回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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思いません
生きててよかった。
と思えなければ生きている意味がない なんてことはないと思います。
わたしは、ただ生きているだけで、嬉しいことがあっても、悲しいことがあっても、それはそれとして生きています。「生きててよかったか。良くなかったか」と考えながら生きることは、なんだか不自然な気がします。
みんな、ただ生きているのだと思います。
ありがとう。あなたに会えて、うれしい。
ありがとう。あなたに会えて、うれしい。
基本的には、表題に挙げたことばに尽きると思います。
自分の能力に自信を持って生きている方はそれほど多くは無いと思います。斯く言う私自身もそうです。自分なりに頑張って勉強し自分の仕事に精進してきたつもりでも、実際ろくなもんじゃねえ自分を自覚せざるを得ません。志を抱いて頑張ろうと誓った翌日、昨日の誓いは何だったんだということも結構あります。
そんな私でも、寺の住職として自分の仕事に打ち込んだり、そういう過程でいろいろな方々と交流したりする中で、「ありがとう。」「お蔭様で」といわれることがあります。
くどい表現で申し訳ございませんが、「自分と言う存在を認めてもらえる。」「自分という人間でも、少しは人様のお役にたち、感謝してもらえることがある。」そういう時、自分がいままでやってきたことは無駄じゃあ無かったんだ。俺みたいな人間でも、存在価値があるんだ。まあ、生きてて良かったんだ。もう少し、頑張って生きていこう。そう思える時がありますよ。
りんさん、あなたにもきっと同じように感じる時があると思います。素敵な人生を歩まれますことをお祈り申し上げます
ありきたりですが。。。
こんばんは。
・人間ドッグで心電図をとったときに精密検査と言われたんですが、手を当てると普通にドックンドックン鼓動が聞こえるとき。
・80歳になったおっちゃんの店に行き、変わらん味の蕎麦を食べたとき。
・ジェットコースターが終わったとき。。
取り急ぎ。。