どうして「自分は傷ついてもいい思考」はNGなのですか?
こんにちは。
前々からひとつ疑問に思っていることがあります。
私は、以前、「他人を優先、自分は後からでいい、自分が好きな人が笑顔になれば自分は傷ついても構わない」という思考の持ち主でした。現在はそれが少し和らぎ、自分の心を平気で傷つけたりすることは減ったのですが、たまに「自分に優しくできない人は他人に優しくできない」と周りの人から言われます。それがよく理解できません。
私は、「私が不幸だとしても、他の人が幸せならそれでいい。世の中、誰かが幸せになるために、犠牲は必要だと思う。ビジネスが全てwinwinで行われていないように。誰かが損することで誰かが幸せになる。私は他人が幸せになるために、その犠牲になっても別にどうとも思わない。」ということを考えていたことがあります。
これって、間違っていますか?自分が幸せにならなくても、他人が幸せになるために自分の何かを犠牲にすることって、何か悪いことなのでしょうか。
自分は幸せにならなくても、他人は幸せにできると思ってしまうのですが。
「他人のためなら自分は傷ついてもいい」思考がなぜ「NG」と言われるのでしょうか。悲劇のヒロインぶってるからでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
NGなのですか?
私もしゅうがさんと、同じ様に思い、また、父から、その様に教わってきました。
『 他人の笑顔が、自分に幸せ、自分自身の事は、一番最後 』 と
最近やっと気がつきました。
実は、人の幸せは、私の幸せなのです。
だから、他人の笑顔が見たくなるのですよね。
犠牲でもないし、不幸でもありません。
こんな、人間、いても良いんじゃないかなと、思い、自分の信念を曲げずに、行動しています。
しゅうがさん 貴方は、菩薩様です。 輝いていますよ。
質問者からのお礼
長谷雄蓮華様>>
こんにちは、ご回答いただきましてありがとうございます。
その言葉を頂き、ほっと致しました。
私は、自分本位すぎる生き方はどうもできないのです。どんどん罪悪感が生まれてしまうというか……これは別に偽善心ではなくなんというか、私の性質からくるものなのですが。
これからも、誰かを思いやり、(迷惑にならない範囲で)手助けしていくことを続けます。
ありがとうございました。
しゅうが