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夫が自死しました

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有り難し有り難し 38

夫が自死して2か月が経ちました。過労により精神を病んでいたのだと理解しています。
夫の死後、仏教を学び、これまでの苦しさは煩悩であり、夫は自らの煩悩に飲み込まれるように亡くなったのだと思うようになりました。生きることは苦しいことだらけ。執着を無くすことが悟りへの道。
「生きたい」という欲望は、「生かされている」と感謝する気持ちで付き合うことが大切なのかなと思うようになりました。
苦しんでも良い、この身を引き裂かれる苦しみすらもいつか何かを悟る学びになると思っています。ですが、お腹を痛めて産んだ息子、血を分けた兄弟を失った悲しみを抱えた義実家の方々の苦しみの前ではそんな事を申し上げることもできません。冷静な自分が、自分だけ苦しみから逃げているような非情な感覚がします。
なぜ1歳の娘を、大切にしていたお父さん、お母さん、お姉さんをおいていってしまったのかという怒りが昇華できない自分もいます。これはどうしようもない感情なのだと半ば諦めかけてもいますが・・・できれば故人のことは温かい気持ちだけで思い出してあげたいものです。

人を幸せにしたい、自分も幸せでいたい。それ自体も煩悩でしょうか。よりよい未来を望むことに罪悪感を感じます。どのような心がけで生きていけば良いのでしょうか。「悟る」ことと「諦める」ことの境界に悩んでいます。ご教授頂けたら幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これからもご主人様と共に生きて

拝読させて頂きました。
ご主人様がお亡くなりなさりあなたは今深い悲しみや怒りや苦しみの淵に立たされておられることと思います。大切な方を亡くされたその思いは筆舌に尽くし難い事と思います。
あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。

先ずご主人様がこれから仏様のお迎えお導きをお受けなさり、仏様の元にお生れなさり安らかになられます様にと心から仏様に願いお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

ご主人様は必ず仏様の元に生まれ親しい方々やご先祖様と再会なさり、心から穏やかに安心なさって下さいます。
そして心円満にご成仏なさいます。ご主人様はこれからもあなたやご家族の方々をいつもお見守りなさってくださいます。そして皆様の幸せを心から願っておられます。

ご主人様は今までお仕事も過剰な状態になり病にかかられたのでしょう。その病の苦しみは本当に辛かった事でしょう。ご主人様はその病の為にお亡くなりになったのです。

今はその苦しみから解放されて仏様の元にて病や苦しみなく心穏やかになっておられます。

あなたやご家族にとってその死を受け入れることは本当に辛いことです。その事を受け入れる事や諦める事は簡単ではないでしょう、大変難しいかと思います。私達は様々なご縁の中で生かされていますからそれを何も無かった事の様に割り切ることはできません。

あなたもどうかご自分の思いに蓋をせずご主人様へ思いをそのまま手を合わせてご供養なさりながら心の中でお話しなさってくださいね。ご主人様は必ずあなたのお気持ちをそのまま受け止めて下さることでしょう。

又あなたがお気持ちをお話しなさりたいならば私達にお話しなさって下さい。
この場所でも良いです。
或は私達僧侶が開いております自死遺族の分かち合い「いのちの集い」にご参加頂いても宜しいかと思います。
http://www.bouzsanga.org/share.html
毎月第4木曜午前10時半~東京中央区築地本願寺様にて午前中仏様の前で分かち合いさせて頂き、その後仏前にてご供養させて頂いております。今月は24日です。特に予約等はありませんし、参加は無料ですからもしも宜しければどうかご参加なさってください。

あなたもご家族の皆様もこれからもご主人様とのご縁の中で生き、ご主人様にお見守り頂き、仲良く幸せに生きることができるのです。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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今はそのお心の想いをそのままに故人にお伝えられたら

大切な方の死に対して心よりお悔やみ申し上げます、そして心より大切な方の往生を祈らせていただきます。大切な方への色々な想いが日々お心の中を渦巻いておられるものと思います。そして生ということについて色々と仏教からお考えになられ大切な方の死を受け止められようと必死なのかとお察しします。おっしゃるとおり「生きることは苦しいことだらけ。執着を無くすことが悟りへの道」ではあります。でも執着をなくすことは容易ではありません、無理に無くそうとすれば生きる力も削がれていきます。 「「生きたい」という欲望は、「生かされている」と感謝する気持ちで付き合うことが大切なのかな」その通りです。その感謝の気持ちが自ずと苦しみを招く無用な執着や無用な煩悩をコントロールしてくださるものかと思います。「人を幸せにしたい、自分も幸せでいたい。それ自体も煩悩でしょうか」煩悩かもしれません、でもそれは生かされているという感謝に基づくものでありれば人生にての良き煩悩かと思います。そしてそのことを大切な方も望んでいるはずです。でも今は無理に理解、受け入れようとはせずにその想いをその方の位牌の前で写真の前でその方を心に浮かべ遠慮なく全てを伝えられたらいいのではと思います。理解するのは受け止めるのはもう少し後でもいいのかなと思います。改めて大切なる方とあなた方のお幸せを祈ります、南無阿弥陀仏

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長くサラリーマンをしていて、16年前先代の跡を継ぎました。住職となって改め...
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心からお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏

過労による自死というのは私は病死と思っています。精神的な病による病死なのです。
ですから、ご主人を責めても仕方がないことなのです。病を制御することはとても難しいのですから。今は悲しみの中に沈んでいることと思います。我慢することはありません。思い切り泣いてください。
詳しい経緯は存じませんが、はたしてご主人は煩悩に飲み込まれたから亡くなったのでしょうか?
むしろ、誰よりも責任感が強く、誰よりも人の為に働いたからではないでしょうか?

今後、十分な時間が経って気持ちが落ち着いたら、ご主人がなぜ病になったのか、考えてくれたらと思います。
結果には必ず原因があります。
できればその病の原因を見つけて、同じ病にご主人の同僚やあなた自身が掛からないように対策を講じてくれたら、と思います。
ご主人もそれを望んでいるのではないでしょうか。
もちろん無理なこともありますから、あなたにできる範囲でかまいません。
「諦める」とは「明らかにする」という意味もあります。
ご主人の病やその病の原因を明らかにして、何か対策としてできることがあれば、同じ病に苦しむ人の助けになれば、と思います。

ご主人が居ない生活はとても寂しく辛いものと思います。どうか、ご主人とはまたいつか会えると自分自身に言い聞かせて、これからも親子で力を合わせて生きてくれたらと思います。

なお、人を幸せにしたい、自分も幸せにしたい、そのような思いは煩悩とはいわないのですよ。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

<kousyo kuuyo Azuma様> お念仏を唱えて頂き有り難うございます。主人との縁を大切に、これからも共に生きていくこと、今感じていることを受け取ってもらえると信じて彼に話しかけ続けること、お導き頂き有り難うございます。お言葉を胸に、これからを生きていきたいと思います。

<憲章様> ひとつひとつご丁寧に答えて頂き、ありがとうございます。生きる力にもなるほどよい執着、中庸を求める上で、「感謝の気持ちが自ずと苦しみを招く無用な執着や無用な煩悩をコントロールしてくださる」ことが、大切なのですね。自死という結末が残念で、苦しくて・・・受け止めるのはもう少し後でいいとのお言葉に救われました。彼に語りかけながら、これからをゆっくり考えていきたいと思います。

<聖章様> お返事有り難うございます。聖章様のお言葉、胸に突き刺さります。おっしゃる通りで、誰よりも責任感が強く、理想が高く、真面目な人でした。今は・・・彼が病に陥った原因は複雑で、彼自身にしか実際の所はわからない、むしろ彼自身にもわからない部分があるのではないかと思います(詳しい事情は彼の名誉のためここに書くのはためらわれます。お許しください)。会社には、業務改善策を提示して頂きました。彼の働き方に、法的問題があったかどうかは自分でも知識不足な部分があり、勉強しているところです。こころの相談電話はうまく機能していませんし、自殺に傾いた人たちを、hasunohaのようなサイトに導かれるような社会制度作りのためにどうしたらよいか。そして、妻でありながら夫を助けられなかった自分自身の問題について。「明らかにする」努力をして参る所存です。また悩めるとき、ご相談させて頂けたら幸いです。

「身近・大切な人が自死・自殺」問答一覧

部長として友人として、どう反応すべき?

