朋友、いらっしゃいますか
ご閲覧ありがとうございます。
漢字が合っているかわかりませんが、仏教について本で学んでいる時に「朋友」というものが出てきました。読んだ感じだと、精神的な向上心があり、人として成長を促し合える相手……、という感じでした(合ってるかな?)。そういう人を見つけられなければ、気にすることはない、一人で歩んで行けと。この朋友というのがちょっと、どんな関係性なのか想像できません。
お坊さんに明友はいらっしゃいますか?いらっしゃいましたら、その人はどんな方で、どんな関わり方をしていらっしゃるのですか?型にはめるみたいな質問ですが、例えば朋友というのがどんなものなのか、知ってみたいです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おはようございます。
私は大学で、第二外国語として中国語を学びましたが、中国語で「朋友」というのは、「友達」という意味と習いました。
おたずねの一節は、ブッダの「真理の言葉」(ダンマパダ)の第62、「旅に出て、もしも自分よりすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴(づ)れにしてはならぬ」(中村元 訳)の事だと思います。
友達というのは、自然とお互い尊敬しあえる仲になってくるんじゃないのかなぁ、と思います。「この人は信用できない」と思ったら、だんだん会わなくなりますからね。
さて、
斎藤孝さんという方をご存知でしょうか?NHKの子供番組「にほんごであそぼ」という番組の監修をしたりしている方です。明治大学文学部教授です。
この方の書いた著作に「そんな友達ならいなくたっていいじゃないか」という本があります
その中にこんな話があります。
「
例えば、友達の前ではまじめな自分を見せられない、ということはないだろうか?
「お前、何をマジになっているんだよ」
などといってがんばろうと思っていたキミの気持ちを引きづりおろすような仲間はいないだろうか?そのためにまじめにやっていることをかくさなきゃいけなかったりすることはないだろうか?
「あんなヤツ、まじめくさりやがって」と言って、まじめにやっている人を「なかまはずれにしよう」などと誘ってくるような仲間はいないだろうか?
これは、低いレベルの仲間意識によって生まれる、よくないことだ。ひきょうなことだ。
「低いレベルの仲間意識」、そう、それを作り出すのが「友達がいないと不安だ症候群」なのだ。
不安な気持ちを解決するために仲間になる、いわゆる「つるむ」という人間関係です。
」(引用終わり)
「つるむ」関係は、友情じゃない、と斎藤孝さんはきっぱり言っています。
このような「つるむ」関係は「朋友」とはいえないと思います。
「つるむ」関係ではなく、お互い尊敬しあい、高め合う友人関係を築きたいものです。それこそが「朋友」だと思いますよ。
質問者からのお礼
光禪 様
言葉の足りない私の質問文から、私のおたずねしたいことを正確に汲み取ってくださりありがとうございます。
>>友達というのは、自然とお互い尊敬しあえる仲になってくるんじゃないのかなぁ、と思います。
私もこう思いました。だから、こちらが誠意を持って人と関わりさえすれば、親しくなった人の多くが「朋友」になってしまうけれど、それでいいのかなと。それでよかったのですね。
斎藤考さん、存じませんでした。素晴らしい引用文をありがとうございます。「不安な気持ちを解決するために仲間になる、いわゆる「つるむ」という人間関係です。」その通りだと思います。良い関係を築くために、まず自分から誠実な心を育みたいと思います。
素敵なお考えに出会え感謝いたします。