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泣けなくなったのはなぜか

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有り難し有り難し 10

幼少期から私は泣き虫でした。
小中高と泣いた記憶は沢山あります。
社会人1年目にも辛いことがあって泣きました。

でも一人目の子どもが生まれてから(5年前)
1度も泣いた事がありません…。
泣きたい時でも何故か泣けなくなってしまいました。

笑うこと、怒ること、喜ぶことの感情表現は出来ます。
なぜ泣く事だけ出来なくなったのでしょうか…
本当に悲しい事ではないからでしょうか?
自分の中でそれは違う気がしています…。

泣いてストレス発散したい気分の時もあるのに
なぜかそれが出来ません

涙を見せたくないと思うようになったからか
でもそれが自分にとって何の得なのかわかりません

心が冷たい人だからでしょうか…。
考えれば考えるほど眠れなくなります。
意味のわからない質問ですみません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

嘘に❝つ❞かれたからではないでしょうか?

世に合わせて嘘ついて、人に嘘つかれて、クールという名の嘘に浸かって、本心に嘘をついて、総じて嘘に憑かれたのです。
そろそろ、そういう嘘に疲れたほうが良いのではないですか?
あなたの本心からのSOSメッセージとして受け止めましょう。
人間は一日に30はうそをつくといいます。
キャラを作ったり、相手に迎合したり、日本人は謙譲、丁寧、尊敬、建前、我慢、慎み、空気を読む、人に合わせる、総じて嘘のかたまりです。
嘘も方便で、良い方向に持っていけば人も自分も救えます。
嘘とは嘘でありながらも、嘘をついたという行為そのものは本物なのです。
だから、ちょっとした嘘であってもそれが積み重なれば、あなたにとっては真実として機能するのです。
自分らしく生きてください。
ウラオモテなく生きてみてください。
せめてそういう赤裸々な気持ちをあらわせる場を持ってください。
お寺の集いとはそういう場でもあります。
お近くでしたら、本音が集まる人たちの集い寺子屋におこしください。
私もここではネットですので、世間や相手に合わせて嘘をついている面もあります。
本当のことを言うと誰かにダメージを与えてしまうこともありますからね。
嘘とは憑りつく亡霊のようなもの。
嘘にとり憑かれないようにしてください。
嘘を除霊するには本音で生きることです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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