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真の反省とは

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中学生の頃、好きな女の子のお尻を触りました。
触られた本人は私が故意に触ったかどうか知っているかは分かりません。

当時は罪悪感は感じることなく、むしろ達成感さえ感じていました。

しかし、数年が経ち、罪悪感をかんじるようになり、謝りたいという気持ちが芽生えてきました。

この謝りたいという気持ちは許されて楽になりたいという気持ちなのかもしれないと思ったのに加えて、
大ごとになるのではないかという恐れから、謝罪をしないでいます。

私はどのように罪を背負って行けばいいのでしょうか。
私は反省できているのでしょうか。
罪を犯してから、
今まで繰り返したことはありませんし、
これからも繰り返すつもりはありません。
しかし、それだけでは何か足りないように思えるのです。

被害者の気持ちを考えるために、性的被害にあった方の本を読みました。
私にとっての少しのことが、された側には大きな傷を作ってしまいうることを知りました。

このことから、私は死を選ぼうと思いました。
死を選ぶことは反省ではなく、逃げかもしれません。
謝罪ができなかった臆病者の私には無理なことかもしれません。

私は苦しくて、どうしていいのか分かりません。
こんな私が幸せを感じて良いのでしょうか。
人を不幸にしたのに幸せになって良いのでしょうか。心の底から反省ができれば幸せになって良いのでしょうか。

苦しみから逃れたいという自己中心的な思いがありながら、幸せになっていいのでしょうか。

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分はさておき相手の幸せを願ってください。

おはようございます。

死は万能じゃないです。
死んだところでその方の傷がいえるとは思えないです。

質問文を繰り返し拝読して感じたのは
相手の納得よりも自分自身が過去の自分を受容できるかどうかが問題になっている気がしました。

罪悪感や反省があるなら、相手にどうあってほしいのかという願いを持ってみてはいかがでしょうか。自分を罰するより相手の幸せをずっと願い続けるほうが、いいのではないでしょうか。

自分を責めるための行動ではなく、人知れずとも相手の人生を幸せを願うこと。
何かが足りなかったあのとき自分に、今の自分がフォローできること。

その視点で
毎日手を合わせるとか、
加害する側ではなくて守る側に立てるための何か準備とか。
など、できることは何かあると思います。
前向きに人生を歩んでくれることを願います。

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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

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