hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死ぬと地獄行き

回答数回答 8
有り難し有り難し 1133

すいません。後から気づいたのですが2回同じ質問してしまってました。
こっちが本当です。

私の学校は仏教の学校です。

学校でのお坊さんの教えでは生きてるうちに良い行いをすれば極楽浄土へ行けるといったものでした。

私はそれを信じて今までちょっとした発言や行いで人を傷つけてしまったことを悔いてそのことを今一度悔いて謝ろうとも思っていましたし、少しでも人のためになるような良い行いをしていこうと心がけどのようにすれば良い人間になれるのだろうや一度罪を犯してしまうとその人は救われないのかなどいろいろ調べていると、たまたま見た記事に日本人はみな地獄行きというのがあり怖くなりついつい見てしまったのです。

するとそこには虫などを殺すと地獄行き、お酒を飲めばもっと怖い地獄行きなど他にも地獄レベルが書いてあるのがありました。
それはお坊さんが知ってることなどが書かれていたのです

私は、最近では虫を殺すのは悪いことだと思い今では蚊すら殺してなかったのですが今までは殺してしまったりしてました。

私達は、今までは罪を悔いて良い行いをしていれば人に好かれる人間にもなれるし極楽浄土へ行けると信じてきましたし地獄は殺人や人を傷つけても平然と後悔することなく生きている人間が反省するための場所と思っていました。

なのにそんな事実をつきつけられ私は、どうすればよいのでしょう。
1日1日を良いことをしても、どうあがいても逃れられない地獄へ行く恐怖をもちながら生きていかねばならないのでしょうか?

今まで学校で教わった教えはなんだったのでしょうか?
すぐ泣いてしまう私なのにショックと信じられないという思いですぎて涙もでません


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 8件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

地獄極楽=裏表

地獄というと、どのようなことを思われますか?
極楽というと、どのようなイメージがありますか?

実は、地獄も極楽も、おなじところです。
ちょっと違うだけ。

このようなおはなしがあります。それはごはんのお話。

地獄と極楽のご飯は同じものがでるそうです。

わたしたちとすこし違うのは、地獄と極楽では「おはしがうんと長い」
らしいんです。すごくおっきな円卓の周りにみんなぎゅうぎゅう詰めに
坐らせられ、ごはんはその中央付近に置かれるそうな。
それは残念ながらわたしも死んでみなければわからんのですが、
地獄と極楽では、そのご飯の食べ方に違いがでるそうです。

地獄のひとたちは、そのながーいお箸をつかってなんとか
たべようとこころみます。しかし、お箸のおしりの方をひもで
縛られるそうでして、なんともごはんをつかめない。
なんとかつかんで自分のところにもってこようとすると、となりの
ひとがそれを奪おうとするんです。で、けんかになります。
この繰り返しがじごくのごはんです。

では極楽ではなにが違うのか?

極楽では、そのながーいお箸でつかんだごはんを、届く範囲の
ひとにあげる。自分のところには持ってこない。
そうしてるうちに、いつかはだれかが自分の口にごはんをはこんで
くれる。そしておなか一杯になります。
地獄も極楽も、じつはおんなじ場所。
ただ違うのは、そこで「どう過ごすか」に他なりません。
もっといえば所謂地獄図とかいうものは、あれは生きている人間の
イメージ映像。しかも、「地獄の人主観」の映像でありまして、
極楽のイメージと、実はまったく同じものなのです。
感じ方の違いです。
なぜ生きているうちにいいことをしろ、というのかは、
「いまいるところで、どうすごすか」の練習、勉強の為です。

おなじ所であっても、人によって感じ方がまったく違います。
それは地獄極楽でも同じこと。
懸命に、務める事で、いまいる場所は、極楽いやもっと
すばらしいところに変わるのです。
それでもなんだか、怖いなあと思われるかもしれませんので、
のえる様のこころがやすらかとなりますよう、
わたくしめ、一所懸命にお祈りさせて頂きます。南無。

{{count}}
有り難し
おきもち

この世は(誰かさんの)死後の世界。

死後の世界とは昔の人の空想・想像であって、必ずそうなるという科学的実証はできません。
国によってもあの世のイメージは異なっていることで明らかでしょう。
あなたが聞いたお話も昔の人の創作ですから心配はいりません。ざっくり。
では何故そんな話があるのか。ここからが重要。

