際にいるのです。
旦那さんがそこまでではなかったにせよ、高い人間性を求めても無駄なのです。
相手の人間性が100が最高で20くらいであるとする。
その相手に80を求めても無理なのです。
ああ、単に高い人間性、豊かな心を持ち合わせていない人間であったと思うことです。
そういうことができない有器用な人間もいるのです。
その分他の何かは突出しているものです。
相手にわたくしすることをやめてみましょう。
わたくしルールが自分を苦しめているのです。
あなたがやってほしかったことがあるように、旦んもそっちよっりもやってほしかったことがあったのではないでしょうか。
どっちが悪いとかをやめることです。
人を悪く言っても傷つくのはこっちだけです。
むしろ、相手が悪くても私は人間的にまだまだだなぁと、自分の向上だけを一生懸命務めてください。相手のことなどどうでもよくなります。
自分の精神向上のために相手のことを言ってもしょうがないと、愛絵を悪く言うことも無くなります。これを菩提心といいます。
人間は菩提心より生まれて菩提心を高める為にこそ生きているのです。
責任ってあるようでいて何処にもない
そんな問題を抱えていた人ですから、どうにも自分で解決できず、あなたに甘え、あなたの責任にしてきたのでしょう。
人生には、我慢では乗り越えられないことがたくさんあります。相手の願望や思いの通りにあなたが動くわけでもないし、あなたの願望の通りに世の中動いているわけでもない。そうした因縁、法、といったものにお任せできる自分に気づかないと、うまくいかないことも多いのでしょう。
元旦那さんに言われた言葉はもうどこを探しても見当たらないはず、耳に残るはずもなく、むかしむかしに消え去ってますから、ご安心ください。また聞こえることはありません。
責任という言葉。ありもしないものを頭の中で考え、作り上げ、見えない「責任という名のボール」をパスして立場の弱いものに回していく、そんな雰囲気世の中にあります。しかし、ぜーんぶ頭の中の作り事。何一つホンモノはありません。
考える必要もないことです^_^
質問者からのお礼
丹下覚元様。邦元様。ご回答いただきありがとうございます。
社会の常識として、元旦那がしたことは褒められることではないと思います。
そのことで、周りの人間が迷惑を被ったのは事実です。
借金の後始末をさせられた彼の親の情けなさ、浮気相手となった女性の苦しみ。
彼らの欲望の赴くままの非常識な行動は、糾弾されて然るべきと思うのも私の価値観の押しつけなのでしょうか。
もう少しお坊さん方のおっしゃることが理解できればと思います。
何度も読んでみます。
コメントが長くなりすみません。