好きな著者にブロックされました。
とあるカウンセラーの方の本に救われ、インスタもフォローしてコメントをしていました。最初に、自分が配信者との関係で傷ついた経験を長文で書いたところ、コメントを削除されました。以降、謝罪や改めて丁寧に書いた再投稿も、すべて私のコメントは非表示にされてしまいました。“心が動いて、思わずコメントを残したのですが、自分のコメントだけ反応がなく、ひとり浮いてしまったような寂しさを感じてしまいました。”心に寄り添ってくださるはずの立場の方や、こういうあたたかな場所だからこそ、そのスルーがとてもショックで、大きく心に残ってしまったのだと思います。持っているご著書を見ても少し切ない気持ちになってしまいどうしたらいいか分からずにいます。”とも記入。
その後、コメントが非表示になる理由やルールを聞いてもそのコメントさえ非表示に。「この投稿好きです」「なんとかなる🌷」などの軽いコメントでも、20分~3時間後に非表示に。サブアカウントで確認したため、相手側が毎回手動で私のコメントだけを非表示にしていると分かりました。最終的に以下の長文を送ったところ、それも非表示になり、ブロックされました。
“こんにちは。 いつも心に寄り添ってくれる発信をありがとうございます。
もしかしたら、過去に私のコメントが長すぎたり、場にそぐわない内容だったかもしれません。 そのことでご不快な思いをさせてしまっていたら、本当に申し訳ありません。
ただ、こちらの場所を、安心して気持ちを出せる場所だと感じていたからこそ、思い切って言葉を綴ったことがありました。
私は、コメントを削除されたり非表示にされることで「存在を否定された」と感じてしまい、それがとてもつらくて、つい何度も書き込んでしまいました。このまま非表示にされると私がまるで「悪人」のようだから怖かったのです。発達特性を持つ人には「はっきりした説明がないまま遮断される」ことが強い痛みになることがあり、私もそんな感じでした。
もしこれでもこのコメントも非表示になってしまうなら、今は、きっと、そっとしておくことが大切だと思っています。 ですが、著者さんの本や言葉に、何度も支えられました。 今も、心から感謝しています。
どうか、これからも素敵な発信を続けていってください。 陰ながら応援しています。”
拒絶された色んなショックで食欲低下し、外出しても楽しめず。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
しばらく様子を見てみましょう
拝読させて頂きました。
あなたがその方にコメントしたものを全て非表示にされて大変ショックを受けてしまって困惑なさっているのですね。詳細なあなたのことやその人とのかかわりはわからないですけれども、あなたがとても辛い思いをなさっておられることは伝わってきます。お気持ち心よりお察しします。
そうなのですね…とても残念ですよね。あなたがその人の著作も読んで救われて励まされていたのにそんなことになってしまってショックですよね…。
何がきっかけでその人がブロックするようになってしまったのかは不明ですが、その人にとってはどうしても許せないことだったのかもしれませんし、癇に障る様なことだったり、触れてほしくない・言われたくなかったことが掛かれていたのかもしれませんよね…。
具体的のその人の心のうちはわからないので何とも手の打ちようもないですし、何か書けばかえってことを荒立ててしまったり、感情を逆なでしてしまって本当に一切関わることはできなくなってしまうかもしれません。
ですから今はそっとしておくことかもしれません。
もしかしたらその人のことを深く傷つけてしまったのかもしれませんから、心の中で配慮が足りなかったことを謝罪するのみかもしれません。
しばらく距離を置いて時間が経ってくればまた何かのきっかけでその理由がわかるかもしれませんからね。あわてずに様子を見ましょう。
生きている中では人と人とのかかわりの中で何げない言葉や態度やしたことが他者を傷つけてしまうことや被害を与えてしまうこともあるのものです。それも人生ですし、そういうタイミングもあるでしょうからね。
その人の心が安らかになります様に、あなたの心が安らかになります様に心を込めてお祈りさせて頂きます。至心合掌
あなたも大変ショックを受けておられるでしょうし、深く傷ついておられるでしょう。ですからあなた自身の心もゆっくりといたわって下さいね、ゆっくりと休んで少しずつ癒していきましょう。あなたの心が先ず穏やかになります様に心からお祈りさせて頂きます。至心合掌
その方もギリギリなのかも
はじめまして、こんにちは。
そうですか好きな著者の方にブロックされましたか。
それはつらそうです。しかし、とももさんの書かれている内容を読み、もしかすると仕方ないかもなとも思いました。
というのは、もしかして、その方のインスタには書き込みに関する注意書きが、あったりしたのでしょうか。もし確認せずに長文を書き込んでしまったのなら「ルール違反」だったのかもしれません。その場合は、とももさんにどんな思いがあったとしても、消されても致し方ないと思います。ルール違反した人に丁寧にルールを説明して和解したりお引き取り願ったりする場合がありますが、その説明行為はあくまで親切であって決して義務ではありません。
