自分を許す認めるとは
こんばんわ。お久し振りです。仕事上の悩みを抱えています。精神的に参ってしまい、前日病院にかかりました。
そこで、医者から今までよく頑張ったと自分を認め、許すことを言われました。苦手な上司についても、相手が変わることは期待できないので、作戦をたてることと言われました。
私は物事を言われた通りまっすぐ受ける性格なのでそれも考えた上の作戦と言われました。自分なりに考えていますが確信を持てません。
どなたかアドバイスをお願いします。
文面上伝わらないこともあります。中傷はお断りします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分玉を引っ込める
スーパーで大量に買い物をしたとします。
あなたは両手が塞がっている。
狭き道を通るとき持っているものがぶつかってしまう。
それは、あなたが持っているもの、持ち物が多いからです。
持っているものを手放せば、ぶつかる❝我❞はありません。
仏陀には持ち物がありません。
スタンス、かまえ、モード、姿勢など何もありません。
無我なる人は、構えが無くなるから楽になるのです。
我が強いと、自分という持ち物が沢山あるから、その設定が崩れると凹む。ぶつかると自分か相手が傷つくということです。
自分を許す認めるとは「ああ、俺は何て自分ルールが多いんだ」「ああ、なんて俺は引っ込みがつかないんだ」と自分の不器用さを認めることです。
不完全の肯定をしてみてください。
俺ってダメだな~(笑)って、笑いながら言ってみてください。
自分に完全敗北、白旗、サレンダー(HOTEI)です。
自分に負けられる人、自分の火を肯定できる人は強いです。
そこを覆い隠そうと自分玉を引っ込められないと、永遠に外に答えを求めるようになります。
世の中に中傷はありません。
こちらに傷つけられたくない❝自分玉❞が強固にあるのです。
その自分玉を握っている手をみてください。
❝持っている❞でしょう。
持っているから不自由なのです。何もつかめないのです。
ポイッと、捨てて、あー、俺って本当、中途半端だなーっと完全敗北してみてください。
ZEROになれば、後は減りようがありません。
いくらでも拾えます。