自己肯定感の低さ
先日も現在の悩みについて質問させていただきましたが、再度それに付随する悩みについて質問させていただきたく思います。
現在求職中ですがなかなか仕事が決まらず、自分を責めてしまいます。
「私はダメな人間だ」、「人としても妻としても娘としても欠陥品」、「こんな妻を迎えた主人、義家族がかわいそう」、「苦労して育てた娘がこんな風になってしまって両親に申し訳ない」と常に思ってしまいます。
決して褒められずに育ったわけではありません。
実際に努力して成功した経験もあります。
達成感も味わってきました。
それなのに自分を素直に褒めてあげることができません。
以前臨床心理士の方に「ある程度できたなら、自分を褒めてあげましょう」と言われましたが、どうしても「じゃあもっと頑張れるはず!」と考えてしまう…と話したら、心理士の方が思い切りずっこけてしまいました。
今も履歴書を出しては書類選考で落ちる結果に「やっぱりこんな私を雇ってくれるところなんてないよね」と悲観してばかりです。
「履歴書書いて出せた!偉い!」なんて思えないです。
ずっとこのまま自分を否定しながら生きていかなければならないのが辛いです。
どうかこの悩みや苦しみが少しでも和らぐ様な教えを説いていただければと思います。厳しいお言葉でも構いません。
悩みが次から次へと溢れてきて、辛くて苦しくて涙が止まりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【卑下慢】という本末転倒
”「私はダメな人間だ」「人としても妻としても娘としても欠陥品」「こんな妻を迎えた主人、義家族がかわいそう」「苦労して育てた娘がこんな風になってしまって両親に申し訳ない」”
そうあなたを罵る張本人は、一体誰なのか?
それは、他ならぬ「あなた」です。
もう一人の「あなた」に申し上げます。
は?なにを上から目線で何を偉そうに。そういうお前さんは完璧なのか? 失敗も心得違いも起こさず、知らない事なんか何も無いとでも言うのか?もし本気でそんな事を思っているのなら、とんだ大馬鹿者だな。【慢心】もほどほどにせぇよ?もっと慎むことを覚えなさい。
あなたの思考回路は、謙虚とは真反対にある【卑下慢】というものです。
迷惑はかけないほうがいい。失敗はしないほうがいい。でも、そんなわけにはいかないのが人間というものです。だから、迷惑をかけないようにする以上に、失敗しないようにする以上に、他人様から支えていただいてることに感謝を忘れないようにしましょう。
「もっと もっと」の向上心も、度が過ぎれば、ないものねだりの単なる【妄想】です。
《追記》
卑下慢は、親鸞さんオリジナルではありませんよ。【七慢心】といって、【慢心】には七種類もあります。卑下慢の呪縛は見破れましたか? 前向きになってくださって、私も嬉しいです。拝
質問者からのお礼
卑下慢を調べてみました。親鸞聖人のお言葉だったのですね。実家が真宗大谷派の檀家です。
真宗大谷派の転落院様からのお言葉、本当に有難く思います。
確かに自分自身で私自身を卑下しては誰かに「そんな事ないよ」と同情してほしかったのだと思います。
そんな風に卑下することによって、主人、義家族、両親の思いまで否定してしまっていたんだと気づきました。
感謝どころかかわいそうと思ってしまっていた事に、深く反省しています。
「こんな私だけど伴侶に選んでくれて、家族にしてくれて、育ててくれてありがとう」と思えるよう、心と考えを改めたいと思います。
親鸞聖人のお言葉、真宗大谷派の転落院様に教えを説いていただいた事、このご縁に心から感謝いたします。