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輪廻転生、未練について

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

この1ヶ月、こちらでは本当にお世話になっています。
初めての質問から、少しずつですが前を向いて生きて行けるようになりました。

でも時々、現実を受け入れる事が出来ない未熟な自分がいます。

まだ、未練があるのです。

彼の事は、一生忘れる事が出来ないのだと思います。
彼は、もう私が愛した彼ではない…

皆様の回答を繰り返し読見ながら、そう自分に言い聞かせています。

でも、ダメなんです…

私は、未練たらしいのでしょうね。

いつか、以前の彼に戻ってくれるかも…

今までごめんね…といって私を迎えに来てくれるかも…

そんな事ばかり考えてしまいます。

もし、この世で無理だったとしても、次生まれ変わった時には、間違いなく彼と結ばれる。
今は、来世に向けての試練なのかも知れない…って。

なぜここまで彼の事を愛しているのか?
なぜここまで彼に執着しているのか?

もう、私にはわかりません。

私は、来世で幸せになれるのでしょうか。

2017年8月25日 7:37

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無阿弥陀仏の念仏で来世は極楽

浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏して極楽浄土に往生したいと願うなら、必ず極楽浄土に往生できると言われます。
ですから、今すぐにでも「なむあみだぶつ」と口に出してみてください。
来世は必ず幸せになります。
人生のハッピーエンド確定です。
ハッピーエンドが確定したら、あとは途中の物語をどう脚色するかです。
どんなハードな人生でも、南無阿弥陀仏があるかぎりハッピーエンド。
でも、どうせならもう少し気楽に楽しく生きたいですよね。

なお、極楽浄土では、皆同じような姿形の光り輝く菩薩様になります。全員男性、つまりは極楽浄土に性別はありません。
なぜなら、極楽浄土では、男女の結婚で子供が生まれるのではなく、皆、蓮の華から出現するように生まれるから。
だから、極楽浄土で彼と再会したときは、恋愛対象としてではなく、対等な菩薩同士になります。
また、極楽浄土では自分と他人を区別しないそうです。彼と極楽で再開した場合、別々の身体でありながら、まるで相手が自分の身体の一部のように、恨みも何もないのだと予想できます。
一方で、極楽浄土では、あらゆる過去世(前世)の記憶を思い出す神通力が得られます。
過去の記憶をわかった上で、互いに恨みっこなしになれる場所が、極楽です。

2017年8月25日 12:33
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有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

書くことで自分を固定しないでね

こんばんは。今までの質問も遡って読ませていただきました。
とても純粋な気持ちで、彼とのお付き合いをされていたのですね。
けれども…それは、終わった話です。その時は真実だった。でもそれは、今の真実ではない。
今回の質問を拝読して、とても素直に心情を綴られていると感じます。けれど、言葉にすること・書くことで自分を固定してしまう事があるというのは、心の何処かにとどめて下さいね。
今回の質問、私から見ると「揺れている・変化の途中である」と読めます。試しに順番を入れ替えて、「来世では…」、けれども「少しずつ前を向いて生きて行けるようになりました」。内容は全くいじっていませんが、この「両面ある」のが真相だと思います。その、どちらも認めてあげる。「自分は前向きになってきたと思うけれど、彼を思い出すこともある」と。「どちらかが本当」という割り切ったところまでは届いていない。その途中にいる。
願誉師のお答えは、「その思いが出てきたら、それは仏様に預けてしまいなさい。お任せしなさい。自分マターから手放しなさい」、そして「その上で、もう少し自分が気楽に生きられる道を探したら?今から出来ることは、そっちでしょう?」と仰っているように、私には読めます。

2017年8月25日 23:08
{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...