ルール説明がなかったのだとしても、その方のインスタはその方の管理下にあり、極論するとその方がルールです。「道義的にどうなの?」と思わせたり「そんな優しげな本を書いている人なのに冷たいんですね?」と思う向きもおそらくあるのかもわかりませんが、しかし管理できる範囲で管理するしかありませんので、仕方ないでしょう。人のココロの余裕や奥行きは有限です。
また、カウンセラーとか、職業的に傾聴する役割を担うことのある人とかに対し、そういう人はいつでも誰にでも優しくあってほしいという、外部からの希望があるのはわかりますが、いや本人もそれを努力している場合ももちろんありますが、それは希望や努力であって、そういう人がいつでも誰からも何を言われてもカウンセリングするということでは決してありませんし、いついかなる場合でも傾聴できる人というのもかなり稀少種です。また、すべてのカウンセラーが完全無欠の人格者であるわけでもありません。
ご自分の「発達特性」を言い訳のように利用して返信を期待するのもやめるべきかと思います。拒絶されたという思いがあるようですが、「相談しても良いですか?」とも、恐らく何も聞かずに長文の相談(に解釈可能なもの)を書き込んでしまったのではないでしょうか。違ったらスミマセン。そうであるなら、それがその方にとっては、切るスイッチだったのかも知れません。とももさんがタダで乗っかろうとしたようにその方には思えたのかなと思って、あきらめるのが良いと思います。そうではなかったとしても、その誤解を解く義務は、その方にはないでしょう。
その方もギリギリでやってるのだろうと思います。
hasunohaに書くということ。
ご投稿を拝見しました。「食欲もないほど心が弱っている」「外出しても楽しめない」というその気持ち、ただ自分の中だけに抱えておくには、あまりにしんどかったのだろうと思います。人のやさしさに触れたくなるのは、心が精一杯がんばってきた証かもしれませんね。
けれど一方で、あなたがこの「ハスノハ」という場に書き込んだことには、「誰かに聞いてもらいたい」「誰かから返してもらいたい」という願いが込められていたのだと思います。そして、それが“人”に向けられた以上、相手には相手の視点や立場、言葉の背景があります。応答には、その人なりの考えや価値観がにじむのですし、それがここhasunohaの価値であると思うのです。
あなたが求めるような回答は、もしかしたらAIならばすぐに出してくれるかもしれません。「優しく寄り添って」と指示すれば、たしかにその通りの言葉が並ぶでしょう。でも、僧侶である私たちに問いかけてくださったということは、「お坊さんとして、今の私をどう見ますか?」という無言の問いが、きっと含まれていたのではないでしょうか。そして、「お坊さん」はあなたの持つイメージが全てではありません。
そう考えると、相談とは“応答を通して人と関係を結ぶ”営みでもあります。たとえ言葉のすべてを今すぐ受け取れなくても、「そういう見方もあるのか」と、一度胸の奥に置いておくこと。その営み自身が、(誰に向かせてもらうでもなく)自ら前を向こうとする一歩になっているのだと思います。
翻って、そのカウンセラーさんは職業としてされているのでしょうか。あるいは聖人なのでしょうか。その実は私にも分かりませんし、ご本人しか知り得ないことでありましょう。
承知いたしました。私の回答を読んで下さって、ありがとうございます。
質問者からのお礼
コメントありがとうございます。
今の私はちょっと気持ちが弱っている状態だったので、すぐに受け止めきれない部分もありましたが、違う視点からのご意見として拝見させていただきました。
しばらく自分の気持ちの整理を大切にしながら、少しずつ前を向けたらと思っています。
ご丁寧にありがとうございました。
ご返信ありがとうございます。
ご丁寧にお返事くださったこと、まずは感謝いたします。
ただ、正直に申し上げると、今の私は、食欲もなく、外出しても楽しめないほど気持ちが落ち込んでいて、どうしたら前を向けることができるのか分からずにいます。
そのため今回の投稿では、「何が正しいか」や「どうあるべきか」を伺いたかったというよりも、「どうしたら前を向けるか」や、優しい言葉や寄り添いの気持ちがほしかったです。
このようなタイミングで厳しめのご意見を受け取るのは、少し心にこたえてしまった部分もありますが、コメントをくださったこと自体には感謝しています。
本当にありがとうございました。
「もしかして、その方のインスタには書き込みに関する注意書きが、あったりしたのでしょうか。もし確認せずに長文を書き込んでしまったのなら「ルール違反」だったのかもしれません。」>>私はそのように注意書きがあったら確認もしないような人間ではありません。
「ご自分の「発達特性」を言い訳のように利用して返信を期待するのもやめるべきかと思います。」>>発達障害を言い訳にしているという表現はきつすぎませんか?
