お礼参りに行くタイミングについて
祈願の結果、願い事がかなったら、お礼参りをするのは大切なことであることはわかります。
ですが、祈願の内容によっては、どの時点をもって、祈願が成就したかわからないものがあります。
昨日、密教系のお寺に、北朝鮮情勢の鎮静化と、ヒアリ防除の祈願をしました(この国の自然環境を守ってください)。
どちらの問題も、すぐに根本的な解決は難しいと思います。いつの時点で、問題が解決したか、どのような状態になれば解決と判断できるのか、(あるいは、解決不可能となったか)の判断が難しいです。
こうした、「問題が解決した時点」の判断がつかない問題や、問題が解決したことが、かなり後になって気づくような問題を祈願する場合の注意点や、お礼参りの仕方について、みなさんの考え方を聞かせてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
専門ではありませんが・・・。
回答がないようなので・・・。小生の宗旨は、ことさら「祈願」とは申しませんので、まともなお答えになっているかどうか・・・。
まず、祈願には2種類あるのではないかと思います。
①自分の悩みや苦しみの解決を直接的に願う場合・・・❝自利行(じりぎょう)❞
②周り(社会)全体の平安・幸せを願い、結果的に自分も心穏やかになれる場合・・・❝利他行(りたぎょう)❞
①の場合。比較的はっきりと「ご利益」が感じられると思います。例えば病気が改善したり、家族が仲良くなったり、恋人ができたり・・・。この場合は「自分が良くなった」と思った時点で、お礼参りに行ったらいいのではないでしょうか。
②の場合。今回のあなたのご質問はこのタイプでしょう。この場合中々〈祈願が成就したかわからないもの〉だと思います。そして、あなたも言われるように〈すぐに根本的な解決は難しい〉問題でもあります。という事は、そう簡単に〈祈願が成就した〉と言い切れませんね。この場合は「お礼参り」というより「ズット願い続ける」ということが大事なのではないでしょうか?・・・。
仏様の願いは「あらゆる人を救いたい」という事で❝利他行❞と言われます。❝自利行❞に対して❝利他行❞は何倍も難しい、と考えます。その両方がピッタリ一致した時❝自利利他円満❞といって「文字通り成仏した」とも言われます。
お答えになったかどうか分かりませんが、これからもお寺にお参りして頂くことを願っております。合掌
大きな欲
普通の信者さん、はじめまして。質問を拝読いたしました。
密教系(真言宗)僧侶として回答いたします。
普通の信者さんは、密教系の寺院にて日本の自然環境を守るため、北朝鮮情勢の鎮静化と、ヒアリ防除の祈願をなさったのですね。しかし、「問題が解決した時点」の判断がつかない問題や、問題が解決したことがかなり後になって気づくような問題を祈願したとき、いつお礼参りをすればいいのか分からないのですね。
お礼参りは必ずしも必要ではないと私は考えています。
なぜなら、普通の信者さんは日本の自然環境を憂いて祈願をなさいました。この願いは、個人的な欲ではなく、社会的な欲です。空海は「大欲(たいよく)」と表現しました。
大欲はいつまででも持ち続けていくものであり、いつ解決できるのかは分かりません。普通の信者さんが、ずっと心の片隅に置いておき手を合わせ続けるものです。普通の信者さんが思い続けたとき、最後の一押しを仏さまが助けてくださいます。
仏さまが最後の一押しをしてくださるのが、祈願の成就(じょうじゅ)です。
祈願が成就したときは、感謝の心を持ってお礼参りをなさってください。お礼参りができないことで気にされることはないと思います。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。北朝鮮情勢は相変わらずであり、ヒアリも発見も相次いでいます。金体制が崩壊したとしても、フセイン政権崩壊後のイラクのように、かえって悪化する危険もあります。ヒアリにしても、港湾での発見例がないだけで、コンテナで運ばれて、内陸部のどこかに潜んでいる危険性もあります。
この世の中には、一個人、一組織(含む国家)だけでは、解決できない問題や、専門知識がなければ太刀打ちできない問題が、現実存在します。
ずっと心の片隅に置いておき手を合わせ続けることとします。