夫が自死しました
夫が自死して2か月が経ちました。過労により精神を病んでいたのだと理解しています。
夫の死後、仏教を学び、これまでの苦しさは煩悩であり、夫は自らの煩悩に飲み込まれるように亡くなったのだと思うようになりました。生きることは苦しいことだらけ。執着を無くすことが悟りへの道。
「生きたい」という欲望は、「生かされている」と感謝する気持ちで付き合うことが大切なのかなと思うようになりました。
苦しんでも良い、この身を引き裂かれる苦しみすらもいつか何かを悟る学びになると思っています。ですが、お腹を痛めて産んだ息子、血を分けた兄弟を失った悲しみを抱えた義実家の方々の苦しみの前ではそんな事を申し上げることもできません。冷静な自分が、自分だけ苦しみから逃げているような非情な感覚がします。
なぜ1歳の娘を、大切にしていたお父さん、お母さん、お姉さんをおいていってしまったのかという怒りが昇華できない自分もいます。これはどうしようもない感情なのだと半ば諦めかけてもいますが・・・できれば故人のことは温かい気持ちだけで思い出してあげたいものです。
人を幸せにしたい、自分も幸せでいたい。それ自体も煩悩でしょうか。よりよい未来を望むことに罪悪感を感じます。どのような心がけで生きていけば良いのでしょうか。「悟る」ことと「諦める」ことの境界に悩んでいます。ご教授頂けたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからもご主人様と共に生きて
拝読させて頂きました。
ご主人様がお亡くなりなさりあなたは今深い悲しみや怒りや苦しみの淵に立たされておられることと思います。大切な方を亡くされたその思いは筆舌に尽くし難い事と思います。
あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
先ずご主人様がこれから仏様のお迎えお導きをお受けなさり、仏様の元にお生れなさり安らかになられます様にと心から仏様に願いお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
ご主人様は必ず仏様の元に生まれ親しい方々やご先祖様と再会なさり、心から穏やかに安心なさって下さいます。
そして心円満にご成仏なさいます。ご主人様はこれからもあなたやご家族の方々をいつもお見守りなさってくださいます。そして皆様の幸せを心から願っておられます。
ご主人様は今までお仕事も過剰な状態になり病にかかられたのでしょう。その病の苦しみは本当に辛かった事でしょう。ご主人様はその病の為にお亡くなりになったのです。
今はその苦しみから解放されて仏様の元にて病や苦しみなく心穏やかになっておられます。
あなたやご家族にとってその死を受け入れることは本当に辛いことです。その事を受け入れる事や諦める事は簡単ではないでしょう、大変難しいかと思います。私達は様々なご縁の中で生かされていますからそれを何も無かった事の様に割り切ることはできません。
あなたもどうかご自分の思いに蓋をせずご主人様へ思いをそのまま手を合わせてご供養なさりながら心の中でお話しなさってくださいね。ご主人様は必ずあなたのお気持ちをそのまま受け止めて下さることでしょう。
又あなたがお気持ちをお話しなさりたいならば私達にお話しなさって下さい。
この場所でも良いです。
或は私達僧侶が開いております自死遺族の分かち合い「いのちの集い」にご参加頂いても宜しいかと思います。
http://www.bouzsanga.org/share.html
毎月第4木曜午前10時半~東京中央区築地本願寺様にて午前中仏様の前で分かち合いさせて頂き、その後仏前にてご供養させて頂いております。今月は24日です。特に予約等はありませんし、参加は無料ですからもしも宜しければどうかご参加なさってください。
あなたもご家族の皆様もこれからもご主人様とのご縁の中で生き、ご主人様にお見守り頂き、仲良く幸せに生きることができるのです。
今はそのお心の想いをそのままに故人にお伝えられたら