先月先輩が引退してから高校ダンス部の部長を務めています。 私たちは部員不足に日々悩まされており、自分の学年などは私が入部した時学年1人(私だけ)の様相でした。頼み込んで仲の良い友達数人に途中入部してもらって、彼女たちも部活を気に入ってくれている状態で今に至ります。 深刻な人数不足解消のため、もともと私たちの学年で新歓の呼び込みを頑張ろうねと言う話は、前々からしていました。 ここからが本題です。最近、発表に惹かれたと言ってくれた同級生の子たちを、同期の子たちがすごい勢いで呼び込んでいるのです。 SNSで未経験でも大丈夫!最高学年から途中入部でも平気だよ!というふうに入部を呼びかけていて… ほぼ入部を心に決めた子もいると聞きました。 彼女たちが本気で部活の現状を憂いてくれているのはわかるし、皆がうちに興味を持ってくれること自体はとても嬉しくありがたいことなのですが、最高学年(しかも未経験で振り付けも技術も一から教えなければならない)が何人も部活に入ってくることになります。自分達の練習と後輩の指導に加えてさらに仕事が増えるのは明白です。 それに、最高学年の段階で入ってきてくれたとて、今年には引退なので、未来の部活のため、後輩のためにはならないのです。 同期たちが指導を担ってくれるならまだしも、彼女たちは兼部で、もともと出席率が低めです。しかも同学年の中で振り付けを完璧に覚えているのは私ともう1人の子だけなのです。(その子は勧誘活動していません)私たちに負担が集中することは目に見えています。仲の良い訳ではない同学年の新入部員。指導は手に余ると感じてしまいます…。 同輩たちを無責任だと思ってしまう心の狭さに自己嫌悪しかないです。私は沈んでいく船の修理を拒む老害なのでしょうか。 引き継ぎ以降どんどん積み上がっていく部長の仕事にただでさえいっぱいいっぱいなのに、新しい頭痛の種に耐えきれません。 勧誘をやめてなどと言って私が新しい子達を拒絶しているのがバレて、軽蔑されるのが怖いです。だって同輩たちが部のためを思って善意で勧誘活動をしているのは見ればわかるのです。 この気持ちが排他的で自己中で食わず嫌いで、とにかく最低なことはわかっています。でも心がついてこないのです。自分を納得させる方法か、同輩への伝え方のご助言いただきたいです。

有り難し有り難し 19
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彼の自殺と苦悩

先日、こちらで彼が、わたしと何か言えない事情で別れようとしている、という件についてご相談しました。 その彼から、 わたしとは無関係の、わたしに言えない、彼の抱える問題のために別れよう。他の人と幸せになって。自分問題には巻き込めない。という言い方で別れを告げられました。泣きながらでした。 今住んでいるアパートからはいなくなる、とも言っていました。行き先は言えないと。最近部屋の掃除をしていたので、引っ越し準備だと理解しました。 私のことは大好きだから、俺の問題に巻き込めない、と苦しみながら頑なに言うので。なぜ、どうして、と何度も食い下がるのはやめました。お互いそれなりの年齢なので、背負うものもある、こういうのも人生なのだ、と、思いました。 でも、別れを受け入れるかわりに、 別れるならお互いの気持ちが落ち着いたら友達になろう。 どんなにつらい事があっても生きよう、お互い何かあれば声をかけあい、孤独にはならないようにしよう、 とわたしは言い、彼は頷いてくれました。 その日は別れることに納得したつもりで帰りました。 それでも、翌日に未練が湧いてきました。あまりに未練がましく言うのはいけないが、もう一度だけ食い下がってみよう、と。電話をかけたら、電話が繋がらなくなっていました。 そして、そのあと、彼が自死したことがわかりました。 なぜなぜなぜ、と。片付けしていたのは死ぬためだったのか、と。やむを得ない事情って何?!と。絶対別れないと言えば良かったのか、と。わたしに幸せになれ、と言ってもこんな最後では無理だ、とか。 過去の彼の発言一つ一つを思い出し、脳内が暴走します。 ぐちゃぐちゃと脳内が混乱して、受け止めれないし、彼の旅だったところへ、同じ場所、同じ方法で追えば会えるのだろうか、後を追いたい、とか。 しっかりしろ、と自分に言い聞かすのだけど、疑問、喪失感、自責の念、やり場のない怒り、色んなものが渦巻いて。苦しくて苦しくて、苦しくて苦しくて。 辛いです。辛くてたまりません… 助けてください。。。どうすれば良いのでしょうか。

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私の誕生日前に義弟が自殺してしまった

はじめまして。よろしくお願いいたします。 先日、私の誕生日の4日前に、主人の弟が自殺で亡くなりました。 私はいわゆる機能不全の家庭で育っていて、自分の家族とは絶縁しております。私の誕生日は10歳でなくなりました。母親と同じ誕生日で、母親がそれを嫌がった為です。 そんな境遇を知っている主人は、出会ってからずっと私の誕生日を大事にしてきてくれました。今回のことがあって、この先私の誕生日が主人にとって辛いものになるのではないか、という不安があります。 義弟の葬儀は家族葬で、お義母様のご意向で他の兄弟の配偶者達も参列せずに行われました。ですが、これからの法事には長男の嫁である私は参加しないわけにもいかないと思います。するとどうしても誕生日前後に法事がはいることになるかと思います。 私は祝われないことは慣れていますので問題ありません。ですが主人は昔から私が自分の誕生日を何とも思っていないことを悲しんで、特別な日だよ、君が生まれた大切な日だよ、と毎年少しでも私を喜ばせようとしてくれていました。 なのでこれから毎年、主人が弟を思い出し悲しむ気持ちと、私への申し訳なさの板挟みになるのではないか、と不安に思っています。 そして、そう不安に思うのに、自分の誕生日になど何の意味もないと思ってきたはずなのに、ここにきて少し寂しいと思ってしまっている自分がいます。 2人で笑い合って楽しい1日を毎年過ごさせてもらっているうちに、いつのまにか楽しみになっていたのだな、と気付かされました。 祝ってほしいとかではなく、あの楽しい日がなくなってしまう、ということに心がついていかない、というような感覚です。 言葉を選ばずに言いますと、期待しなければ傷付かずに済む、と凍らせた心を、何年もかけて温めてもらい、やっと楽しみに思えるようになったのに、また心を殺さなくてはならないのか、というような…。 義弟が亡くなったことは心から悲しく思いますし、恨むであるとかそんな気持ちは微塵もありません。 主人に大切にしてもらっているうちに私は相当な甘ったれになったようです。もう一度心を殺せる自信が今の私にはありません…。 でもこんな私を愛して大切にしてくれる主人の気持ちに寄り添い、私になど気を遣わせず、この先ずっと共に義弟を偲んでいきたいのです。 私の性根を叩き直すようなお言葉をいただけませんでしょうか。お願いいたします。

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いつか死んだ子に会いたい

我が子を自死で亡くしました。死後、いくつも心の闇を抱えていたことを知りました。その内容は裏切りでもあり、哀しみでもありました。 以来、想像を絶する悲嘆と悲しみに苦しむ日々です。 私自身、寺に生まれ寺で育ちました。懐疑的な性格であったので、熱心な仏教徒ではありません。 我が子の死と向かい合わなくてはならなくなった今、仏教やキリスト教で何かが救われるかと言うと、やはりまだそこに至っていません。 辛くてメンタルクリニックにも行きましたが、薬が欲しかったのではなく、あの子に会いたい、この苦しい気持ちをどうすればよいのか?という問いに医師は薬を勧めるだけでした。(当然ですよね…。) あの子に会いたい。話したい。抱きしめたい。あの子はどこにいるのか、自分が死んだら会えるのか、と日々問い続けています。 あの子が自分の周囲を彷徨っているのなら、声が聞きたいとイタコにすがろうかと思った時期もありました。霊感を説く宗教にはまってしまう人の気持ちがわかるようにもなりました。イタコや変な宗教には何もコンタクトは取っていませんが、辛い気持ちは何も癒されません。 最近、知人の医療従事者が、私に「自死した人はあの世に行けないんだよ」と言ってきたのは、さらに私を打ちのめしました。 私はいつか会いたい、その気持ちだけのためになんとか生きています。 あの世があるのか?そこで会えるのか? 誰もがわからないその問いでしょうが、 これからこの悲しみにどう気持ちをもっていけばよいのでしょうか。 愛別離苦の辛さだけでも、心が悲しみで爆発しそうです。 倶絵一処というのは、自死した子とは願ってはいけないのでしょうか。あの世があるのであれば、死に方次第でそんなに区別されるものなのでしょうか。 会いたい、会いたい。こう願う気持ちはおさまることを知りません。 体調のことがあって止められていた飲酒をするようになりました。長生きしたくないからです。それでも日々、仕事やボランティア等できることは無理してやっています。時々涙が出てきます。 自死したあの子と会いたいと、ひたすら願いながら。 けれどもだんだん疲れてきました。 自死した子と浄土で会えないならば、何に縋って生きていけばよいのでしょうか。

有り難し有り難し 61
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