自殺か、失踪か迷っています
仕事に1週間行っていません。職場には風邪と伝えています。
でも、ずっと、自殺の事ばかり考えてしまいます。失踪という選択肢もあると思います。どちらも家族に迷惑と苦しみを与えることは分かりながら、どうしても見切りをつけたいのです。
家族はまた過去のうつ病の症状が再発したかもしれないとうすうす気づいている気がします。ただ、過去何度も乗り切ったように今回も乗り切れると思っていると思います。
過去は別に乗り切ったわけではなく、たまたま生きていたという感じがあります。そのときは本当に今のように死にたい、消えたいと思っていたから。
ここに書いたからといって解決できるとは思っていません。でも、どこにも伝える場所がなく、自分の気持ちを整理する場所が欲しかったのでこうして書いています。生への未練のせいと言われればそうかもしれず、結果、何時間後、何日後にわたしがいなくなれば、未練ではなく決断のための行為だったということになるのかなと思います。
原因は特にありません。仕事は比較的順調で特に死ぬほどの理由はなく、家庭は円満で妻を愛しています。
でも、今もそうですが涙が溢れるほど苦しいです。なぜなんだろう。
高いところから飛び降りる、オーバードーズする、窒息などいろいろ考えてしまい、ずっとネットで調べていました。
頭が死へ一直線に向かい、正常でなくなりつつあるような気がします。
どうしたらいいんだろう。
まず1日進んでみよう、のような答えなのでしょうか。もう一歩も1ミリも進めないのだけど、でも進むしかないのでしょうか。
わたしに残された猶予はどのくらいなのでしょうか。
死なせてくださいという願いはわたしの傲慢でしかないのでしょうか。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生き方の選択をするために、愛する人に支えを残す。今を伝えて
あなたの意思というよりも、症状がそのように向かわせるのでしょうね…苦しいですよね。
愛している人と生きていく。それが幸せだとわかっていても、生きることを望めなくて、もう今を終わらせたい。そんな気持ちで埋め尽くされてしまう。
失踪 そうですね
どこかに行けたら、ラクになれるのかな…
私はね、日頃 遺族のサポートをしているんです。
悲しい、寂しい、以上に「なぜだったのか」と、理由のわからない別れに、時間が止まり、日常の色を失ってしまわれる。出来ることなら、理由を聞きたい。黙って行かないで。一人にしないで。って、涙を流されるのですよ。
あなたが今抱えているものを、愛する人に伝えることは、悩ませることではなく、大切なメッセージになるのです。
知ることができる。そんな中でも一緒に生きることが出来る。この先、あなたに何があっても、その想いを胸に、生きていける。
今のあなたを知ることが、ご家族の生きる「支え」にもなっていくのです。
あなたが、あなたのまま、生き方の選択をするためにも。愛する人に支えを残せるように。今を伝えませんか。
何かが変わるかもしれない。
妻さんだって、あなたと今を生きているのです。
あなたは、ひとりじゃないのですよ。
あなたの選択肢
あなたが自殺の事をずっと考え続けているのは、間違いなくうつ病の再発であり、精神科医の治療を受けるのが最良の策かと思われます。
ただ、そうお伝えしても、今のあなたの決心は変わらないでしょう。
あなたは仕事を通じて、これまで社会に多大な貢献をし続けてきたはずです。
また、あなたの家族は、夫あるいは父親としてのあなたに、ずっと支えられてきたことでしょう。
そうした役目を放棄してもいいと考えるのは、よほどのことだと思われます。
自殺か失踪かで迷われているのなら、私は絶対に失踪をおすすめします。
命があれば、気付いたときにいつでも人生をやり直せるからです。
それよりも、私の一番のおすすめは出家です。
一度死んだつもりになって、仏門を叩きませんか。
仏教は、人が本当に幸せになれる教義とその実践方法を完備しいます。
仏教者の中には「仏教と出会わなかったら、自分はとっくに自殺している」と公言している者も少なくありません。
あなだかこれまで仏教とまったく縁のない生活を送ってきたのなら、まずは瞑想の本を一冊買って、自宅で瞑想を始めてみることをおすすめします。
それだけでも、人によっては、自分の人生を新たな視点から見つめなおす契機となるでしょう。
仏教とはまさにあなたのような人のための宗教であると私は信じています。
れん 様
鬱病の苦しさ辛さ落ち込みなど、他人にはわからないのでしょうね。愛する奥様も辛く苦しいことは理解できても、あなたの心の闇の深さは分からいでしょう。
誰も自分自身の苦しさなんて自分自身にしかわからないのでしょう。
いっぽうで、心の中が100%、まるまる鬱の辛さで埋まっているかというとそうではないでしょう。
そこには、優しさ・思いやり・温かさ・寛容さ・穏やかさ・輝き・希望・勇気・力強さ、等々、数えきれないぐらい何かが備わっているでしょう。そして仏様に成る種が。
「たまたま生きていたという感じ」は、鬱の辛さで埋まってない部分が発動して、自分を責めずに鬱を諦めたからだと思います。鬱からちょっと一歩、身を引いたような感じになってみてはどうでしょうか?
そして、身を引いたような感じから、優しい人を思い浮かべてみましょう。
そのイメージからあなたがに、優しさや思いやりや、穏やかさ、おおらかさが流れ込んでいき、フワッと何かに包まれたような感じで、今の自分を受け入れ、自分が愛おしいと思えるのでは!と
私は思います。
念仏すれば極楽浄土に往生できます
浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏すれば極楽に往生(転生)できると説かれます。
経典の中で、阿弥陀仏がそのように誓われ、実現されていると書かれているからです。
誰でもいつか必ず死ぬときが来ますので、最後臨終のときに「南無阿弥陀仏」「なむあみだぶなむあみだぶ」
と念仏を称(とな)えてみてください。
また、日常生活でも
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を口ずさんでみましょう。
阿弥陀仏はあなたがどのような生き方や死に方をしても、念仏すれば必ず極楽浄土に迎えると誓ってくれていて、念仏する者を智慧の光明で照らしてくださいます。
阿弥陀仏の大慈悲に全てを委ねてお任せしてください。
自殺してもしなくても念仏すれば往生できます。
失踪してもしなくても念仏すれば往生できます。
欠勤しても失業しても念仏すれば、欲・怒り・怠け・プライドの煩悩の激流から救われて、極楽に往生できます。
AでもA以外でもどちらでも救われるという感覚を意識してみてください。
質問者からのお礼
皆様のお言葉をお守りとして生きたいと思います。
言葉は不思議です。いやすべての物事が、言葉と同じように、棘になることもあれば、盾のように守り、また羽毛のように包み込むこともできることが不思議で、また、同じ事々が、同じ人が、人としては同じなのに人ごとに、響きかた、こちらに届く形が変わる現実に、心を揺るがされたり、逆に絶望する。
正直、わたしは自殺するかもしれない、失踪し同じく死ぬか、または孤独になるかもしれない。でも、時は確実に進むし、心も移り変わる。
仏門に入ることにとても心惹かれましたが、調べたらお金が掛かるんだなと思い、いったん、リセットです。
ありがとうございました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
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◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )