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お金を盗む母親、どう付き合えば?

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5年前に離婚して息子を連れて実家に帰って来ました。私の母親もシングルマザーです。

共働きだったため祖母(母と血はつながってないが実母)といる時間が長く、高校、大学の費用、仕送りも兄弟3人分、祖母が出してくれたのでほとんど祖母に育てられたようなものです。

母親と父はお金の使い方が荒く、両親が離婚した際も父の作った借金の保証人が母だったということもあり祖母が肩代わりしています。

その後も金融会社から何度も借金をしては返すことが出来ず祖母が肩代わりすること数千万。職場から数百万円のお金を盗んで解雇されていたということもありました。

今まで私のお金に手を出すことはなかったのですが昨年実家を2世帯に新築し、今年に入り新築祝の100万円が盗まれました。「使ってないようだから借りてしまった」と手元に戻って来たのは40万でした。その後不信感から一時期ギクシャクもしましたが元に戻りかけた先月。私の息子の学資保険から貸付を私に黙って受けたようです。

母親に問い詰めたら最初は知らぬ顔でしたが、実はと告白しました。それも委任状をわざわざ私が書いたようにし、私の健康保険証まで持っていき借りたようで、姑息な手段を使ってでもお金を手に入れたい母に呆れてしまいました。

正直私もお金の使い方は下手です。でも母とは違い1人息子を大学まで自分の手で育てていきたいのです。私と息子が生活する分には充分の給料ですが将来が不安です。母の借金などで自宅を手放すような気がしてなりません。

それまでは母と息子で出掛けるくらい仲も良かったのですが、今は顔も見たくありません。

2世帯なので完全に上と下で生活する事も考えていますが、祖父母も同じ敷地内の離れで夕食以外は生活していることもあり、それを機に家族がバラバラになってしまうようでなかなか言い出せません。

今後私はどうすればいいのでしょうか?
できれば母とあまり関わりを持ちたくないです。
長文、乱文ですみません。御教授頂ければ幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

同居を続けたいならお金に触れさせないことです

お金にルーズな人を何人か見てきました(お坊さんに多い)。残念ながらそれが改まった人を見たことがありません。共通するのは、なおらないということと、何故なのか一見ひと当たりがよく、「いい人」を演じることができるという点です。だから、その人と対立すると対立した方が正しくても、周囲から悪者と誤解されるケースもあるようです。母上がそうであるかどうか分かりませんが。

したがって、残念ながら関わらないのがいちばん妥当なのだと思います。それができないのでしたら、お金そのもの、通帳はもとより、身分証明証などに至るまで絶対に母上の目の届かないところに保管なさるべきです。残念ながら、お金がほしいとなったら歯止めがきかないので、隙を見せないことです。

それにしても母上と同居したいお考えになるあなたはお優しい方です。ときとして私の周囲にも似たようなことが起こります。そんなとき家族や親せきの人の中に想像を絶するほど一生懸命に問題を起こしつづける人の世話を続ける方々がおいでになります。本当に素晴らしい方々です。あなたもそのようなお方なのでしょう。

しかし、現実は現実なので、今の生活をお続けになりたいのでしたら、ある面、心を鬼にする必要があると思います。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

空間的にバラバラであってもバラバラとは言わない。

身内は身内。
罪は罪。
いくら親でもDV働く親は暴力家なのです。
それで一生を台無しにされてしまった子どもも沢山います。
同じ様に、いくら親でも、泥棒は泥棒です。
あなたの中に、親だから、家族だからという甘え、甘やかし、スキを与えている事もいけません。
一切お金に関してはきっちり管理する。
スキを与えない。
家族というものは、家族だからいいじゃないか、という私的ルールを持ち込んでしまうものです。
自分の我欲のために使うだけでしょう。
それが為にお子さんに不憫な思いをさせてはいけません。
ですが、家族は憎むと、その憎む気持ちで自分が苦しみます故に、罪を憎んで人を憎まず。
母親に、このような行動をさせてしまった背景が悪いのであって、誰かを憎んではいけません。今後、お金の無心に来た時は、娘から母へのカウンセリングの機会だと思うことです。
話を聞いてあげてください。
何かきっと過去に壮絶なことがあったのだと思います。娘のあなたがそれを理解することで、あなたは母親を憎んだり、嫌ったりすることは無くなるでしょう。
人が悪事に走るのには必ず理由があります。
お母さんの心の不足、渇きを受け止めてあげてください。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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