②死後の世界や地獄極楽は、本当にあります。それは…
それは、今のこの世界のこと。
何故なら、誰かさんの死後もこの世は今日も続いているでしょう。
あなたの死後だってこの世界は続いていきます。(感じてみてください)
この世というのは、厳密にいえばもう死んじゃった「誰かさんの死後の世界」でしょう?
だから、生きている間には私たちは、みんなでシェアしているこの世をしっかり生きなきゃいけない。
Aお釈迦さまやみんなが助かる発明をした人のおかげで、その人たちが亡き後であるこの世は様々な恩恵に恵まれています。心も社会も極楽浄土化です。
B反対に殺人や大きな罪を犯した人は、本人の死後も、本人はおろかその家族さえも今もなお後ろ指を刺され続け辛い苦しい地獄のような生活をされています。心も環境も地獄化ですね。
だから、この世に生まれたからには自分だけ好き勝手して死んで行けばいいや、というものではありません。
自分の死後ですら、周りの人にも大変大きな影響が残るのですから。
悪い人が増えると本当に地獄になってしまう。
地獄思想とは生きている間になるべく悪いことをさせないようにするために人間教育の役割も担ってきた仏教が生み出した悪行防止策(悪いことをさせなくするための教え)でもあったのです。
人の心を良い方向へ導くための説明として「悪いことをすると、心が大変苦しくなる、暗い思いをする、抜け出したくても抜け出せなくなるよ!」そういう苦しい心を地獄と名付けたのです。
仏教にはこうした相手に応じたいろいろな形の教え方、導き方があるのです。
地獄思想もその一つであり、あなたにいい人になってもらいたいからもうそれ以上悪い事をさせないように教えてくれているのです。
今後もより良い人に導いてくれるための人生訓である、とお考えになってはいかがでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

先生にも、今の気持ちを聞いてもらってごらん。学びになるよ。

学ばれている仏教の教え。先生にも、今の気持ちを聞いてもらってごらん。
だから、救いがあるんだよと、教えてくださると思いますよ(*^^*)

地獄に、落とされてしまうと思うと怖いよね。

私たちは毎日、いろいろな生き物の いのちを奪いながら生きています。また、めぐり合わせによっては、どんな恐ろしいことでも してしまう、地獄に行くしかない身なのです。
このような私だからこそ放ってはおけないと、仏様のお慈悲は、はらたいてくださっています。一切衆生(生きとし生けるもの)を 必ず救い取り 決して離さないと、摂取不捨の働きです。

だからこそ、こんな、私たちでも、必ず 阿弥陀さまの働きで、極楽浄土へと、往けるのですよ◎

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
このお坊さんを応援する

浄土真宗の話を真正面からしてるので、堅いかも。

阿弥陀如来は、一切の者を救うために、極楽浄土を建立されました。
当然、生まれたばかりの赤ちゃんも含まれます。

すべて者をお浄土に迎え摂るには、
どういう方法(修行)でお浄土に行けるのかが重要です。
座禅とか、念仏とか、道徳的善行が必要などと条件をつけると、
赤ちゃんは出来ません。

それで、阿弥陀様は、一人一人を背負ってお浄土に迎えることにしました。
ですから、全ての人は、生き方、死に方、行いに関係なく無条件にお浄土に救い取られます。
我々は、すでにお浄土行きが決まっているから大丈夫なのです。

さて、すでに大丈夫な身になったんですが、
問題は、それを心にとどめて、安心して生きて行けるか?、
それを信じずに、安心できないか?です。

それは、一人一人の心の問題ですが、
阿弥陀様はそこも見抜いてらっしゃいます。
そして、阿弥陀様が取られた方法は、
「衆生(救いの対象)が阿弥陀様の救いに気づくまで呼びかけ続ける」です。
その呼びかけが、私たちが声に出す「南無阿弥陀仏」です。
「南無阿弥陀仏」とは、
阿弥陀(無量寿) = いつでも、
阿弥陀(無量光) = どこでも、
南無 = お前を包み込んでるよ。
という、仏様からのメッセージです。
現生か、次の生か、次の次の生かわかりませんが、
こちらが気づくまで阿弥陀様は呼びかけ続け、私との根比べです。
まあ、確実に阿弥陀様が上手です。

