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人生がうまくいかないのは自分がいけないのでしょうか?

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有り難し有り難し 36

物心ついた頃には父からの虐待と
小学校からいじめが始まりました
『女みたい!オカマだ!』『気持ち悪い』
と学年中から嫌われました
家に帰ると父が般若のような顔であざが出来るくらい人から見えない所を毎日のように蹴られました
学校にも家にも居場所はありませんでした

両親は離婚
母は再婚
再婚相手が働かなくなり
僕は転校後もいじめが続き
唯一の理解者であった祖母を交通事故で失いました

再婚相手が暴れて家を壊し
兄妹が生まれ母は兄妹と暴れる父にかかり切りで僕は一人でした

中学生の時僕が朝「学校に行きたくない!」(いじめ)と言うもので
母は父の事も悩んでいたため
「もう面倒見れない!」と僕を離婚した父に預けました
父はやはり怒りやすい、しかし外面はよかったため
いつも僕は父を怒らせないように顔色をうかがっていました
家出をして、外でお金も食べ物もなく寝たこともあります
学校の先生は「お父さんはしっかりしているのにどうしてお前はダメなんだ」と言いました

父はおそらくですが隠れてギャンブルをしていたようで
僕にパン1つ買うのすら渋るような人でした
僕の生活費も母が出していました

16歳になる頃
父が家に女性を連れ込み
毎日すぐ隣のふすま一枚挟んだ部屋でそういうことをしだして
僕はすごく嫌でした

僕にはご飯なし
父は彼女とお寿司を食べたり
宗教仲間にはご飯をおごる

父の「(お前は)信用できない。」という言葉が今も胸にずっと残っています

その後16歳から30近い今までずっと一人で暮らしてきました

何でも言える親友なんてのもいませんし恋人もいません
帰る家もありません
母はまた男を変えたり、再婚相手に戻ったりしてます

自分を変える努力もたくさんしていますが
結局何が変わったのかわかりません
だって、そんなことしなくてもみんな家も友達も仕事も普通に持っているからです。
僕はいじめの恐怖で進学もしてません
今も常に人の顔色をうかがって生きています

「人のせいにするな!」
という意見も何度も耳にしましたが
それでも

どうして自分ばかりこんな目に合うんだろう・・と思わずにはいられないのです
いじめや虐待で精神的な疾患を抱え
情けない話ですが働けず生活保護で暮らしています

僕の人生一生このままなんでしょうか?
何がイケないのでしょうか・・。何が足りないのでしょうか・・。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「これまで」と「これから」-「運命」と「ご縁」

そのようなご両親のもとに生まれてきたのも、イジメにあったのも

あなたが自分の意志で選び、自分の力だけで成し遂げたものではないでしょう?

ですからあなたのせいではありません。あなたがいけないということではないのです。

世の中の出来事のほとんどは自分とは関係なしに起こってきます。人生に起こる出来事のほとんどは選べません。

それを縁(条件・環境・対象の意)といいます。そんなものはご縁のせいにしておいてください。

しかしこれを運命論と考えてしまうと救いがありません。全部決まってしまっているならば私が私でいる必要がないからです。縁と運命は違うのです。

人生に起こる出来事(縁)の原因と自分は無関係だとしても、起きた出来事自体と自分が無関係というわけにはいきません。
その出来事を受けたのも、受けたことにより感情を持つのも自分だからです。

そこには、ご縁のせいとして自分の責任が解放されるという救い…

「私が悪いわけじゃない!私がいただいたご縁がたまたまこうであっただけだ!」

というものと、

いただいたご縁に対し自らの態度を示していくという主体性の確保の救い…

「それでもこれが私だ!これが私の人生だ!私は私のしたいことをする」

というものが成り立つのではないでしょうか。

生活保護でもいいでいいじゃないですか。好きでそうしているわけではないでしょう。精神疾患だって望んでなったわけではない。

それがいただいたご縁だったのです。

あとはいただいたご縁をただただ「情けない」と引き受けきれずに沈んでいくか、望んでなったわけではないけどこれが私の人生なんだから、「それでもできること・したいことをしよう」と引き受けて立ち上がっていくかです。

「情けない」という思いも湧き上がってくるものですから、それすらもご縁といえばご縁です。
でも私たちはご縁をいただくたびにご縁にたいする態度を問われているのです。その態度を決めるところに自由があるのです。
決めた態度が実現できるかどうかはまたご縁によるところとなりますが、それは私が勝手に「そうしたい」と決めた事なのですから実現できるかどうかではなく、取り組めることが楽しいのです。

そこに、これからが変わる(かもしれない)という救いがあります。運命論を打破するのです。そしてこれからが変われば、これまでの捉え方すら変わるのです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

お返事遅くなり申し訳ありません。
すべては縁、と考えると楽になる部分やあきらめがつく部分もあり、同時にどうしようもないのかという無力感みたいのもあります。
あなたの意志で選び成し遂げたことではない。
この言葉に救われました。
ありがとうございました。

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