謝罪されたら許せるか分かりません
二年前に他人だけど他人じゃない微妙な関係の人間に、自分勝手な理由で私に暴力ふるってきました。
私にも悪い所あったかもしれない。
でも自分の生活がうまくいかない、自分は精神病もち、虐待されてたから等でそこは関係ないだろの理由で暴行うけるのは意味わからないです。
最近、この事に関して謝罪しないといけないとそいつが言ってると他の方から聞きました。
一言謝ってくれたら私はスッキリするのに!許すのに!とお酒で酔った時に話してました。
だけど、本当に謝罪されたら許すのか。
顔を見て自分は逃げ出さないのか。
謝ったら許されると思ってるのか!と反対に怒らないか。
まだその会う予定すらないのに不安になっています。二年たったのに未だに思い出してはイライラしてる自分がいます。
もう終わった事なんだからと言われますが、自分の中では終わってないです。もし暴力ふるってきた人間が謝罪してきたら、絶対に許さないといけませんか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そもそも許すとは何でしょう
人間が人間をさばく。
相手を裁くことで自分が苦しい。
良し悪しのジャッジは苦しみになります。
実際の生活の上では自分が許そうが許したくないと思っていようが、そのことがもう終わりはててしまっているゆえに、人間のいうところの許す・許さないということを「超えた様子」があるというところに焦点を当ててみてください。
今も、相手を許す・許さないを離れて、この文字をご覧になられている。さっきまでも無心にご飯を食べていた時があったはずです。
ポイントは「あなたが許す・許さない」は、あなただけが気にされていることでしかなくて、実際の世界においてはさほど影響力を持たないということを知っておくとよいでしょう。
所詮、人間のやることです。
もちろん、相手の謝罪は、その謝罪が真実であるかどうかは大切です。
この世の罪は「謝ればOK」ならば、第三者に「ごめんなさい」と書かせた手紙で全てが許される。そんなことがまかり通るでしょうか。
謝罪とは相手が心底反省して、一生のその反省の姿勢が覆されることのない、自我を捨て切った謝罪の姿勢でなければ、真実の謝罪ではなくただのパフォーマンスにすぎません。
もし、あなたがあなた自身の人生をより豊かなものにしたいのであれば、そういう貸し借りや、損得、善悪、怒りを生み出すような相手とは完全に縁を切ることです。
そういうことが思い起こされたとしても、いたずらに心の老化が進んだり、清らかな人間性が損なわれてドロドロした心に染まる以外に何もいいことはありません。
相手を憐れみ、人間というものの不完全さをよく見極め、相手に高い人間性を期待せず、変わらない以上は何も相手に要求せず、ただ自身が今日、最高最上に安楽に生きられる道を選択されることをお勧めいたします。
それがあなたとあなたの心の健全さのためです。
物事や他人、自分の思いを「わたくしすること」。
これが人間の苦しみの根幹です。
どうにもならんことを、とやかく問題にして、神仏でもスーパーマンでも変えられない、今更変わり様のないことを、何とかしようとしても変わらないことを問題にされているのであれば、それはあなた自身としても「手放す」ことが大事です。
近づいて触れればやけどするのが火炎です。
火炎のそばに身を処しておられる自身の身の処し方も改めていく必要があると思います。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
こうなってしまった事は、もう変わらないんだからこの事に関して忘れるというか。
こんな事もあったーで思うことにします。
ずーっと悩んでたりしてて、
自分の時間を無駄にしていました。
この事は手放して、自分の人生を楽しく生きていきたいと思います。