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幸福を享受できない

私は今会社勤めをしているのですが、鬱になりただいま休職中です。そんなある日の土日に友人に誘われ外出しました。1泊2日のちょっとした旅行です。

旅行先でひとしきり楽しみ、朝まで呑みながらやいやい騒いでいました。
そして明け方、そろそろ寝るかと布団を敷き、雑魚寝で友人たちと寝ました。

横になりながら友人たちの寝息を聞いてると
「今自分は幸せなんだなぁ」とふと感じました。と同時に強烈に辛くなり涙が出てきました。

平日なら「今頃自分の仕事を誰かがやってるんだなぁ」と思い罪悪感を感じてしまうのですが、今回はまた別の罪悪感です。
その日は辛いので寝室から出てソファーで寝ました。
それいこう鬱症状は悪化し今に至ります。
文章は打てているのでそこまで悪くはないのですが…

家で一人で考えてしまいます
自分が幸せでいて良いのか
会社も休む羽目になり両親にもその他様々な方に迷惑をかけています。

早く社会復帰せねばなりません。
貢献しなければなりません。
親に心配をかけないようにしなければなりません。

病気を治すにはエネルギーを貯める必要があります。

しかしそのエネルギーたる幸福感や充足感のようなものが現れたとき、それをしっかりと胸にしまい込むことができないのです。
対象は不明です。
とにかく誰かに対して申し訳ないのです。

こんな自分が幸せで良いのか
幸せとはどのように受け止めればいいのか

厳しいお言葉でもかまいません。
なにかヒントになることをお教えいただけないでしょうか

後悔・自己嫌悪
有り難し 9
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

「…すべき」的な生き方、考え方止めましょうよ…

 「早く社会復帰せねばなりません」「貢献しなければなりません」「親に心配をかけないようにしなければなりません」そして「自分が幸せで良いのか」…こういったお気持ちを総称して『煩悩』と申します。
 すべて「こうあらねばならない」「こうであってはならない」という、自分の欲望(煩悩)の表れです。
 仏教は煩悩から離れることを説く教えです。「…ねばならない」的生き方からの解放を目指すものです。
 うつ…お辛い状態かと思います。どうぞお薬などをきちんと飲み、治療に専念なさって下さい。
 そして私は、人は皆多かれ少なかれ「うつ状態」はあるもの、なるものだと思っています。私もそうです…疲れたとき、物事が上手く運ばないとき…イラつき、落ち込み、悲しくなります。
 うつと無縁な人はいません…皆が灰色の存在です…その灰色の度合いによって病気と診断されるか、許容範囲とみなされるかだけの違いだと思います。「真っ白」だと言い切れる自信のある人には感情が無いのかとまで思います。
 幸せはなるものではありません…感じるものです。感じるものであるからこそ、幸せには今すぐなれるし、逆に一生涯かけてもなれないかも知れません。
 どうか、「…すべき」的生き方止めて下さい。力抜いて下さい。結論出さないで下さい。全般、まあこんなものだと頂いてください。
 それらこそが執着を離れる生き方です。仏の勧める生き方です。
 


質問者からの有り難し - お礼

お返事が遅れまして申し訳ございません。

幸せはなるものでなく感じるもの
確かにそうかもしれません

今はまだすんなりとしまい込めていないのが正直なところですが
いずれこれらの煩悩から離れられるよう精進します。

まずは目先の症状を克服するところから始めます。

ご回答いただきありがとうございました。

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