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同居が嫌

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

はじめは旦那と2人で住めると聞いていたのですが、なんだかんだで、妊娠中から出産し現在まで完全同居をしていますが、もう嫌でたまりません。
台所は料理好きな義父の管理下で、ごはんを作ってくれるのはありがたいのですが、キッチン、冷蔵庫も自由に使いづらく、常にキッチン側の食事スペースに夫婦してテレビを観ているので、飲み物や食べたいものを取りに行くのも、いちいち声をかけられるのが嫌で我慢する肩身の狭い居候のような生活です。
唯一、自由にいられる夫婦の部屋にも、子供が生まれてからは、些細な用事でいちいち覗きにくるようになり、それが毎日毎日のことになりだんだん親切すら煩わしく鬱陶しいとしか思えなくなっています。

また、出産後の入院中に見舞いに来た義母が孫フィーバーになっていて、ある日、嬉々として義母に抱かれている赤ちゃんを見ていたら無性に悲しくなり、
それ以来、子供に触れられたくないし関わられたくないと思っています。
「ウチの孫」発言されると悔しくてしょうがないです。

悪い人たちではないですが、子供と私の時間に1分でも介入されることが嫌で許せません。

しかし、でき婚で、親族呼ばず2人で式を挙げた負い目や罪悪感が義理親に対してあり、
別居したいけど、したらしたで罪悪感が増しそうで、高齢だし別居もしずらく、
この生活や負い目や罪悪感や義理親の干渉から解放されるには、いくら考えても離婚か死ぬしか道がないように思います。
しかし、離婚は旦那がなかなか応じてくれません。
今は冷静さが欠けているかもしれませんが、他に方法は思いつきません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

最善の策を講じる。

ミラクラさん、こんにちは。

 せっかくの新婚生活なのに、義父母の同居、嫌ですよね。
夫は、親思いの優しい人なのだと思いますが、やはり新しい家庭を作るということは、まずは困難ではない限り、二人で住んだ方が良いと思います。

 たぶん、あなたの本気の願いを、彼は大問題として理解していないのだと思います。なぜ親孝行するのが悪いのかという思いで前に進みません。

 まずは夫と真剣に話し合う場を作りましょう。その時に、話では夫は本気度が伝わりませんので、「手紙」に書いてください。親と別居をするかどうか、○○月までに判断をいただけないのであれば私が別居します、と本気で訴えてください。ただし義両親を嫌うだけでは夫の理解は得られません。手紙の中に、「義両親との同居は、義両親が高齢で生活ができなくなれば、もちろん同居します。私は義両親を嫌っているわけでもありませんし、あなたが両親を思う心を尊敬しています。でも今は最低5年でも、まずは二人と子供の家庭を築くことが大切だと思います。親が心配であれば近くのアパートでいいのです。ご理解をお願いします」的な内容にしましょう。」
 そしてそれでもうやむやであれば、一度実家に帰るぐらいのブラフをしてもいいでしょう。
ただし、それを実行するにはあなたが夫に深く使える覚悟が必要です。我がままな行動と見られないようにするためです。少なくともミラクラさんの管理する部屋だけは徹底的にきれいにしかもアートにしましょう。義両親との生活のあり方が違うようにです。夫が義両親よりあなたとの触れあいに安心を持たせるように持っていきましょう。それが姑との本当の戦いなのです。