質問者からのお礼

ありがとうございます。

彼と出逢う前までは、前世や輪廻転生など考えた事がありませんでした。

でも、彼と出逢い「運命」を感じ、共に過ごす中で「彼は彼では無く、私の一部」の様に感じ出しました。
実際に「一緒に居ると、例えようのない安心感がある。」とお互いに言い合う事が多く、前世では2人は1人の人間だったのかも?と思う位、同じ感覚や気持ち、行動、全てにおいて共通していました。

こんな話をしても、誰も信じてはくれませんでしたが、本当に彼とは「一心同体」だったと今でも思います。

だから、彼との別れが私にとって受け入れる事が出来ないのです。

南無阿弥陀…
繰り返し唱え続ける。

今の私には、そうするしかないのでしょうね…

佐藤様

ご回答ありがとうございます。

言葉にすること・書くことで自分を固定してしまう事がある…

なるほど。
そうですね…
仰る通りです。
確かに、ここに書き込みしながら、感情が溢れ出て来ていました。

過去にとらわれて、終わった事なのに現実を受け止める事が出来ない自分がいる。

それが許せない自分がいる。

でも、前に進まなければいけないと思う自分がいる。

いったいどうすれば良いのか、分からない自分がいる。

「もう少し自分が気楽に生きられる道を探したら?今から出来ることは、そっちでしょう?」

今からできる事…

過去に執着する気持ちを、無理に忘れようとせず、この過去があったから、今があるんだって心から思える様に…
そう思える事で、楽になれる気がします。

ここで相談させてもらうたびに、皆様のお気持ちが心にひしひしと伝わって来ます。

本当にありがとうございます。

「輪廻転生」問答一覧

輪廻があるなら、私は天界も地獄も見て来たのでしょうか?

こんにちは。 前回質問で、輪廻思想がどうも腑に落ちない、と主張した者です。 ただ、輪廻に限らず、事物が「ある」とも「無い」とも断定するのは中道の教えに反すると感じるので、輪廻思想の側からも質問させてください。 輪廻転生があるなら、私は六道あらゆる世界を見て、生きて来た事になりますよね。何しろ仏教の宇宙観は無数劫の時間スケールで成り立ってるのですから。 また、私は、いわゆる地球外生命というものも、必ずどこかの惑星で誕生し生を営んでいると信じています。 そうなると、私の魂(?)は天上界のめくるめく壮麗な世界も体験して来たし、地獄の底の恐ろしい責め苦も受けて来た事になりますよね? また想像を絶するような異星の光景も目の当たりにしてきたのではないでしょうか? 輪廻転生が教えているものって、 「そういう一切合切の有情は、別個に生きているのでなく、過去、現在通して、物質から魂のレベルまで、密接に繋がって生きてるんや。天人も地獄の衆生も、あらゆる命も決して他人事じゃおまへんで。なにせアンタがそれ自身だったんだからな。」 と言っているようにも思えるんです。なぜか関西弁ですが。 そういう所から、いわゆる慈悲って生まれるのでは無いでしょうか? 生前や死後を無記とするのは「智慧」ですが、また輪廻をわが事として受け止めるのは「慈悲」の根源なのかな?とも思います。 この2つの考えは矛盾するものではないとも、私には思えます。 お坊様方は輪廻と言うものをどのように受け止めてるのか、気になったので再び質問させて頂きます。 お考えを聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

輪廻転生はあるのでしょうか

こんにちは。 私は数年前から一人暮らしをしており、1人の時間も長くなると考え事をする時がしばしばあります。 その中で昔の嫌な記憶を思い出すことがよくあり、思い出した嫌悪感に我慢できずにたまに泣いてしまいます。 自分の性格や人間性のダメな部分に嫌気がさして自己嫌悪に陥るのですが、ああしてこうして育ててくれればこんな人間にはならなかったのに、と親のせいにしてしまう自分に何より腹が立ち、情けなくなります。 もちろん四六時中こうして悩んでいるわけではなく、仕事ができるありがたさや趣味に打ち込める楽しさもあり、普段はポジティブに生活しています。 ですが、人間いつか死ぬのなら、できるだけ早く死にたいなとも考えています。 自分で言うのもなんですが、感受性が豊かな自分にとっては家族も含め人付き合いに疲れてしまい、早く楽になりたいんだと思います(叱られるかもしれませんが… 死後の話でよく『輪廻転生』と耳にします。 私は現時点で20数年しか生きていませんが、もし人間として生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなければならないのならないのは御免だなと思います。 やはり死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのでしょうか?だとしたら魂の数には限りがあるのでしょうか? もう一度生き物に転生せずに済むのなら、魂ごと消えてしまいたいです。

