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娘に真っ直ぐな気持ちを向けたい

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3歳になった女の子ともうすぐ1歳になる男の子の子育てをしています。

私は、周りからしつけも満足に出来ない親だと思われたり、子どもたちが周りの人に迷惑だと思われたりする事もとても怖いです。

そんな事は子たちには関係なく、私が勝手に思っている事だという事もわかっていますが、どうしても不安です。

それを理由にするのはダメだとは分かっています。それでも、キツく怒らなくてもいいようなことをどうしても言わずにおれず、キツく怒鳴ってしまいます。特に、3歳の娘へは素直に接する事が出来ず、毎日のように感情的に怒鳴ってしまいます。

娘はイヤイヤ期なのもありますが、毎日何をするにも一度は嫌と言わなければ気が済まなかったり、出かけても走り回って人にぶつかる上に迷子になったりすることも多いです。

それに対して、私が何でもかんでも怒るせいで、娘は萎縮してしまい悪さはしますが何をするにも私の顔を伺い、私が側に行くとすぐにごめんなさい、ごめんなさいと頭を庇って謝ります。

また、1日に何度も何度も不安そうな顔で「お母さん何にも怒ってない?」と確認をします。

こんな子にしたかったわけじゃないです。もっと自由に笑って欲しいし遊んで欲しいとは思っています。でも私が上手く娘に接してあげられないせいで、娘はとても窮屈に育ってしまっています。

私が怒りすぎるせいで、娘はお父さんにばかり甘えます。それも私は面白くなくて、じゃあ私の所には来なくて良いと突き放すようなことを言って娘を傷つけてしまいました。

どうしたら娘に素直に向き合えるでしょうか。
娘とちゃんとした親子関係を築くために、私は何をすべきで、何をしてはいけないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悪く言ってその子がよくなったケースは何一つない

無自覚の毒親にならないようにするべきです。
あなたが怒られた、きつく叱られた、怒鳴られた、感情的に嫌な言われ方をされてうれしいことが一度でもあったでしょうか。
いや。
むしろ、それが影響されて、今もあなたのお子さんに負の連鎖が続いている。
その子も口癖が映るという恐ろしい結果が待ち受けているということを本当に恐怖してください。
絶対に感情的に叱ったり、頭ごなしに押さえつけてはいけません。
7歳までは何をやらかしても、親のルールや感覚でくどくど言わないことです。
失敗は失敗した本人が一番知っているのです。
だからと言って、何も言ってはならないなどとは言っておりません。
いうべきことは言う。
ただし「言い方」だけです。
相手が嫌がらないように言うのです。
あなたが起これば子供もおっこりっぽくなる。
あなたの人間性としての恥がそのまま影響される。
そんなかわいそうなことをして履けません。
あなたは大人としてもまだ成長中なのです。
あなたが成長し続けることでお子様もよい子になるのです。
子育ては子供を育てるのではなく、自分自身が常に精神亭に今も成長を続ける志を持ち続けることです。仏教ではこれを菩提心といいます。
あなたにその精神向上のこころがあれば、その穏やかな心がそのまま自然にお子さんに伝わってお互い、いやな思いをしなくて済むようになるのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

親は子どもが本当に困った時に居ればいい

ユキノシタさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。

ユキノシタさんは、周りからしつけも満足に出来ない親だと思われたり、子どもたちが周りの人に迷惑だと思われたりする事もとても怖いのですね。ユキノシタさんには、3歳になった女の子ともうすぐ1歳になる男の子がいて、特に3歳になる娘さんには感情的に怒ってしまうのですね。

私も身につまされる話です。

私の気持ちが落ち着いているときは冷静に対処できます。しかし、時間が無いときや誰かを待たせているようなときに、子どもがよく分からない理由でイヤイヤを言うと、私がイラッとして感情的に怒ってしまいます。あとで、私は大いに落ち込んで反省するのですが。

親の存在って何でしょう。

私は、「子どもがどうしても困ったときにそばにいて助けることができる存在」であると考えています。つまり、子どもがどうしても困ったことに遭遇しなければ、放って置いてもいいものなのです。

ユキノシタさんが娘さんに怒りを向けてしまうのは、周りからしつけも満足に出来ない親だと思われたり、子どもたちが周りの人に迷惑だと思われたりする事がとても怖いからでしょう。

子どもは関係ないことです。ユキノシタさんが、周りにどう思われるかを気にしているだけなのです。

お釈迦さまは、悪口を散々言われても涼しい顔をしていました。そして、「私は悪口を受け取らない。すべてあなたが持って帰りなさい」と追い返したそうです。

ユキノシタさんも、誰に何を思われても受け取らなければいいのです。ユキノシタさんの中で怒りのマグマを燃やして娘さんにぶつけないようにしてあげてください。
私も精進いたします。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。

自分が毒親になっているという自覚はありました。
そうならないように歯止めをかけたい自分もいました。

私の怒った時の口癖を、娘も真似をしています。
お返事を見てとても恥ずかしくなりました。

悪口を聞き流せる人間になれるよう、精進したいと思います。

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