がんばってください。応援します!合掌
 

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★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email;kongozaji@renge.net(気軽にメールしてね!)  直通電話:090-6041-0193(最初はショートメールで) ※※※※※※※※※※※※ 山寺の小さな金剛座寺は10月23日に襲った台風21号で、大変な被害を被りました。大規模な斜面の崩落で客殿が倒壊の危機に陥っています。人生は何が起こるかわかりません。復興に向けて20年努力してきましたが、またリセットになるとは思いませんでした。でもあきらめません。仏さまの教えは「一切皆苦」苦難をなくすことではありません。苦難は必ずきます。それを乗り越える心を作ることが、御仏さまの教えなのです。  ハスノハに訪れる皆さん。私と一緒に人生の苦難に正面から立ち向かい、乗り越えていきましょう。仏さまと共にならば、必ずできます。合掌 ※※※※※※※※※※※※ Email;kongozaji@renge.net 在家から天台宗僧侶になりました。田舎のお寺だからできる新しいお寺ライフを試みて活動しています。特技は手話で現在某大学の非常勤講師で初歩の手話講義をしています。NPO手話技能検定協会理事の役職を頂いて手話学習の普及に努めております。社会貢献として保護司のお役を通して社会更生のお手伝いをしております。 どうぞ伊勢にお越しの際は遊びにお立ち寄りください。また活動は三重だけでなく、埼玉・東京・神奈川などの首都圏、または車でいけるところはどこでも出張で活動しています。仏事のことなら気軽にご連絡ご相談ください。お寺には宿坊もありますので、心のリフレッシュをされたいのであれば、いつでもお泊りくださいね。 私と一緒に、お寺の復興を手伝ってくれる方を募集しています。私とお友達になってください。そして伊勢の山寺をあなたの第二のふるさとにしてください。 ●お葬式や法要、納骨をお受けしております。 エリアは三重・中部・近畿から東京・埼玉・神奈川まで、車でいけるところはどこでも走り回っております。どうぞご相談ください。  (メールが有難いですが、直通電話 090-6041-0193 でもお受けします。なかなか出られないので着信を残してください。またはSNSでご連絡くだされば折り返し電話します。なお電話での悩み相談は10分と決めておりますのでご了承願います) ※もし少しでも回答がお力になれましたら、その感謝のお気持ちを、ご本尊如意輪観世音菩薩さまへのご志納(布施行)でお願いします。ハスノハ活動ができるお寺の維持活動に使わせて頂きます。 ゆうちょ銀行100010-67608891 名義コンゴウザジ 百五銀行多気支店(普)221446 名義シュウ.コンゴウザジ 檀信徒・弟子になって一緒に仏教ライフを楽しみませんか?(檀信徒費志納年1万円) 仏教を人生に活かして楽しみましょう。合掌 

嫌ですよねぇ ですから 別居に向けた同居大作戦です

義理のご両親たちもそう思っているかもしれません。
(-_-;)「ああ、せっかく子供も成人してゆっくり余生を過ごせると思ったのに、なんで転がり込んでくるかな…まさか、同居するとは思ってもなかったわよ。」
そういうお悩み相談を親御さんの側から受けたことがあります。
この場合はとにかく話し合いです。
ご飯もそれぞれ気を遣わせたり、ご飯当番があったりするとお互い大変です。朝起きてくるのが遅いと気を使います。それで同居の方はみんなストレスが溜まって失敗するんだそうです。
…からの、「えー、是非とも今後とも我が家においてはお互いに負担のないようにしていくための話し合いをこの場の家族会議で話し合ってまいりたいと思います…、」と今日の晩御飯の際に、人が変わったかのように司会者になってください。
あなたはあなたでストレスになっていることを旦那さんにみんなの前であえてお話しして(これをやらないと意味がない)本当の家族になってください。よそよそしい嫁さんは真の家族ではないのです。何でも話し合って、よそよそしさのない家族を今から作るのです。そうすることで、お互いの生活を尊重しあい、よりよい同居も別居に向けた同居もできるようになります。
世帯は世帯で別、と考えましょう。
あなたもつらいでしょうが、親御さん世代だって自由にできないところがあるはずです。
気を遣うより時間とチエを使って話し合いをすることです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

染川智勇 様
ありがとうございます。
義両親も悪い人ではありませんが、やはり数年でも子供と3人で家族として、暮らしたい気持ちが大きく、日々鬱々と泣き事ばかり言ってしまっていました。
染川様がアドバイスくださったように、自室を綺麗にアートにして、頑張ります。

丹下覚元 様
ありがとうございます。
義理両親は年老いていますが、まだ2人で生活できているので、大丈夫だと思うのですが、あちらが住みたいらしいです。
私もお互い気を使い、気疲れするのだから別に住んだ方がうまくいくと思うのですが、
同居さえしていなければ、ここまで義理両親に苦手意識も芽生えていなかったと思います。
家族会議、すごく勇気がいりますが、私が気持ちを伝えなければいけないですよね。
やるしかないですよね。
チャンスを狙い頑張ってみます。

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