大切な方の死に対して心よりお悔やみ申し上げます、そして心より大切な方の往生を祈らせていただきます。大切な方への色々な想いが日々お心の中を渦巻いておられるものと思います。そして生ということについて色々と仏教からお考えになられ大切な方の死を受け止められようと必死なのかとお察しします。おっしゃるとおり「生きることは苦しいことだらけ。執着を無くすことが悟りへの道」ではあります。でも執着をなくすことは容易ではありません、無理に無くそうとすれば生きる力も削がれていきます。 「「生きたい」という欲望は、「生かされている」と感謝する気持ちで付き合うことが大切なのかな」その通りです。その感謝の気持ちが自ずと苦しみを招く無用な執着や無用な煩悩をコントロールしてくださるものかと思います。「人を幸せにしたい、自分も幸せでいたい。それ自体も煩悩でしょうか」煩悩かもしれません、でもそれは生かされているという感謝に基づくものでありれば人生にての良き煩悩かと思います。そしてそのことを大切な方も望んでいるはずです。でも今は無理に理解、受け入れようとはせずにその想いをその方の位牌の前で写真の前でその方を心に浮かべ遠慮なく全てを伝えられたらいいのではと思います。理解するのは受け止めるのはもう少し後でもいいのかなと思います。改めて大切なる方とあなた方のお幸せを祈ります、南無阿弥陀仏
心からお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
過労による自死というのは私は病死と思っています。精神的な病による病死なのです。
ですから、ご主人を責めても仕方がないことなのです。病を制御することはとても難しいのですから。今は悲しみの中に沈んでいることと思います。我慢することはありません。思い切り泣いてください。
詳しい経緯は存じませんが、はたしてご主人は煩悩に飲み込まれたから亡くなったのでしょうか?
むしろ、誰よりも責任感が強く、誰よりも人の為に働いたからではないでしょうか?
今後、十分な時間が経って気持ちが落ち着いたら、ご主人がなぜ病になったのか、考えてくれたらと思います。
結果には必ず原因があります。
できればその病の原因を見つけて、同じ病にご主人の同僚やあなた自身が掛からないように対策を講じてくれたら、と思います。
ご主人もそれを望んでいるのではないでしょうか。
もちろん無理なこともありますから、あなたにできる範囲でかまいません。
「諦める」とは「明らかにする」という意味もあります。
ご主人の病やその病の原因を明らかにして、何か対策としてできることがあれば、同じ病に苦しむ人の助けになれば、と思います。
ご主人が居ない生活はとても寂しく辛いものと思います。どうか、ご主人とはまたいつか会えると自分自身に言い聞かせて、これからも親子で力を合わせて生きてくれたらと思います。
なお、人を幸せにしたい、自分も幸せにしたい、そのような思いは煩悩とはいわないのですよ。
質問者からのお礼
<kousyo kuuyo Azuma様> お念仏を唱えて頂き有り難うございます。主人との縁を大切に、これからも共に生きていくこと、今感じていることを受け取ってもらえると信じて彼に話しかけ続けること、お導き頂き有り難うございます。お言葉を胸に、これからを生きていきたいと思います。
<憲章様> ひとつひとつご丁寧に答えて頂き、ありがとうございます。生きる力にもなるほどよい執着、中庸を求める上で、「感謝の気持ちが自ずと苦しみを招く無用な執着や無用な煩悩をコントロールしてくださる」ことが、大切なのですね。自死という結末が残念で、苦しくて・・・受け止めるのはもう少し後でいいとのお言葉に救われました。彼に語りかけながら、これからをゆっくり考えていきたいと思います。
<聖章様> お返事有り難うございます。聖章様のお言葉、胸に突き刺さります。おっしゃる通りで、誰よりも責任感が強く、理想が高く、真面目な人でした。今は・・・彼が病に陥った原因は複雑で、彼自身にしか実際の所はわからない、むしろ彼自身にもわからない部分があるのではないかと思います(詳しい事情は彼の名誉のためここに書くのはためらわれます。お許しください)。会社には、業務改善策を提示して頂きました。彼の働き方に、法的問題があったかどうかは自分でも知識不足な部分があり、勉強しているところです。こころの相談電話はうまく機能していませんし、自殺に傾いた人たちを、hasunohaのようなサイトに導かれるような社会制度作りのためにどうしたらよいか。そして、妻でありながら夫を助けられなかった自分自身の問題について。「明らかにする」努力をして参る所存です。また悩めるとき、ご相談させて頂けたら幸いです。