釣りに行きます。
この度、友人と釣りに行きます。
ずっと前にも釣りの是非を聞いた際に賛否両論ありました。
その友人とは幼馴染みなのですが、共通して釣りが趣味です。
私は何となく遠のき、釣りは一年ぶりです。忙しくて先日の友人の結婚式にも出られなかったのですがこの度久しぶりに幼なじみと顔を会わせることが出来、楽しみにしています。
釣りに関しては、魚に感謝の気持ちをもって、持ち帰って家族で頂く。といった気持ちがあれば間違った行為ではないと考えて良いものでしょうか。
大漁だとしても、必要以上に釣らないという考え方で良いのでしょうか。
宜しくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
魚は食べられて成仏する
「魚は食べられて成仏する。」
「残せば殺生である。」
私の父は僧侶なのですが.....
その父が、食卓に魚が出る度そう言って魚に手を合わせていました。
僧侶は日ごろから、生と死を深く考えているため、そのような心を伝えていたのだと思います。
我々が普段口にするのは、漁師さんが食用の為捕ってこられた魚です。
日本では縄文時代から、脈々と生活のために魚をいただいてきました。
最近になり、レジャー的要素を含む釣りのスタイルが確立され、魚との関わりも変化しました。
私は、レジャーの釣りを否定しません。
スポーツであり、本気で取り組んでいる方もおられます。
しかし、中途半端に命をもてあそぶような釣りは、好ましく思いません。
今度は幼馴染の方と釣りを通し、旧交をあたためられるのですね。
それ自体は、素敵な事です。
私も一度、恩師(僧侶ではありません)の釣りへ同行した経験があります。
ご存知でしょうが、魚が釣れると、味を保つために血抜きをしますね。
血を流し、それでもしばらくは死にきれず苦しむ魚を想像して下さい。
何のために苦しんでいるか。
私はindigoさんご自身で、思いめぐらせていただきたいのです。
釣りとは、魚とは、命とは、食とは、レジャーとは。
この度の釣行が、実りあるものになるよう、お祈りします。
殺せば殺すほど殺し癖がつく
仏教的には、しなくてよい殺生ならばしない方が善いです。
ゴキブリやハエなんかも、殺すよりは、捕まえて窓から外へ逃がす方が良いのです。
食べるためとか仕事のためとか、必要な場合は仕方ないと思いますが。
殺せば殺すほど殺し癖がつきます。
動物を平気で殺せる人は、必要ならば、人間だって平気で殺せる可能性があります。
気をつけましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
感謝して頂きたいと思います。