「拒絶されたという思いがあるようですが、「相談しても良いですか?」とも、恐らく何も聞かずに長文の相談(に解釈可能なもの)を書き込んでしまったのではないでしょうか。違ったらスミマセン。」>>私は辛かったこと頑張ったことを長文で書きましたがそれは相談というより少し優しい言葉があるだけでよかったです。「いいね」ボタン一つでもよかったです。
私は食欲も落ち、鬱状態でどうやったら前を向けるか聞いてるのに、あらさがしみたいなコメントはやめてほしいです。
私自身、今回この場に書き込んだのは、心が沈んでしまい「人のやさしさに触れたい」と思ったからでした。ハスノハを選んだ理由もそうだからでした。
そのため、今回のように少し厳しいご意見をいただくと、今の自分にはちょっと受け止めきれないこともあります。
もちろん、私の書き方や姿勢に至らぬ点があったかもしれません。ですが、「発達特性を言い訳にしている」と言われたことが、とても辛かったのは事実です。憶測でものをたくさん言われたのもショックでした。
ご意見をいただいたこと自体には感謝しておりますが、今回に限っては、どうやったら前を向けるのかや、背中をさすってもらえるようなものが嬉しかったというのが正直な気持ちです。
【私のニーズ】
食欲もないほど心が弱っている
外出しても楽しめないくらい落ち込んでいる
どうしたら前を向けられるのか分からない
「正しさ」や「分析」よりも、優しい言葉や寄り添いがほしかった
責められることではなく、安心させてもらえる言葉が必要だった
「僧侶である私たちに問いかけてくださったということは、「お坊さんとして、今の私をどう見ますか?」という無言の問いが、きっと含まれていたのではないでしょうか。そして、「お坊さん」はあなたの持つイメージが全てではありません。」>>「お坊さんとして、今の私をどう見ますか?」というより、お坊さんなら、弱っている人に対してもっと追い詰めるような厳しいコメントはしないだろう。安全な場所だろう。温かい返事をくれるだろう。と思ったからです(他のサイトで書いて心無い回答にあたりたくなかったからです。ここなら勝手なイメージで安全だと思っていました)。私の持つイメージが全てではないのですね。回答ありがとうございました。
ご回答ありがとうございます。
ただし、これ以上、「考え方」や「視点の違い」「分析」などの説明的なご意見や説法のような回答は、今の私には必要ありません。今の私には優しさだけが必要で、分析やアドバイスはもう受け止められません。
どうか、今後はこれ以上の返信を控えていただけますよう、お願いいたします。何卒ご配慮いただけますようお願いします。
“応答には、その人なりの考えや価値観がにじむのですし、それがここhasunohaの価値であると思うのです。 あなたが求めるような回答は、もしかしたらAIならばすぐに出してくれるかもしれません。「優しく寄り添って」と指示すれば、たしかにその通りの言葉が並ぶでしょう。” “そう考えると、相談とは“応答を通して人と関係を結ぶ”営みでもあります。たとえ言葉のすべてを今すぐ受け取れなくても、「そういう見方もあるのか」と、一度胸の奥に置いておくこと。”>>ご回答ありがとうございます。 ただ正直に申し上げると、今の私には、そうした回答もすべて負担になっています。どうか空気を読んでいただけたらと思います。
「hasunohaの意義」や「考え方の違い」「人との関係性」などの説明や説法のような文章は、体調も気持ちも限界に近い今の私にとって、ただの重荷です。
私はすでに、「分析や解釈ではなく、優しさだけが必要」と明確にお伝えしました。 それにもかかわらず、再びこのような内容を送られたことに、正直がっかりし、疲れました。
今後は、ご返信を控えていただけますよう、どうかお願いいたします。