毎日のお勤めについて
いつも色々と質問にお答え頂き、ありがとうございます。母の一周忌が1ヶ月後となりまして、少し落ち着いてきました。ありがとうございます。
病のため休職しており、時間があるので両親、祖父母の位牌、御先祖様に毎日欠かさず朝夕お勤めさせて頂いております。
我が家は真言宗で、真言宗の増田様からお教え頂き、お経もあげさせていただいていますが、毎日お唱えしていると慣れてきたのか、般若心経を唱えながら別のことを考えてしまいます。
職場の事や、兄とのいざこざ等なぜか嫌なことばかり思い出します。本来ならば両親や先祖の成仏、冥福を祈りながらお唱えすべきかと思いますが、母を亡くした悲しみが癒えつつあるとともに、供養の気持ちがなくなりつつあるのか、罪悪感を感じます。
ある宗教家の方に、7年間は母の霊は知り合い等に挨拶廻りをし、その間は仏壇に戻ってくるといわれました。それなのにこんないい加減なお経をあげています。
ここでご回答いただく先生方は毎日毎日、何年もお勤めを続けておられると思いますが、どのような気持ちで続けておいでなのですか?修行をされ、勉強もされ、長年仏道を歩まれておられる先生方に、とても失礼な質問ですが、申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
道を外れてばかりの私です
あんくまさま
今回のご質問を頂いて、改めて自分の読経する時の気持ちを考えました。
私も、ごく最初の慣れない頃は一所懸命にお経を目で追い、無心に声を出していましたが、今はほとんど無意識に読経できてしまいます。
朝のお勤めをしながら、暑いなぁ寒いなぁと余計なことを考え、法事の読経を勤めながら、この後なにを話そうか、と余計なことを考えています。
ご質問の回答にはなりませんが、初心を失っていた自分に気づかされました。そして同時に、初心でいることの難しさ、無心に読経することの難しさにも。
それが私という人間の本性なのでしょう。
でも「私」だけが亡き人を供養するのではなく、最終的には仏さまが亡き人をお救い下さるのではないか、と私は思います。
そして、煩悩を離れられず余計な思いを捨てられない私をも、仏さまはお救い下さるのではないでしょうか。
仏様のまえに身を置く
あんくまさま、こんにちは。
真宗の釈理薫と申します。
朝夕のお勤めは、全仏教徒の慣習とはいえ、どこまで心を込めてお勤めすればいいのでしょうか。
毎日のお勤めともなりますと、最初の慣れない頃よりだいぶ経典を見ないでも口をついて出てくるようになるかと思います。
次に大事なのが、内容を意識しながらお勤めをすることかと思います。
そして、最後には自然に言葉があふれ、仏さまと自分とが一対一で語り合う場になっていくのではないでしょうか。
いま辛いこと。
哀しいこと。
うれしかったこと。
どうでもいいが、心をよぎったこと。
それらをすべてさらけ出し向き合ってくださるのが、仏さまのような気がします。
日々のお勤めは、仏さまの説法を毎日聞いているということです。
そこで、日々の悩みや報告を仏さまになさってはいかがでしょうか。
それこそが、毎日仏様のまえに身を置く大事さだと思います。
普通は49日前後で成仏します。
特にこの世に未練が無いのなら、普通は49日前後で成仏します。
あんくまさんが毎日勤行を欠かさずなされていることを
お母様は喜ばれていると思います。
人間ですもの、邪念があって良いのです。
神様では無いのですから。
ただただ集中・・・
あんくま様へ
素朴な質問ありがとうございます。
改めまして自分の行について振り返りの機会をいただきました。
ただお勤めをするという行だけに集中しております。
そして心の中で
世界平和、すべての人々が幸せでありますように
と祈願させていただいております。
ただこの気持ち、この行に集中することは
言葉にすると簡単ではありますが、大変難しいことでございます。
しかしそのことへ挑戦することに意義、ご縁があると思っております。合掌
質問者からのお礼
釈 理薫様いつもご回答ありがとうございます。すべてさらけ出し向き合ってくださるのが、仏さま。毎日の気持ちをさらけだし、素直な気持ちで仏壇にむかえば仏様と対話できるようになるでしょうか?そうなれるよう続けていきたいと思います。
水上 昇真様いつもご回答ありがとうございます。そうですよね、49日で仏様の仲間入りすると聞いたのですが・・・。「人間ですもの、邪念があって良いのです。神様では無いのですから。」とても救われます。ただ形だけの供養になっていないか、両親や祖父母ご先祖のためになっていないのではと反省していました。毎日、仏前で手を合わせる、そしてその時の気持ちで素直に語りかけて行こうと思います。ありがとうございました。
浦上 哲也様いつもご回答ありがとうございます。人は無心になれるのでしょうか?浦上様が仰る通り、色々考えてしまいます。「「私」だけが亡き人を供養するのではなく、最終的には仏さまが亡き人をお救い下さるのではないか、と私は思います。そして、煩悩を離れられず余計な思いを捨てられない私をも、仏さまはお救い下さるのではないでしょうか。」煩悩だらけの私には、とてもありがたいお言葉です。それゆえ余計に慈悲深い仏様に甘えていてはいけないのかな、供養の気持ちを忘れずに毎日のお勤めに励んでいこうと気持ちを一新したいと思います。
鈴木光浄様ご回答ありがとうございます。日々のお勤め、慣れでしょうか、別のことを考えてしまいます。当然、両親、ご先祖の冥福を祈る気持ちはあるのですが。しかし、浦上様の最終的には仏さまが亡き人をお救い下さるとのお言葉、釈様のすべてさらけ出し向き合ってくださるのが、仏さまとのお言葉、そして、人間ですもの、邪念があって良いのです。 神様では無いのですから。とのお言葉に救われます。今は穏やかな気持ちで仏壇に向かえ、素直に話かけられるようになりました。あまりにも固苦しく考え、構え過ぎていたのかなと思います。今はいってきます、ただいまと普通に話しかけています。 皆様のアドバイス、ご回答のお蔭様で今月、一周忌を迎えます。しきたり、考え方等々色々とお教えいただき、なんとかここまで来れました、ありがとうございます。供養は自分の寿命が来るまで続けて行きます。今後ともよろしくお願いします。