地獄の描写は、源信和尚の往生要集という書物に詳しくあるのですが、
それは、お浄土を進めるために、いわば、脅しとして書かれたのです。
親が子供に、「悪い子にはご飯あげないよ!」という愛ある言葉です。
↓往生要集その他、ダウンロード出来ます。
http://j-soken.jp/category/download/download_3

以上は浄土真宗での答えです。
他にもいろいろな視点があります。

そもそも、仏教は心が安心するための教えです。
地獄のことが気になって不安なのなら、
そんな知識は全て捨ててしまえば良いのです。
けど、知識ってすてられませんからねー。
優しい優しいお釈迦様が、地獄を語ることで、何を仰りたかったのか。
のえるさん流にでも良いから、想像してみて下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言って...
このお坊さんを応援する

一切を救う仏

のえるさんは仏教系の学校に通っているのですね。
前のご質問「霊が生きている人間を襲う」にも回答をさせて頂きました。
http://hasunoha.jp/questions/201

さて、学校でお坊さんに、良い行いをすれば極楽浄土へ行けると聞いていたのに、ふと眼にした記事に「日本人はみな地獄行き」と書かれていて、驚いてしまったのですね。
どんな文章か、全体を見てみなければ分かりませんが、少し極端な内容に思えます。

確かに仏教では「不殺生戒」という、生き物のいのちを奪ってはならないきまりがあります。私はこれを、直接いのちを奪うというだけではなく、誰かが殺してくれたものを食べることも、米や野菜を食べることも、動物実験の末に出来た薬品やシャンプーなどを使うことも、全てを禁ずるものだと理解しています。

……守れませんね。生きていくことが出来ませんね。
努力すれば守れる戒律ばかりであれば、全てを守った時そこに慢心が生まれるかも知れません。
守れない戒律があれば、慢心することなく自らを省みる日々を送り、また終わりの無い努力をしていくことになります。
私はこの姿勢が大切なのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

平安〜鎌倉時代のお坊さんで、親鸞という方がいます。
この方は、世間的に見れば真面目で勉強熱心で立派なお坊さんでした。
しかし非常に自分に厳しく「私の行く先は地獄しかない」と考えていました。

しかし法然というお師匠さんに出会い、地獄に行くしかない者を救ってくださるのが阿弥陀という仏だと教えを受け、帰依をしました。帰依とは、信じきって全てを任せることです。

私たちは、地獄に落ちるしかないのかもしれません。
阿弥陀さまは、そんな私たちを救ってくださるのかもしれません。
いのちを終えてみなければ、分からないことです。
せっかく仏教系の学校に通っているのですから、ぜひ先生に阿弥陀さまについてお聞きになってみて下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
このお坊さんを応援する

説教師観て来たような嘘をつく。

 のえるさん、どの記事を見て、そのようなことを思うかは分かりませんが、私から言わせると、死後の世界は生きている人間は解らないものです。「日本人はみんな地獄行き・・・。」などと書かれた記事に私は言いたい。日本人がもし地獄に行ったらどうなるか。日本人の謙虚さ、礼儀正しさ、譲り合いの精神で地獄が極楽に変わるかもしれません。極楽とまではいきませんが、住みよいところになるかもしれません。日本人の行いは海外の国々が関心を示したように地獄の住人にもそれなりの関心を示すかもしれません。のえるさんが地獄に行くなら私も一緒に行きますので安心かも?!
 でもね、今の、のえるさんの行いはいいことだと思いますが、極楽に行くためとか、地獄に行きたくないとか、そのようなことのためにしているのは仏教ではないと言いたい。我々僧侶は極楽に行くから良い行いをしているわけではありません。良い行いをすることが仏(お釈迦様)の教えであるからしています。ただ、戒律はあるものの、これをすれば良いことか悪いことかは具体的には示されておりません。
 スマトラ地震の時、救援に向かった東南アジアの男性僧侶が瓦礫に挟まれた女性を助けたことで他の僧侶から非難されました。それは東南アジアの僧侶の戒律で異性に触れてはいけないというものがあったからです。しかし、人命救助のためやもえないこともあるので特別に許してもらえましたが、その戒律を破ったことでこの僧侶は地獄に落ちるのでしょうか?
 のえるさん、いちいち極端な話や眉唾な話しを信じてどうだろうと悩む前にそれと反対の意見の話は無いかとか、その話の原点はどこかとか、自分が納得できるまで調べるといったことが10代には欠かせない勉強であり、それが学生というものであると思います。これは学生のうちにしか出来ないことですし、大学にいくとこのような勉強しかしないと言っても過言ではありません。まず、自分で追及すること。仏教系の学校に通っているからと言って、答えがいつも仏教的になってもらっては私はのえるさんの将来が心配になります。
 最後に、人は生まれ変わりません。仏教思想でもありません。なぜかは自分で調べてください。
 

{{count}}
有り難し
おきもち

あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのでは...
このお坊さんを応援する

このことに気づいたご縁にまず感謝

のえる様へ

そもそも極楽浄土へ行くために良い行いをするのですか。
良い行いをしていた結果として、極楽浄土へ行くことができるのではないでしょうか。

まずこのことに気づいた今、これからが大切です。
今までしてしまったことはどれだけ良い行いをしても罪はチャラにはなりません。
それよりもむしろマイナスをプラスに変えていくことのほうが重要ではないでしょうか。

その行いを仏様はどこかで見ています。合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
このお坊さんを応援する

三宝帰依、出離心、菩提心、諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意

のえる様

川口英俊でございます。

http://hasunoha.jp/questions/204

この度は、上記問いと併せてお答えさせて頂きたいと存じます。

仏教においては、誠に難しいことではありますが、因果応報論、輪廻論、業論を扱いますので、できるだけ悪い行いを慎み、善い行いに励み努めることが望まれることとなります。このことは下記問いの拙回答におきましても少しく述べさせて頂いております。

問い「悪口や愚痴を言わない人って」
http://hasunoha.jp/questions/113

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」

http://ja.wikipedia.org/wiki/七仏通誡偈

悪い行いを成さずに、しっかりと善い行いに励み努めて、心を浄めて、清らかに保つことが仏教の基本となります。

そのためには、まずこの苦しみの現実を知り、次にその苦しみには必ず原因があること、そして、その原因が解決できれば、苦しみは滅せれることを理解した上で、その原因を解決するための道(八正道・中道)をしっかりと歩むことが望まれます。

これが、釈尊の初転法輪において説いたとされる苦・集・滅・道の「四聖諦」でございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/四諦

http://ja.wikipedia.org/wiki/八正道

私たちにおきましては、仏教を実践するために、まず三宝への帰依が求められます。

仏様とその教え(仏法)とその教えを護り実践している僧侶たち(先師たちも含む)への帰依となります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/帰依

そして、この苦しみの世界を何としても離れたいとする「出離心」、次に、悟りを求めたいとする「菩提心」を起こすことが大切となります。

菩提心に関しましては、下記を参照として頂けましたらと存じます。

「菩提心論」
http://t.co/aSBtLQQI

三宝帰依、出離心、菩提心をしっかりと保ちながら、悪い行いを慎み、善い行いにしっかりと取り組んでいくことが求められることとなります。特には三悪趣(畜生・餓鬼・地獄の状態・境涯)の輪廻に陥らずに、悟りを目指して来世も仏縁・仏法のあずかれる境涯に赴けますようにとして、是非共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

浦上哲也様  ありがとうございます。地獄など辛いに決まってるのに 覚悟ができてるという親鸞さんという人は凄い人ですね

星 大晃様  ありがとうございます。ちょっとのことなのにすごい違いですね

長谷川哲真  ありがとうございます。でもやっぱり怖いです(泣)

丹下 覚元  編集中…ということらしいですが見ていただきありがとうございました。

長谷川哲真  なぜ怖いかといいますとでは地獄はないのでしょうか?
       罪を犯した人間でもすべて許されるということなのでしょうか?
       

      罪を犯したらどうなるのですか?苦しみを味わった上また生き返るのでしょうか?

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