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繰り返す精神異常

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

夜分遅く失礼致します。

脆い橋を渡っている感覚が未だになくなりません。どちらに行っても崩れ落ちそうな不安がずっと付きまとっています。

破壊の正当化が始まりました。前々からだったかも分かりませんが、子供のケンカで人が死にそうです。かと思えば、自分を守るための解散。でも、私たちはそれを信じなければならない。

心の持ちようで、ミサイルはなんとかできるのでしょうか。
日が昇ったとき、私達は何事もなく生きていられるのでしょうか。
強い不安を覚える私はおかしいのでしょうか。

まずは夜明け後、何事もないことを祈ります。難しいと思いますが。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無阿弥陀仏

随分おそくまで起きているのですね。毎日そんな感じでしょうか?

さて、無事目が覚めましたか?

私たちは夜寝る時に、「もう明日は目が覚めないだろう」と思って寝る人はいませんね。みんな「きっと明日はくるだろう」とどこかで信じていますね。

しかし何かを信じるという歩みは、何かに裏切られる歴史でもありますね。

世の中に絶対はなく、諸行無常の道理の前には何事も移ろい変わっていきます。私たちがあてにできると思っているものも死ぬときにはおいていかねばなりません。

お金も仕事も友人も家族も全てですね。

それらをあてにしても最後は死にます。生まれてくる時も死ぬときも一人です。

でも実は、私たちはそれらを信じるといいながら「それらを信じるとか言ってる私の心」を信じています。
で、私の心にかなわなかったら「信じていたのに!裏切られた!神も仏もない!」となります。
そういうのはもうやめませんか。それは神でも仏でもなく「私の都合」です。

私の都合を超える教え。それは私に「私の事実」を教えてくれるものです。私の場合はそれは南無阿弥陀仏の教えでした。南無阿弥陀仏によって私が私の都合を超えて事実に立つのではありません。
どこまでも「私の都合」に立つ私を事実・真実の大地から破り続けてくれる言葉となった仏様が南無阿弥陀仏です。

私たちはやはり何かを信じたい。そしてそれ(私の都合)に裏切られる。

それでも南無阿弥陀仏は私を裏切りません。私は南無阿弥陀仏を裏切りますが、南無阿弥陀仏は私を裏切らないのです。

朝目が覚めるのは、私が目を覚ました(自力・思い)のではないですね。目が覚めた(他の力・事実)のですね。
私の都合を超えて、事実は事実としてそこに今という一瞬を成立させ続けます。それでもそれを嫌だいやだと都合で踏ん張るか、都合を破られて身をゆだねていくか。

南無阿弥陀仏

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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もっともっと・・。不安を書き出してください

 それは不安でしょうね。私もそう思う時は多々あります。杞憂と言えばそれまでです。朝、目覚める度に「ああ、昨晩は何も無かった。悩んでいるけど生きている。困っているけど人に親切にしているな。」と常に自分に問いかけます。私は不安なことは人に聞いてもらってます。相手は迷惑がりますが・・・。
 あなたはこのhasunohaというご縁を頂きましたのでいくらでもあなたの不安を書いて投稿してください。書いて、僧侶方に観てもらい、返事をしてもらいます。何回も繰り返している内に意外に気が楽になるかもしれません。
 因みに不安を書くときは5W1hをなるべく使い、具体的にする努力はしてくださいね。お願いします。

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