有り難し有り難し 27
回答数回答 3

輪廻の主体

輪廻転生の事を考えると胸が痛くなります。何故仏教は命を一回限りとしないのでしょうか。 もちろん今ある生も今生限りのものですから人生が一回限りであることには変わりありません。 ただ殉教、殉死、心中等を遂げた歴史上の偉人の前世や来世が全く下らない物だったかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになります。 自分の運命や人生を全面的に肯定して死に切ったとしても、過去世や来世の全く違う人生によって矛盾をきたしたものになるとしたらどうでしょうか。 「七度生まれ変わって朝敵どもを皆殺にしたい」と言って自決した楠木正成が果たして貧民街の子供に生まれ変わる事は無いと誰が言えましょう。 彼は生まれ変わりを願いましたが、あくまで自分の人生を貫き通す意思であり、運命愛に過ぎません。 生涯不犯を誓って異国で命を落とした宣教師達の前世がどこかの売春婦であると考えただけで吐きそうになります。 もしそれで良いのならこの世での清貧、忠義や誠意も全く無意味なものとなりますから。 ただ輪廻思想が広大無辺な仏教の歴史の中で偉大な説法者達に受け継がれてきたものである事は否定できませんし、 私は至らぬ凡夫ゆえ仏教の各宗派の前提とする輪廻の教義まで仔細には存じ上げません。 仏教では、特に自性を認めない中観派では何が輪廻するとされているのでしょうか? 水車を廻す水や携帯を動かす電気のように、「私」ではない、「私」の生み出す執着そのものが輪廻するのでしょうか? 執着が輪廻するのであれば悟りを得た=執着を滅した釈迦が解脱に入られたと解釈できるように思えますが。

有り難し有り難し 36
回答数回答 3

輪廻からの解脱

回転寿司が大好きで週に一度は食べに行っています。 そこで、hasunohaの左上のロゴの類似であるホッキ貝より、味は赤にし貝、歯ごたえはつぶ貝が好きだなと気づきました。 気付いたんですが、ホッキ貝も食べますし、赤にし貝やつぶ貝のみ食べるという事をしませんでした。 そして回転するベルトコンベアを見て、自分の輪廻からの解脱は本当に難しいなと感じました。 今回の『輪廻』の定義は死んだ後の話ではなく、 『執着する限り何度でも苦が繰り返される、因果応報としての輪廻』です。 (本を見たりネットで調べたり人に聞いたりしたわけではなく、毎日自問自答しているうちに『生きているうちにも輪廻している』と気づきましたので、これは仏教やブッディズムでいう輪廻ではない、というご意見もあろうかと思いますが、その場合は正しい言葉を教えていただければ有り難いです) 気付いてもなかなかやめられない、そして心に余裕がなくなったら外的要因のせいにしている自分の心がいます。 ダンマパダや七仏通誡偈の中に、 諸悪莫作(サッバパーパッサアカラナン) 衆善奉行(クサラッサウパサンパダー) 自浄其意(サチッタパリヨーダパナン) 是諸仏教(エータンブッダーナサーサナン) がありますが、白楽天に言った道林禅師の『3歳の子供でも分かるが80歳の老人にもできない』という偈に自分の経験を当てはめて痛感しております。 僧侶の皆様は忘れてしまったらしょうがないのですが、忘れてしまいそうなときはどのようにして忘れないようにしていますか。 (忘れてしまいそうなときは忘れていないから、忘れることはない、という答えもあるでしょうが) 苦の輪廻を寿司で例えると味にアクセントを与えるワサビ(たまに多くつけすぎたり少なくつけたりして苦しむがちょうどよい辛さを探している)だと、勘違いしている自分がいるのかな? と迷ってしまっています。 いや、違う。ただ何も考えてないだけですね。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

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