言語コミュニケーションの難しさを感じています
ここ最近、言葉を意図しない意味合いでとられることが多々ありまして、言語コミュニケーションの難しさを感じております。
たとえば、SNSで友人の投稿に「そうだよね」と冗談交じりに同意したつもりが皮肉にとらえられてしまったり。
インターネットが発達したことで文字だけのコミュニケーションが多くなってきておりますが、その分、誤解や誤解からくる無用な諍いも多くなってきているような気もします。
出来る限り、人を傷つけたり、誤解されてしまうことがないよう心がけていきたいのですが、人に言葉を送るときのコツやすべき心構えはございますでしょうか。
アドバイスをいただけると嬉しいです。
今まで生きてきて、つらいこともありました。 でも「つらい」と繰り返すばかりでは状況は好転しないようなので、ちょっとずつでも楽しいことを考えたいところ。 前を向いて楽しく生きていきたいです。
自信を持ちたい、漫画家になる夢を諦めきれない
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距離感の意識と「話し・書き」かな。
こんにちは。お伝えしたい事は2点あります。一点は「距離感」。「家族恋人・友達・その他」という3段階くらいでいいです。その距離感の違いは、言葉遣いの違いに現れて然るべきです。
あと「書き言葉」と「話し言葉」の境界線がぼやけたな、というのが私の感覚です。冗談とか軽口といったものは、本来コミュニケーションの潤滑油、つまり「面と向かって話をしている」時にこそ活きるものだと思いますが、いまは文字に代替されている。「喋る感覚で文字にしている」ことから、いろいろ面倒が起きがちなのではないかと推測しています。
なので、あなたが「文字だけのコミュニケーション」の危うさを感じているのは、まことに真っ当なことと思います。偶々ですが私、今日ショートメールを打とうとして、「70文字制限」に凄く苛つきました。ニュアンスをとことん省かないとイケナイ。これこそ「人間がデジタル化されている」と痛感しましたよ。
LINEで先生にタメ口きいて怒られるのも同じですよね。「書き言葉」のフォーマットなのに内容が話し言葉。それを補うためには、(…とうっすら感じるのですが)とかが必要です。つまり、コミュニケーションとしてはイマドキのは非常に表層的だ、と心得ることです。
このhasunohaの回答でも、「これは推測なのですが」とか「…なのかも知れません」みたいな表現が多いでしょう?
質問者からのお礼
佐藤良文さま
ご回答ありがとうございます。
いただいたご回答を興味深く拝見させていただきました。
「書き言葉」と「話し言葉」の境界がぼやけたというお言葉。とても納得いたしました。
どうしてそうなってしまうのか、自分なりに理由を考えてみますと、世の中が便利になっていった一方で人と面と向かって話す機会が減っていっているせいではないか、と思います。
みんな誰かと話をしたいのに話す相手がいない、だからこそ文字上のコミュニケーションに、「話し言葉」の役割を求めてしまうのかもしれませんね。